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「なかなか頭の回る方のようだったな」
退室したアノンとニールは二人並んで廊下を歩いていた。
「うん、しかも美人だしな。俺はあの侍女の子の方が好みだけど」
「そんなことだれが聞きている。しかもいろいろと不敬だぞ」
「姫さんが好みの方が問題だろ。俺はレグルスに睨まれたくなんかない」
「………」
ニールの言葉にアノンは沈黙した。
確かに騎士団長が仕える主の寵姫に横恋慕、は笑えない。
ゴシップ好き連中の餌食だ。
「でも、わりとふつーのお姫さんに見えたけどな」
「…そうだな。あの手のタイプなら、今までいくらでもいただろうに」
レグルスはあの姫のどこをそんなに気に入ったのだろう、と側近二人は首をひねった。
ガルダ帝国の未来を担う重要な二人は、けれどラスの鉄壁の演技に、知らぬうちに敗北を喫することになっていたのであった。
「宴の準備とか言ってたが、ありゃそれにかこつけて俺のことを見に来たんだな」
新しいドレスに着替えながらラスはそう言った。
これからアノンの紹介で商人が来る。宴に必要なドレスや装飾品を買うためだったが、こうやって会う相手によって服装を変えたりしなければならないのは面倒だった。
手伝う侍女はシュニアだけで、他の3人は別の仕事のために退室している。
ラスは皇太子の側近二人の思惑をきちんと見抜いていた。
ラスの意見にシュニアもうなずく。
「そうですね。すみません、ラス。あの騎士団長だけでもやっぱり途中で始末しておけばよかったですね」
「おいおいシュニア。さすがにそれはまずいって」
「問題ありません。記憶いじる方法ぐらいいくらだってあります」
「………」
だんだんシュニアのダークサイドが強くなっていると思わずにいられないラスである。
「そんなに嫌だったのか、あのニールとか言う騎士団長…」
「人のことずっとじろじろ見て…何様のつもりなんですか、あの人。それに、ナンパ男なんか嫌いです」
怒りに満ちた表情のシュニア。美人な彼女はそんな顔さえも美しかった。
騎士団長はこういう気の強い女性が好みなのだろうか、とラスは思う。道は険しそうだが。
(しかし珍しいな。エンダスじゃセクハラ発言されようが、まったく相手にしてなかったのに…)
それでつけられたあだ名が『絶対零度の炎華』である。
逆にいえば、一応気にされている分、もしかしたら脈がないこともない、かもしれない。
「まあ落ち着け。今度男の格好したら、シュニアの好きなセリフ言ってやるから…」
「仕方ないですね。あ、内容は妥協しませんから」
あっさりとそれでシュニアの怒りが霧散するのがわかり、やっぱりないかも…と思ってしまうラスであった。
やってきた商人はせいぜい20代後半といったところの、若い男であった。
やせ形のひょろりとした体形。まだ若いのに、紺色の髪の中、ところどころ白髪がまじっている。金縁の右目のモノクルがきらりと光った。
「お会いできて光栄です、セラスティア様。私はヴニーズ商会のロッソと申します。このたびはセラスティア様の御身にふさわしい、厳選したものばかりをご用意いたしました。どうぞ手にとってご覧ください」
正直言って、ラスはこの手の買い物が得意でない。
というより、最初から興味が持てなかった。
季節や行事の内容、自分の年齢や地位で細かく決められた制約事項。見苦しくなきゃどれでもいいだろ、と思ってしまうラスには覚える気がどうしても湧かなかったのだ。
シュニアの方もそれを心得ていて、てきぱきと商人と話を進めていく。
一応ロッソはラスに向けて説明しているのだが、それは持ち前の演技力で聞いているふりをする。
実際はちょっとぼんやりなラスは、ふと並べられた装飾品のうち、あるものに目がとまった。
熱弁をふるっていたロッソは、流石商人と言うべきか、ラスの様子が変わったことに目ざとく気づく。
「流石にお目が高いですね、セラスティア様。それは我が商会の新商品。我が商会は魔石加工の特許を取得しており、これはその技術をふんだんに使った守りの腕輪なのです。もちろん魔石以外の素材やデザインにもこだわった逸品です」
魔石とは大地の魔力が結晶化したもので、特に魔術師間でよく取引される代物だ。
様々な色目が現れるその石は、貴族や王族にも人気がある。
だがその加工は非常に難しく、装飾品には向かないと言われていた。
差し出されたそれを、ラスは受け取る。
女物の腕輪だ。
金でできたツタを絡めたようなデザイン。よくよく見れば細かく掘られた細工の中に、魔術文字の意匠が用いられている。おそらく、これが守りの腕輪の所以だろう。そこに緑色の魔石が大きいものが一つ、小さいものが二つ嵌めこまれている。
「素晴らしい出来ですが、これだけのものになるとかなりお値段がはるのでは?」
元々、貴重な魔石は高価だ。
不精なラスが珍しく気に入ったものなら、シュニアとしてもそれを買い取りたいのはやまやまだが、一応予算と言うものがある。
「侍女殿のおっしゃるとおり。ですが大陸屈指の帝国、その皇太子殿下のご寵姫相手であれば、我が商会としてもいろいろと便宜を図らせていただきますとも。私どもは今後とも末永いおつきあいをさせていただきたいと思っておりますから」
「まあ、抜け目のないこと」
あながち演技でもなく、ラスは軽やかに笑った。
こう言った商人のわかりやすいやり口は、案外嫌いではない。
結局腕輪は買い取ることになった。
ドレスや主な装飾品も決まり、そろそろ終わるかなとラスが考えていると、今度はちょこちょこと動きまわる三つの髪色を目にとめる。
年若い3人の侍女たちは、先輩のシュニアに対し口をはさむこともできないので、主に並べられた商品を見て楽しんでいるようだった。
栗色の髪の少女が何かをじっと眺めている。それは白い花をかたどった髪飾り。
「フィリーナ、それが気になっているのですか?」
「ひ、姫様。えと、あの、綺麗だな…と思いまして」
「だったらついでに買い取りましょう。今度の宴の時には、その髪飾りをつけた姿を見せてね」
「そ、そんな滅相もありません!こんな高価なもの…」
「いいのです。あなたたちが頑張って働いてくれているので、とても助かっています。だから、たまにはご褒美もないとね?」
悪戯っぽく笑うラスを見て、少女は頬を赤く染めた。
「セシル、マリア。あなたたちも好きなものを選びなさい。一つだけですけど」
他の二人に向けてもラスは告げる。
「本当ですか、姫様!?」
「ありがとうございます、姫様!」
嬉しそうにどれにしようかと言いあう侍女たち。
「姫様、本当にありがとうございます」
フィリーナは頬を真っ赤にして礼を言った。
「これからもお仕事頑張ってね」
コクリとうなずく栗色の髪の少女に対し、その頭を撫でてやりたくなる衝動に駆られたラスだったが
「…姫様、私に対しては何もないんですか?」
心なしか若干室温が低くなった気がした。
「シュ、シュニア…あの、別に忘れていたわけじゃないのよ。あなたのは今度、今度私が選んで贈るわ。シュニアには本当にお世話になってるもの。だから時間をかけて選んであげたいし、私からプレゼントさせて、ええぜひ」
慌てて取り繕うラスを、若干冷めた目で見るシュニア。
「まあ、いいでしょう」
それだけ言うと、またロッソとの交渉に戻る。
(あ、危なかった…)
なんとか許されたようで、ラスは安心して息を吐いた。
もっとも、プレゼント選びは慎重にしなければならないが。
女の友情は、ひび割れると時に男女の仲より厄介なものなのである。