12
レグルスは手の中にある紙片を読み、口の端を釣り上げた。
「なるほどな」
とあるすじからの、確かな情報である。
どうやら事態が動き始めたらしい。
「いよいよだ…」
「わぁ、すごい!」
ラスから渡されたものに、アルタイルは飛び上がって喜びをあらわした。
アルタイルの両手に少し余るくらいの透明な硝子の玉。中に黄色い花が浮いている。
それは、先日アルタイルがラスに預けた黄色い花だ。萎れてしまったそれをラスが魔術で加工し、硝子の中に閉じ込めた。これなら枯れることなく、美しい花がいつでも見られる。
「これをあげるから、もう授業を抜け出すのはなし。いいですね殿下?」
「うん!ありがとう、セラ」
大事そうに手の中に玉を抱え、廊下を走っていく子供の後ろ姿を見て、自然とラスの口元がほころんだ。さっそく母親の元にむかったのだろう。
転ばないか心配になったが、護衛の女騎士がこっそりついて行くのが見えたので大丈夫だろう。
「子供っていいなぁ」
「なんだ、欲しいのか?」
突然の声に驚き振り返れば、扉にもたれかかるようにしてレグルスが立っていた。
(相変わらず気配が読めないやつだ…)
神出鬼没で心臓に悪いことこの上ない。
「最初は男がいいな。世継ぎは必要だ」
ラスの驚きも意に介さず、レグルスはうんうんと勝手にうなずく。
「それは俺への要望なのか?つーか俺に産めと?」
「当たり前だ。おまえ以外に誰が産むんだ?」
ラスの言う意味こそがわからないとばかりに、レグルスはそんなことを言う。
「つーかおまえ、なんでここにいるんだ?」
呆れたラスは半目でレグルスを見やった。
今でもレグルスはほぼ毎日ラスの部屋に来るが、それは夜に限ったことで、昼間に現れたことはなかった。
「休憩時間だ。俺が来るといけないのか?アルトだって来てるだろうが」
じとりと睨むレグルスは機嫌が悪そうだ。
ラスが来訪の理由を尋ねると、大体こういう顔になる。
発言に出てきたアルト、とはおそらくアルタイルのことであろう。
「あの子は、俺のことを気がねなく遊べるいい相手だと思ったらしい。ときどきここに来るんだ。つーかおまえ、仲いいのか?あの子と」
「まあ、悪くは無いな。といっても、たまに相手をしてやるぐらいだが」
(いや、それだけでも十分意外過ぎる…)
この傍若無人な男が、子供と一緒に遊んでいるところなど、ラスには到底想像できなかった。
先ほどの発言といい、案外子供好きなのだろうか。
「今夜だろう。準備はいいのか?」
レグルスが言った。
今夜がアンタレス大帝の生誕記念の宴である。
折よく満月にあたり、天気もよさそうなので、今夜は良い月夜になるだろう。
「出来が心配で見に来たのか?」
「そうとも言う。嫌というほど視線を浴びる事になるんだから、精々頑張って作るんだな。外見も中身も」
俺に恥をかかせるなよ、とレグルスはにやりと笑った。
わかりやすい挑発である。
だが、ラスはあえてこの挑発に乗ることにした。
「絶対度肝抜いてやるから、楽しみにしてろ」
ビシッとレグルスの目前に人差し指を突き付ける。
ラスも案外負けず嫌いだった。
「ああ。期待しておく」
レグルスはそんなラスの様子に軽く笑い、そのままラスの横を通り過ぎていく。
「 」
「えっ…」
すれ違いざま言われた言葉に、ラスは驚いた。
「マジかよ…」
ぽつりとつぶやいた一言は、誰にも聞かれることなく空気に溶けた。
「この役立たず!」
黒髪の女は、ひざまずく少女を罵った。
「申し訳ありません」
少女の声は固く、感情を凍らせたような冷たい目をしていた。
その目を見て、一瞬女はひるんだ様子を見せる。
「あ、あなた、やる気はあるの?下手な真似をすればあなたの家族は…」
「承知しております」
少女は家族を人質にとられている。
そんなこと、いまさら言われずともわかっていた。
「ま、まあいいわ。今夜にはあの目障りな女もおしまいですし」
そう言って女はうっとりと手の中にある緑色の石を見つめる。
「時間がないわ。おまえは一刻も早くあれを見つけ出しなさい」
「はい」
少女はそう答えるしかなかった。
一瞬銀髪の女性の顔が思い浮かび、拳を強く握り締めた。
銀色の髪は、一部三つ編みにして冠のように頭に巻き、あとはゆるくウェーブがつけて流している。
浅葱色のドレスは、デザイン自体はシンプルなものだったが、動くたびにひらひらと揺れる裾が人目を引き、胸元は大胆にあいている。明りの当たりぐらいによって、縫い込まれた銀糸がときどきキラリと光を放った。
首飾りにはラスの瞳と同じ青い宝石が使われ、右腕にはラスが自分で選んだ金の腕輪が嵌まっていた。
「「「お綺麗ですわ、姫様」」」
できあがったラスの姿に、侍女三人娘はそろって同じ言葉を発した。
言ってからお互いの顔を見合わせて笑いあう姿に、ラスにも自然と笑顔が浮かぶ。
「ありがとう。あなたたちもその髪飾り、よく似合っているわ」
ラスがそう言うと、三人は一斉に顔を赤くした。
結局、彼女たちは同じ種類の髪飾りを色違いで選んだ。
セシルは青、マリアは赤、フィリーナは白。
髪飾りはそれぞれの髪に映え、よく似合っていた。
「姫様、皇太子殿下がお見えです」
レグルスの来訪をシュニアが告げた。
いつもはきっちり髪をまとめているシュニアも、今夜は髪を右側であげて顔の横から胸元まで美しい赤い髪を流していた。ちらりと見えるうなじが色っぽい。
レグルスは勝手知ったるといった感じで部屋に入ってくる。
が、ラスの姿を見た瞬間、動きが止まった。
「あら殿下、迎えに来てくださいましたの?」
そうラスがきいても、レグルスから反応がない。
そういえば、姫君モードでレグルスに接するのは初めてだということに気付いた。
(こいつには、最初から素で対面だったからな…)
あまりの変身ぶりに、驚きのあまり声もでないといったところだろうか。
レグルスに対して、ラスは初めて勝ったと思えた。
「完璧な出来でございましょう?」
にこやかに笑い、ラスはレグルスの前に立った。
レグルスは、悪戯っぽく笑うラスの目に、ようやく目の前の人物を現実として認識したようだった。
あっさりと負けを認める。
「ああ、惚れ直した」
「……はい?」
ラスは一瞬幻聴が聞こえた気がしたが、それ以上思考する前にレグルスが手を差し出す。
「いくぞ」
「…はい」
目の前にある手を、迷わずラスはとった。