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かたや無敗を誇る帝国軍の頂点に立つ男、かたや戦場で荒くれ者の傭兵たちを指揮した元頭領である。
片方だけでも厄介な存在だというのに、二人揃っては厄介さは二倍以上である。
そんな場所に居合わせた刺客たちは、ある意味非常に運が悪かった。
「初めての共同作業だな」
戦いながらでも、レグルスは相変わらずであった。
「アホか」
レグルスの戯言をラスは一蹴する。
もっとも、先ほどまでとは打って変わってその表情には余裕があった。
すべての刺客を倒し終えるのに、それほど時間はかからなかった。
「レグルス…なぜあなたがここに」
マルガレーテは呆然と呟いた。
彼女はレグルスに対して疑われるような態度をとったことなど、一度もなかったはずだ。
だからこそ、三年前の皇太子の座を巡る争いの時、アルタイルはレグルスから何の処罰もされなかったのだ。
当時アルタイルが三歳で謀反への関与などできず、また幼さゆえに見逃されたという面があったとしても、現正妃の息子であるアルタイルが将来有力な帝位継承候補者になる可能性は高い。
そしてレグルスならば、勝利に乗じてアルタイルやマルガレーテの権勢を削ぐことはできたはずだ。
それをしなかったということは、自分たちを信用しているのだと、協力関係にある証だとマルガレーテは思っていた。
直接問いただしたことはなかったが、レグルス自身が自分の体について知っていたとしても不思議ではない。
すぐに切り捨てる女関係も、それに起因しているのかもしれないとマルガレーテは思っていた。
だからこそ、そのうちレグルスは、自身の後継者としてアルタイルを考えるようになるかもしれない。マルガレーテは半ばそう確信していた。
傍目から見てもレグルスはアルタイルを可愛がっていたし、アルタイルのほうもレグルスに懐いていた。
またマルガレーテ自身、そうした打算的な考えを持っているということを悟らせるような真似などしなかった。
良好な関係が築けていると思っていた。少なくとも、レグルスにそう認識されていると、マルガレーテは思っていた。
それなのに…
「皇妃マルガレーテ」
マルガレーテを呼んだレグルスの声には色がなかった。
怒りも、失望もない。ただ事務的な用をすますかのように、ひどく淡々としていた。
「あなたは少々勘違いをしている。俺は別に、世継ぎは自分自身の子供に、とかそういうこだわりは特にない。相応しいものが玉座に座る、必要なことはそれだけだ。仮に俺の子供がその器をもたず、将来アルトが優秀な為政者として成長したなら、俺はアルトを世継ぎに指名するだろう。そうでなければ、もっとふさわしい者を探して選ぶだけのことだ」
本当のところ、レグルスは自分が皇帝になることにだって、それほど執着しているわけではない。
彼は自身が有能であること、皇帝としての責務に耐えられるだけの器であることを自覚していた。その証拠に、彼は古より伝わる白い守護獣と契約することができた。
ふさわしいからなる、彼にとってはそれだけのこと。
けれど、彼を突き動かす別の感情もある。
「俺が今の地位にあるのは、欲しいものを手に入れるために力が必要だったからだ。俺は俺自身の願いの為、その障害となるものを排除してきたにすぎない。三年前の争いだって、言ってしまえばその延長線上の出来事だ」
レグルスが力を手に入れるためには、四人の異母兄たちは邪魔にしかならなかった。だから排除した。
異母弟のアルタイルはまだ幼く、どんなに優秀でもその才覚が現れるまで時間がかかるだろう。それだけの時間があれば、レグルスは目的を達せられる。だから排除しなかった。
前者は帝国の将来を考えての判断でもあったのだが、半分だけとはいえ血のつながった者に対しても、レグルスはひどく冷徹であった。
「あなたがどういう思惑を持って行動していたかは想像がついていた。けれど、ここではっきりと言っておこう。あの争いの後、残った候補者がアルト一人だったのは、別にあなたとアルトのことを特別に思っていたわけではない。俺の邪魔にはならないだろうと思ったから、手を出さなかっただけのことだ」
言いきったレグルスの言葉に、マルガレーテはひどく打ちのめされたようだった。
レグルスがアルタイルに目をかけており、またラスの暗殺への関与を疑われていないと思っていたからこそ、マルガレーテは計画を実行できた。
ラスが死んだことを嘆くふりをしつつ、レグルスと今まで通り友好的な関係を続け、そしていつかアルタイルを彼の後継者として擁立する。
そんな彼女の幻想は、見事打ち砕かれてしまったのだ。
もっとも、この時点でも彼女はまだ、レグルスという人物を見誤っていた。
レグルスは今回のことがあっても、将来アルタイルが本当に皇帝の座にふさわしく成長したのであれば、迷わず彼を後継者の座に据えたであろうから。
「どうして…どうして…」
マルガレーテは呟いた。
血のつながった相手にだってここまで冷淡になれる男が、どうしてラスのことは助けようとするのか。
レグルスが自分の子供、世継ぎを欲しがっていたなら、まだわかる。可能性としてはラス以外にないのだから。
どうしてラスだけが特別なのか。
マルガレーテのその感情は、ひどくいびつな形の怒りであった。
刺客に襲わせたとき以上に怖ろしい顔で、彼女はラスを睨みつけた。
その視線を受けて、ラスはかける言葉が見つからなかった。
「マルガレーテ様…」
ぽつりとマルガレーテの名前を呟いたラスを、背にかばうように立ったのはレグルスだった。
「聡明なあなたらしくもない。わからないか?」
そう言ったレグルスの瞳は、静かな中に何か激しいものを秘めていた。
おそらくそれは、彼の後ろにいる、たったひとりの人間に対する感情。
マルガレーテは悟らざるを得なかった。
彼女こそ、彼が力を欲した理由。
彼がもっとも手に入れたいと願ったもの。
マルガレーテは気付いてしまった。
どうしてラスに怒りを抱いたのか。
レグルスほどの男にここまで思われているラスが、ひどく妬ましかったからだ。
その瞬間、マルガレーテの感情は爆発した。
「一体私の何がいけなかったというの!?親子ほど年も離れた相手に嫁がされて、夫からは愛情どことかまともな感情さえも持たれなかった。ようやく子供を授かっても、すでに皇子は5人もいて、居場所なんてないも同然だったわ。ようやくチャンスがめぐってきたのよ。あの子が、アルタイルが至高の座に上りつめるためなら私はどんなことだってするわ。それが母親というものでしょう!?私は間違ってなんかいないわ!!」
「本当に自分が正しいと思うなら、今の言葉をアルトに聞かせてやるんだな」
マルガレーテと対照的に、レグルスは冷静だった。
彼の言葉を聞いた瞬間、マルガレーテは愕然とした。
言えるわけがない。
だってそれは、マルガレーテ自身の、ひどく醜い欲望だったからだ。
吐き出して初めて気付いた、彼女の心。
あの心優しいアルタイルがそんなことを望むわけがないと、母親であるマルガレーテが一番わかっているというのに。
マルガレーテのしたことを知れば、アルタイルはきっとひどく悲しむだろう。
母親への愛情が深かった分、すべては自分のせいだと自身を責めてしまうに違いない。
そうして、彼女は己の犯した罪の大きさを知った。
マルガレーテの後悔の叫びが、冴えた月の夜にむなしくこだました。
その響きは聞く者の心を突き刺し、彼女の心の痛みを伝えてくるかのようだった。