13
最近皇太子がご執心の側室。
戦敗国から来た彼女の姿を知る者は、実はそんなに多くは無い。
彼女の立場上公の場には出てこないことが、いろいろな噂が立つ原因になっていた。
皇太子を夢中にさせるくらいの妖艶な美女だとか、逆におそろしく珍妙な姿をしていて皇太子が面白がって側にいさせているだとか。
中には側室の正体が実は魔女で、怪しい術で皇太子を虜にしているなどというのもある。まあ最後のは大体、いや、あの皇太子に限ってそれはない、という結論に達するのだが。
なんにしても、皇太子の側室は貴族たちの注目の的だった。
一体どんな人物なのか。そして利用価値はあるかどうか。
皇太子に焦がれる貴婦人たちは、一体どんな女か見定めてやろう、隙あらば蹴落としてやるという気持ちであった。
宴は本来の意義も忘れ、品評会もどきになりつつあった。
まず姿を現したのは皇帝夫妻である。
覇気を失った皇帝と輝かしい美貌の皇妃のとりあわせは非常にミスマッチだったが、誰もそのことについては今更過ぎて触れなかった。
続いて現れたのが今日の大本命、皇太子とその側室だ。
その瞬間、会場はシンと静まりかえった。
夜の闇と月の光のような見事な一対。
皇太子という立場上、レグルスの横に美女が寄り添う図など珍しくは無い。
しかし、今夜はどこかいつもとは違った。
並ぶ皇太子とその側室は、ひどく自然なのだ。まるで隣り合うことが当たり前のように。
それはラスが他の女たちのように、一歩控えてレグルスについて行くような女ではなかったことも一因だっただろう。
公式の場に初めて姿をあらわしたその一対は、多くの人の目にやきついたのだった。
「すまないな。今夜は踊る相手は一人だけと決めている」
レグルスにそう言われ、泣きそうになって去っていく少女の背を見ながら
「おい」
周囲に聞こえないように、ラスは小さな声で言った。
「今、俺のこと、ダンスを断る言い訳に使っただろ」
「パートナーがいるなら、至極当然のことを言ったまでだ。大体お前、俺以外の男と踊る気なのか?」
どうせ歯の浮くようなセリフを言って、おまえに取り入ろうとする奴らばかりだぞ、というレグルスの言葉に、ラスはちょっと考え込む。
確かに正論である。好き好んで不快な気分になることはない。
レグルスがそういう考えなら、自分もそれを利用させてもらおう、と。
無意識に、他の男といるよりはレグルスのほうがいい、と考えていることにラスは気付いていなかった。
ついでにいうなら、レグルスがラスを他の男と踊らせる気がないのだ、ということにも。
レグルスとラスは一緒に行動し、主だった貴族との顔合わせを行っていった。
途中でアノンやニールとも会い、ニールからはシュニアがどうすればダンスを踊ってくれるのかしつこく聞かれたが、適当にごまかして終わった。
自分で道は切り開くものである。
ちなみに、たまには侍女たちも羽を伸ばせるよう、彼女たちとは別行動である。
歩いている途中、ラスは突然体勢を崩した。
「うわ」
足を引っ掛けられたのだ。先ほどすれ違った女が、含み笑いをしながら去っていくのが見える。
ラスは体勢を立て直そうと思えばできた。しかし、病弱でひ弱なお姫様ならば、そのまま倒れてしまうのが普通だ。
怪我しないよう、不自然に見えない程度に受け身を取ろうと思っていたラスの体を支えたのは、レグルスだった。
その瞬間周囲がどよめいたりしていたのだが、レグルスもラスも気にとめなかった。
「気をつけろ」
おそらくそれは、ただ足元に注意しろ、ということではなかっただろう。
さっきの行為、レグルスほどの男が気付かないはずがないのである。
「ガラの悪い傭兵たちを束ねることはできても、貴族の令嬢相手の立ちまわりは苦手か?」
耳元で囁かれる声。
傍からみれば、心配しているように見えるのだろう。
「男と違って、怪我させるわけにはいかないだろ」
「弱気だな」
「寛大だと言ってくれ」
きっぱりと言いきったラスが面白かったらしく、レグルスはくすりと笑った。
政治関係者と話があるらしく、しばらくしてレグルスが離れて行った。
途端に自分に集まる視線。
ラスは嫌な予感しかしなかった。
「分不相応な格好ですこと?殿下に媚びて買っていただいたのかしら」
「何よその態度。殿下を独占でもしているつもりなの?たかが側室の分際で!」
「小国出身の分際で、私たち帝国貴族の娘を差し置いて、図々しいのよ」
あっと言う間に、令嬢方にかこまれてしまったのである。
別にこの程度なら大したダメージはないだろうが、この分だとどれだけ長く続くかわからない。
先ほど寛大だ、とレグルスに宣言した手前、どうするべきかラスは非常に迷う。
「セラスティア!」
「マルガレーテ様」
その場に現れたのが、皇妃マルガレーテである。
「どう、楽しんでいるかしら?困ったことはない?」
「はい、お気遣いありがとうございます」
「そうだ。あの花の浮いた硝子の玉、アルタイルに見せてもらったの。とても綺麗だったわ。ありがとう、セラスティア。あなたに頼んでよかったわ」
「いえ。喜んでいただけたなら、幸いです」
ラスとマルガレーテがにこやかに談笑する。
さすがに皇妃の前では下手なことができないと判断したのか、集まっていた貴族の令嬢たちは散り散りになっていった。
「ありがとうございました、マルガレーテ様」
マルガレーテが来てくれなかったら、いつまで続いていたか知れない。
「あの子たち、あなたのことを僻んでいるのよ。あなたがレグルスに気に入られているから。気にしちゃダメよ」
「はい」
「そうだ。気分を変えるためにも、一度外に出てみたら?月が綺麗よ」
マルガレーテの勧めもあって、ラスは一度会場の外に出てみることにした。
空は雲がほとんどなく、見事な満月が庭を照らしていた。
何気なく歩いていたラスだったが、水音に誘われて噴水のところまでやってきた。
その前に、一人の女が立っている。
「ようこそいらっしゃいました、セラスティア・アロン」
「失礼ですが、どなたでしょう」
黒髪の美しい女にラスは問うた。
見た覚えのない顔だった。しかも、ラスが来ることが分かっていたような様子である。
「私の名はエレイナ・グールズ。私は今夜を待ちわびていたのです」
「今夜?」
「そう。あなたを殺す、この満月の夜を」
そう言うと女は右腕をあげ、手に持っていた魔石に月光をあてた。魔石が淡く緑の光を発する。
その瞬間、ラスの右手に痛みが走った。
そこにあったのはツタのようなデザインの腕輪だったはずだが、いつのまにかそれは無数の刺をはやして茨のように変わっていた。女の持つ魔石に呼応するように、腕輪に嵌められていた石も淡く発光していた。
刺がラスの肌に突き刺さり、少なくない量の血液が流れ出す。
おそらく、月の光に反応して発動する呪いだったのだろう。
手首の血管を傷つけ、苦痛と出血で死へといざなう。
くらりとめまいがしたことから、刺には毒の作用もあったのかもしれない。
ラスが腕輪を外そうと手を伸ばすと、その行動さえもエレイナ嘲笑した。
「無駄ですわ!一度呪いが発動すれば、死ぬまでそれは外れないのです」
毒と出血のせいだろうか、弱ったようにふらつくラスの姿を見て、エレイナは気分が高揚した。あともう少しで邪魔者が消える、と。
よわよわしい声でラスは問うた。
「どうして、こんなことを…」
「あなたが身の程知らずにも、あの方のおそばに侍っているからですわ!」
(あの方って、あの男以外にないよな…)
ラスは、不遜な態度の、黒髪と緑の瞳をもつ男を思い出す。
「あなた、あなたさえいなければ、私があの方の側室になるはずだったのに!!」
レグルスはガルダ帝国という大陸最大の国の皇太子だ。
本人が17歳ということもあり、正妃に関しては何度も何度も再考され、未だ婚約者も決定していない状況だった。
女遊びは激しくても、決まった相手がいるわけではない。レグルスが武人であることからも、なるべくはやく世継ぎを、という声が高まり、せめて一人でも側室をもってもらおうと貴族の娘の中から候補者が選ばれていた。その第一候補がエレイナだったのである。
皇太子に焦がれていたエレイナは、有頂天になっていた。
しかし、エンダスとの戦争後、レグルスは戦敗国の姫を自分の側室として召し上げた。しかもそれまでの女たちと違い、ほぼ毎夜通い続ける熱心さ。
本来ならば、自分がそうなっていたはずなのに。
あの女、エンダスから来たあの女が、自分の居場所を奪ったのだ。
あの女さえいなければ…
ラスが来る前に呪いを発動しなかったのは、もちろん他の誰かに見られず確実に殺すためでもあったのだが、エレイナ自身がラスが苦痛に苦しむ姿をみたいと思っていたからだ。
それほどまでに、エレイナの中で燃える嫉妬の炎は苛烈だった。
「そんなになりたいもんかね、あんな男の側室なんか。あいつが本気で好きならさ、側室って意味わかってる?所詮妾だよ。正妻じゃないんだから、女として正当な所有権なんか主張できやしない」
ラスは、静かに落ち着いた瞳でエレイナを見詰めた。
彼女の口調は、それまでの姫君らしいものから、普段のものに変わっていた。
「だ、黙りなさい!皇太子殿下のご寵愛を受けているくせに!しかも、あのイヤリングまでもらって…」
「…イヤリング?」
「とぼけないで!皇族の方々がもつ、誓いの印のことよ!!身分に関係なく生涯唯一と決めた相手に片方を渡す、皇族の方の瞳と同じ色の宝石を使ったイヤリング。最近のあの方はいつもそればかり身につけて…あなたがもう片方を頂いたのでしょう!!」
もしかして、とラスは思った。
最近レグルスがよく身につけている、あの片方だけのイヤリングのことだろうか。
「えっ、ちょっとそれは誤解…」
「うるさい!もういいわ、本当に殺してあげる!!」
呪いは月の光で発動する。
このままでも放っておけば死にいたるが、より呪いを強める方法もある。
水に映った月。魔石をその中央に投じれば、呪いはより強くなり、刺はもっと深く突き刺さる。刺の毒は全身に廻って動けなくなり、何も出来ぬまま痛みと死の恐怖を味わって、少しすれば本当の死が訪れる。
エレイナは噴水の中に浮かぶ揺れる月に向かって、魔石を投げた。
緑色の魔石は、弧を描いてその中央へと落ちて行く。
バシャン
突然、影が飛び込んだ。
影の正体は、一人の少女だ。
噴水に飛び込んだため、水しぶきで全身ずぶぬれで、けれどその手の中にはエレイナが投げいれようとした魔石がしっかりと握られていた。
少女のつけている白い花の髪飾りが、月夜に照らされ輝いた。
「フィリーナ」
ラスは、噴水の中に立つ少女の名前を呼んだ。