15
ダンスを踊ったレグルスとラスだったが、さすがに皇族というか、レグルスはダンスもうまかった。
一方のラスは、女性パートの踊りは久しぶりで、間違えはしないかとひやひやしながらのひと時だった。
最後に踊ったのはラス・アロンとしてだったので、もちろん男性パートであったのだ。
というか、ダンスなんてこれみよがしなことをして、余計に令嬢方の嫉妬を煽ったのではないだろうか、と後になってラスは気付いた。
別に帰る場所は同じ皇太子宮なのだから、レグルスと一緒に戻ってもよかったのだが、これ以上令嬢たちを刺激するようなことはするまい、とラスは一人で帰ることに決めた。
フィリーナは先に帰していたし、セシルは何やら知り合いと話しこんでいるようだった。マリアは楽しそうに料理を頬張っていて、邪魔をするのは気が引けた。
シュニアはニールと共にいた。と言っても、ニールが一方的に口説いているだけのようだったが。
たぶんラスが呼べば、シュニアはニールのことなど瞬時に頭から消し去って、すぐにでも駆けつけてくれるだろうのだろう。
が、それはニールに申し訳ない気がした。
ニールには今回、いろいろと頼みごとをした。だからラスは、お礼に少しだけ自分の親友を預けておこうと思ったのである。シュニアに聞かれれば殴られそうな話だが。
綺麗な月夜であったし、今夜はいろいろあったので、物思いにふけりながらラスは一人廊下を歩いていた。
その途中、ラスは見知った人物に遭遇することになった。
「いい月夜ね、セラスティア」
「マルガレーテ様…」
月下のマルガレーテは美しかった。
穏やかに微笑む姿はまるで聖母だ。けれどその目はどこか虚ろで、おかしかった。
「エレイナは失敗しちゃったのね」
その一言で、ラスは悟った。
本当は気付きたくなどなかった、真実を。
「あなたがうしろで糸を引いていたのですか」
「私は、ちょっと背中を押してあげただけよ。誓いのイヤリングのことを教えて、あの商人を紹介してあげただけ」
つまり、エレイナをけしかけたわけである。
だが、もう一つ、ラスに思い当たるものがあった。
「あとは、刺客を三人ほど送ってくださいましたね」
エレイナがしたことは、フィリーナをスパイとして送り込み、あの腕輪を使ってラスを殺そうとしたことだけである。
いつだったかの暗殺者を送り込んだ人物は、別にいるのだ。
「あら、気づいていたの。途中で連絡がとれなくなったと思ったら、やっぱりあなたに始末されてしまったのね」
マルガレーテは仕方ないわね、というように苦笑した。
彼女の自分への殺意がはっきりとわかり、ラスは大きなため息をついた。
が、疑問も残る。
「マルガレーテ様。どうして私を殺そうとするのです?」
マルガレーテの不興を買うようなまねを、ラスはした覚えがなかった。
敵対する理由は、ないはずだ。
「決まっているじゃない。あの子の、アルタイルのためよ」
「…なぜ?」
「あの子が皇帝になるためには、あなたが邪魔なのよ」
マルガレーテは、吐き捨てる様にそう言った。
慈愛に満ちた女性は、もはやいない。
「あなたがいなくなれば、レグルスは自分の後継者に、アルタイルを指名するしかない」
「意味がわかりません」
ラスは所詮側室にすぎず、この先政略上他の側室や、正妃だって嫁いでくることになるだろう。
ラスがいなくとも、レグルスが他の女に子供を産ませれば、その子が後継者になるだろう。アルタイルをわざわざ後継者にする必要はない。
「あら、あなた知らないのね。あまり知られていないけれど、レグルスはとても強い魔力の持主なの。普通の魔術師のそれを遥かに凌ぐわ。けれど、強すぎるが故に弊害がある。あれだけの魔力の持主だとね、子供がひどく出来にくいの」
だからマルガレーテは安心していた。
レグルスは傑物で、それを退けることは難しい。けれど、自分の子供がその次に、確実に至高の座につけるとわかっていたからだ。
どれだけレグルスが女を抱こうが、子供は生まれない。
だが、例外はある。
「普通の女じゃ駄目よ。でも、彼に匹敵するぐらいの力の持主なら…そう、あなたみたいなね」
マルガレーテは濃くはなかったが、とある占術師の一族の血を引いている。
故に魔術への理解や、魔力の感知も普通の人間より優れていた。
ラスがガルディアを訪れたその日、マルガレーテは強い魔力の波動を感じていた。波動はその後さっぱり感じ取れなくなったが、マルガレーテは最初からラスのことを強い魔力の持主であると疑っていた。
あの招待状も、それを確かめるためのものだったのだ。
「あの日の茶会の後、あなたに触れた瞬間、それは確信に変わったわ」
事実を知ったマルガレーテはひどく動揺した。
皇太子の側室への寵愛は周知の事実。
急がなければ、近日中に懐妊ということにもなりかねない。
それまでは足がつかぬよう、人を操ったり、雇った人間で襲わせたりなど、決して自分の存在が露見しないようにしてきた。だが、もう一刻の猶予もない。
「それでなりふりかまわず、ですか」
ラスは、自分に向けられる殺気がだんだんと増えて行くのを感じていた。姿を隠しているが、おそらく20人近くいる。皆訓練された殺人術の使い手たちだろう。
「本当に残念だわ、セラスティア。あなたとなら、仲良くできると思っていたのに」
「私も、そうできたらなと思っていました。今からでもこんなことやめませんか?今なら、まだ罪は軽くすみます」
それはラスの本心だった。
母親が自分のために誰かの命を奪おうとする。僅か6歳の子供には重すぎる現実だろう。アルタイルにそんな思いはさせたくない。
「それは、命乞いのつもり?」
「いいえ。純然たる好意からの忠告です。これ以上は…」
「強がりを!黙ってあの子の為に、死んで頂戴!!」
マルガレーテの声とともに、刺客がラスを襲った。
「風よ、汝は見えない枷。我にあだなすかの者たちを捕えよ」
ラスはとっさに、捕縛用の魔術を発動した。
できればことを荒立てずに済ませたかったからだ。
が、それは刺客たちに触れた瞬間、霧のように霧散してしまう。
ラスは驚いたが、あるものを見つけて納得する。
「なるほど…」
刺客たちの指に、同じような指輪がはまっていた。その中央にキラリと光る石。
おそらく、あの指輪に使われているのは反魔石。魔術を無効化する能力を持つそれは、魔術師にとっては鬼門と言えた。
ラスが魔力の持主だとわかっていたのだから、当然魔術の使用を警戒しての対策もしてあるというわけである。
もしかしたらこれもロッソの作品だろうか、という考えがラスの頭を巡った。
マルガレーテがロッソをエレイナに紹介したのなら、当然マルガレーテとロッソのつながりもあるはずである。
真偽のほどはともかく、ラスは絶対に酷い目にあわせてやると、金縁モノクルを思い出しながら誓った。
魔術が使えず、武器もないラスに、刺客たちが襲いかかる。
その凶刃は彼女の体を容易く引き裂くと思われた。
だが、その一瞬後、倒れていたのは数人の刺客たちである。
ラスは、怪我ひとつなくしっかりとその場に立っていた。その右腕に、銀色の剣を握って。
これは予想外だったのだろう。マルガレーテがひどく動揺しているのがラスにはわかった。
剣をかまえ、にやりと笑いながらラスは思った。
感謝すべきだろうか、あの男に、と。
『目立たない武器を身につけておけ』
執務や宴の準備で忙しかっただろうに、わざわざ忠告にきた、けれどやっぱり説明が足りない、あの男。
宴の前にレグルスがそう囁いたからこそ、ラスはドレスの内側にあの赤い石を忍ばせておいたのだ。
こうなることを予想していたのなら、マルガレーテのことも、レグルスは全部わかっていたのだろう。
説明されなかったのは、その価値がないと思われたのか、はたまたわざわざそうしなくても切り抜けられると信用されているのか。
やはり理解できない、とラスは改めて思うのだった。
状況的に、ラスは平和的解決を諦めた。
とりあえずは、自分の命を守ることが先決である。
(この人数を魔術なしで一人じゃ、ちょっと分が悪いか…)
むろん、魔術が完全に使えないわけではない。
反魔石が抑えきれないほど強力な魔術ならば、一発でけりがつくだろう。
だが、反動でこの城ごと吹き飛ぶ危険性が高いため、できるなら使用は避けたいところである。
一人、二人と斬り捨て、その間に別の角度から襲い来る刃を跳ね返し、さらに後ろから向かってくる影をひらりとかわす。
ラスの使う剣は、人を斬っても血が出ない。斬った相手の血を吸い取ってしまう魔剣だからだ。だから彼女が戦っても、不思議と血なまぐさいことにはならない。
この場で血が流れるとき、それは彼女自身の血に他ならない。
ピッとラスの頬に痛みが走った。流れる生温かい感覚。ひらひらするのが災いして細かい傷が無数につき、せっかくのドレスは台無しである。
それでもさらに五人の刺客を沈め、刺客の半分近い人数を戦闘不能にさせていた。
ラスのことを多少魔術が使える程度だと聞いていた彼らは、ようやく認識を改めた。
目の前の標的は、そんな簡単な相手ではないことを。
残りの刺客たちは一斉にラスに襲いかかった。
武器は剣一本しか持たず、しかも動きにくいドレス姿。
回避するにはその動きは遅く、また逃走経路もない。
やった、と刺客たちは思った。
今度こそ、その息の根を止められると。
「また怪我をしたな、どんくさいやつめ」
そう。
そんなことを言いつつ、剣をふるう存在が乱入しなければ。
突然の乱入者は、一度に二人の刺客を斬ってのけた。
「止まるな、動け!」
叱咤するような声にラスもまた剣をふるい、乱入者が刺客を倒したことでできたスペースを利用し、迫りくる刃を回避した。
死角がなくなるよう、お互いの背をあわせ敵と対峙する。
背中合わせの存在に、ラスは自然と笑みがこぼれた。
「女の喧嘩には首を突っ込まないんじゃなかったのか?」
「女同士のならな。どう考えても違うのが乱入してきているだろう?」
現れたのは、相も変わらずラスの理解を超えた、彼女の夫たる人物だった。