11
闇の中、向き合う二つの影があった。
一人は女。
絹のような艶のある黒髪を結いあげた美しい女性。
彼女の座る椅子の横には二つの燭台。揺れる燭台の明りが彼女の秀麗な顔を浮かびあがらせる。
もう一人は男。
女より少し離れた場所で、膝を折り、頭を下げている。
「間違いなく、あれはあの女の手に渡ったのですね」
「はい。こちらがお勧めする前に自分から手に取られまして。買い取られてひどく満足そうなご様子でした」
「見る目のないこと…やはりその程度の女ということですね」
女は思惑通り事が進んでいることにほくそ笑んだ。
これで邪魔者を排除できる、と。
「ああ、それにしても。できることなら今すぐにでもあの女を殺してやりたい」
「焦ることもないでしょう。あまり急いては失敗につながります」
「確かに、そうですけど…」
「あれが一番効果を発揮するのは、満月の夜。どうかそれまでご辛抱を…」
一瞬強く燃え上がった蝋燭に照らされ、金縁のモノクルがキラリと光を反射した。
ラスに、茶会の招待状が届けられた。
「お茶会…ってあれか?女がより集まってお茶を飲みつつ、人の悪口を言ったり、噂話を邪推してみたり、時にはその席に嫌いな人を呼んで針のむしろ状態にする、あれか?」
「ラス。あなたがお茶会にどんなイメージを持っているのかはよくわかりました。あながち間違ってはいませんが、要するに高貴な女性方の社交の場です」
普段あまり公の場へ出ることのない貴婦人たち。茶会はそんな女性たちが人脈を作る絶好の機会である。
意外にこれが侮れない。
重要な情報の交換や様々な事柄への根回し。うまく立ち回ることができるかどうかで、それぞれの一族の繁栄に大きく影響すると言っても過言ではない。
勿論、ラスが言ったような一面もある。
力を持つ女性に睨まれるようなことになれば、狭い女の世界だ。簡単に孤立する。
だからまず、自分より高位の人物から招待は断らないし、断れない。
「なんでまた皇妃が俺なんかを招待するんだ?」
招待主は皇妃マルガレーテ。
皇帝の現正妃から、セラスティア宛に招待状が届いたのだ。
「そんなこと、私が知るわけないじゃないですか」
皇妃の名を見たとき、ラスとシュニアは首をひねった。
呼ばれる理由が思い当たらなかったのだ。
マルガレーテは皇帝の三番目の妻で、レグルスの義母にあたる。
直接血のつながりのない息子の側室を招待しようとする目的が見えない。
何にしても断れる立場にラスはない。
首をかしげながらも、侍女三人娘を連れて皇妃の元へ赴くことになった。
ちなみに、シュニアには所用を頼んだので今回は同行しない。何かあってもラスは一人で対処しなければならないが、場所は皇妃が住まう後宮の一角だ。少なくとも刃傷沙汰にはならないだろう。
皇妃マルガレーテは今年で22歳。三番目の妻であるため皇帝とは親子ほども年が離れている。
本物の金を梳いたような見事な金髪に、とろりとした蜜色の瞳をもつ美女であった。確か子供が一人いるはずだが、とてもそうは見えない。
「もうこの国には慣れましたか?隣国とはいえ、エンダスとは違う風習もあるでしょうし、お体が弱いと聞いて心配していたのですけれど、お元気そうでよかったですわ」
(そういえば、俺、病弱設定だったな…)
いまさらながらラスは思い出した。
エンダス公宮を留守にすることが多かったラスは、あやしまれないように病弱で部屋から滅多に出てこないという、あまりに自分とかけはなれた姫君像を作っていた。
どうやらマルガレーテはそれを信じて、ラスの身を心配していたらしい。
少しだけ罪悪感を感じるラスだったが、まさか本当のことをいうわけにもいかない。無難に、心配してくれたことと茶会に招いてくれたことに感謝を述べた。
マルガレーテは高貴な身分の女性であり、本人もその品格をそなえた人物であったが、決して堅苦しくはなかった。
彼女はラスに故郷の話をせがんだ。なかなかの情報通でもあり、逆に帝国のことについてラスにいろいろなことを聞かせてくれた。
最近注目の話題を口にしても、人の悪口は言わないところに好感を持てた。また、ラスへの態度も身分が下の女友達へ対するようで、久方ぶりにまともな扱いを受けて、ラスは心穏やかにその時間を過ごすことが出来た。
しばらくはそうして談笑が続いた。
すると、一人の侍女がやってきて、マルガレーテの耳元で何かをささやく。
それを聞いてマルガレーテは少し顔をこわばらせた。
「ごめんなさいね、セラスティア。少し席を外してもいいかしら?」
せっかく来てくださったのにごめんなさい、とマルガレーテは申し訳なさそうに言う。
急を要することがおきたのだろう。
「それなら、ここのお庭を見させてもらってもいいですか?実はちょっと探検してみたいと思っていたんです」
ラスは片目をつぶり、少しだけ悪戯っぽく笑った。
気にしないでほしいというラスの気持ちの表れだったが、マルガレーテにもそれは伝わったようだ。
「ありがとう」
安心したようにマルガレーテは去って行った。
その後ろ姿は心なしか急いでいたように見えた。
「セシル、あの花は何というのですか?」
背が高く、薄紅色の花弁が美しいその花をラスは指差した。
「あれはカルメニアといいます。他の花より一段背が高く、菱形の葉と薄紅色の花が特徴です。春から夏にかけて咲き、切り花としても長持ちするので、鑑賞用によく好まれます。花も美しいですが、食用にもなって、葉は甘みがあっておいしいそうです」
まるで辞書を引用したような説明である。
見た目の通りというべきか、セシルは博識であった。その知識は礼儀作法のみならず、様々な分野に及んでいる。
「えっ、じゃあ食べられるの、あれ?」
セシルの言葉に食いついたのはマリアだった。
マイペースな彼女は、細い体に似合わず大食いだ。普段の生活でも色気より食い気である。
「食べられるわ。でも庭の植物を私用で採取するのは、宮廷法第34条の第2項に違反するわ」
「ちょっとぐらいいいじゃない。誰も困らないわ」
「規則は規則です」
きっぱり言い切るセシルと、頬を膨らませるマリア。
「あーあ。フィリーナに料理してもらおうと思ったのに…」
マリアはひどく残念そうにそう言う。
指名を受けたフィリーナは困ったように笑っていた。
彼女は料理上手で、よくマリアにねだられてお菓子などを差し入れたりしていた。
ラスは侍女たちのじゃれる姿を少し離れて見守っていた。
仲がいいようでなによりである。
突然何かに引っ張られるような感覚。
ラスが後ろを振り返れば、そこにいったのは子供だった。
ラスのドレスの裾をつかんでいる。引っ張られたのはこのためだろう。
綺麗な金色の髪をした子供。
年はまだ精々5、6歳といったところだろうか。
身なりはいいので、それなりの身分の子供なのだろう。
右手はラスのドレスをつかみ、左手には小さな花をが数本握られている。
ラスの顔を見て、子供はひどく慌てた様子だった。
「ごめんなさい。ドレス着てたから、間違えちゃった…」
そこでようやく侍女三人娘はラスの状況に気がついた。
「姫様に何をしているの!」
「どこの子供かしら?」
「僕、お名前言える?」
口々に尋ねる侍女たちにすっかり子供は萎縮してしまった様子で、ますます強くラスのドレスを握り、彼女の後ろに隠れようとする。
ラスは子供の手をとると、膝を折って子供と目線を合わせた。
「初めまして。私はセラスティアと言います。今日ここに招かれた客人です。あなたのお名前をきいてもいいかしら?」
子供はうつむいたまま、ごめんなさいと小さく呟いた。
「何か名前が言えない事情でもあるの?」
ラスがそうきけば、黙ったままコクリと子供がうなずく。
「さっき、私と誰かを間違えたわね。探し人がいるの?」
「殿下!」
廊下を響く大きな声。ばたばたと近づいてくる足音。
「…殿下?」
ラスは嫌な予感がした。ちらりと金色の頭を見る。
「ああ~見つかっちゃった!」
子供は、悪戯が見つかったみたいな顔をした。
「殿下!アルタイル殿下!!」
走ってきたのは、騎士服姿の女性だ。
鼻息荒く、全身から怒りのオーラが満ちている。
「ミーシャ…」
「殿下!授業を抜け出して…教師が困っておりましたぞ」
「だって、母上にお会いしたかったんだ…」
「このガルダ帝国の皇子ともあろうお人が、そのようなことでどうします。将来この国を背負って立たれる身なのですから、お寂しくても我慢なさってください」
「あのう…」
(この場合俺はどういう反応をするべきなのだろうか…)
困った顔でラスは女騎士に声をかけた。
女騎士は、たった今ラスたちの存在に気付いたような様子だった。
ラスが子供と一緒にいた事実に、自然と彼女の口調は固くなる。
「失礼ですが、あなたは?」
「私は皇太子殿下の側室でセラスティアと申します。本日は皇妃殿下のお招きでこの後宮に参ったのです。お庭を見させていただいていたら、偶然この子に出会って…」
「これは失礼を。私はアルタイル殿下の護衛をしております、ミーシャ・レインと申します」
(ああ、やっぱり…)
金髪の子供は、マルガレーテの息子。
第6皇子アルタイル。レグルスの異母弟だ。
「あなたの名前、アルタイルっていうのね」
「黙っててごめんなさい。でも名前を言ったら、ばれちゃうと思ったから…。それに、みんな僕が皇子だって知ると、よそよそしくなるし」
ばつが悪そうに、アルタイルは謝った。
堂々と開き直ることもできるだろうに、幼さゆえかひどく素直だ。
それに、名乗らないのはけっして間違った行動ではない。
彼の立場を考えれば、そこかしこで自分の名前を教えるより、余程賢明だろうとラスは思う。
気にしないで、と子供を安心させるように笑う。
「勉強抜け出して、マルガレーテ様に会いに来たの?」
「うん。悪いことだってわかってるけど、でもどうしても会いたくて…」
「その花を渡しに?」
アルタイルが握りしめていた黄色の花。
彼と彼の母親がもつ色と、少しだけ似ている、それ。
赤くなってうなずいた子供。
アルタイルが母親を思う様子に、ラスはほほえましく思った。
少しだけ、手を貸してあげたいとも。
「ミーシャ殿、といいましたね。もうすぐお昼ですけれど、まだ殿下のお勉強は続くのですか」
「いえ。そろそろ食事の時間ですので、一度休憩になります」
「では、あと少しだけ。マルガレーテ様にお会いして、それを渡すぐらいの時間はありますね」
「本当?いいの?」
「もちろん、ミーシャ殿が許してくだされば、ですけど」
ラスがどうだろうと視線で問えば、ミーシャは渋々うなずいた。
できれば今すぐ連れ戻したいと思ったが、実際今から戻っても勉強する時間はほとんどないからであった。
もっとも、わざわざマルガレーテを探す必要はなかった。
彼女の方からこちらに来てくれたからだ。
「アルタイル!」
高貴な女性らしくなく、焦った様子でマルガレーテは子供に走り寄り、ギュッと抱きしめた。
「母上!!」
「急にいなくなったと聞いて、心配しました。無事でよかった…」
「心配掛けて申し訳ありません、母上」
アルタイルは、母親を心配させたことで少し落ち込んだ様子だったが、それでも母に会えた嬉しさを滲ませていた。
「アルタイル殿下、母上様にお渡ししたいものがあったのでは?」
そう言ってミーシャが促す。
「はい。あ、でも…」
先ほどまでは嬉しそうにしていたアルタイルは、急に言葉を濁らせる。
よくよく見れば、彼が持っている花はずっと握りしめていたせいでくたびれてしまっている。贈り物というには、いささか問題があるかもしれない。
「これを私に渡したかったのですね。ありがとう、嬉しいわ」
マルガレーテは、花がみすぼらしくなってしまったことを気にした様子もなくそれを受け取り、とても綺麗な顔で笑った。
本当にうれしそうで、彼女の息子への愛情がよくあらわれていた。
先ほどラスとの茶会を中断したのも、いなくなった自分の息子を探すためだったのだろう。
「マルガレーテ様、アルタイル殿下。もしよろしければ、そのお花、私に預けていただけませんか?」
ラスの申し出に、マルガレーテたちは目を丸くした。
「えっ?」
「せっかくの殿下からの贈り物ですもの。このまま枯れさせてしまうのも忍びないです。形を残す方法に心当たりがあるので、もしよろしかったら」
「お願いします!」
そう言ったのはアルタイルだった。
母親は喜んでくれたが、彼なりに自分の贈り物に関して思うところがあったのだろう。
マルガレーテもその気持ちがわかったようである。
「じゃあお願いするわ」
「はい、承りました」
そう言って、ラスはマルガレーテから花を受け取る。
その瞬間、何故かマルガレーテはひどく驚いたような顔をした。
「マルガレーテ様?どうかなさったので?」
「あ、いえ。嫌だわ私ったら。ちょっとぼんやりしていたの。楽しみにしているわ、セラスティア」
「ええ、お任せください」
そのまま特に問題がおこることもなく、ラスたちは後宮を後にした。