三度目の発令
どのくらいの距離を走ったのか。気がつくと、全く知らない狭い路地へと来ていた。疲れのあまり走る事を止め、膝に手をつく。堪らず咳き込む。そしてゆっくりと呼吸を整え、辺りを見回した。
技術都市と思えないほど、乱雑に連なった雑居ビルばかりが、目の前を囲むようにして建っていた。駅周辺は、高層ビルが当たり前と思うほどだったというのに。おまけにここらの雑居ビルには、復旧作業の手が伸びていないようだ。放置された猫の死骸が視界に入り、吐き気がする。
俺は完全にお手上げ状態だった。女一人にここまで本気で探して、見つからないなんて。流石にこんな薄気味悪い場所にいるとも考えられないし。考えれば考えるほど頭の中の整理がつかない。堪らず舌打ちをした。
駄目だもう。諦めて帰ろう。そう思い、踵を返した。
すると突然、頭が揺れるような不快音が街に響いた。思わず耳を押さえ、その場に立ったまま強く目を瞑る。必死に我慢しても、口端から苦痛の音が漏れる。二、三回で鳴り止むかと思ったが、一向に止む気配が無い。
「『アブソリュート・グラビティ』が発令されました」
「えっ」
「速やかに安全区域まで避難して下さい」
不快音を鳴らしながら、街中にアナウンスが響き渡った。
生で聞くのは初めてだった。こんなに緊張感のあるものなんだな。頭を押さえながらそんなことを思った。しかし感慨に耽っている場合でない事は、俺自身分かっていた。
まず、このアナウンスを聞いたら、真っ先にとる行動。それは、都市内の安全区域に避難するか、この都市から脱出する事。言ってみる分にはとても簡単な事だ。いや、実際アナウンスを聞いたのがアウトレットモールや駅だったら、俺はちゃんと脱出できるだろう。だが、今はそう簡単にいかない。何故なら俺は、迷子だから。
こんな道も景色も全く知らない。どうやって来たのかも、どう戻るかも分からない。俺は未知の世界にいるわけだ。
俺は焦りと混乱と恐怖の最中、低回していた。適当に走ったところでこの都市から出て行けるわけでも、安全区域に到着するわけでもない。
ならここでアブソリュートグラビティを凌ぐしかないのか。いや無理だ。発令された後、どのくらいの時間で解除されるか分からない。下手したら、一日中、という事も有り得る。規模だって大小様々で、昨年なんかは、ビルが地中に減り込むほど酷かった。そんなのが始動したら、俺は確実に圧死する。
だが、都市からの脱出は時間的に無理だとしても、安全区域に避難することは可能だ。とりあえず、ここから一番近い安全区域を見つけよう。そう思い、「GATE」を取り出しかけたその時、地震の様に大きく地面が揺れ、「GATE」が手から離れた。しまった。
そう思うと同時に、不快音が止んだ。
「アブソリュート・グラビティが始動しました。逃げ遅れてしまった場合は、地面に固定された柱などにしっかりと掴まり、その場から絶対に離れ無いで下さい」
二度目のアナウンスが流れていた途中で、思い切り圧力を感じ、胸を地面に叩きつけられた。咄嗟に首を上に向けた為、頭を打つ事は免れたが、胸はかなりの衝撃を受けた。反射的に蹲り、胸を両手で押さえる。
やばい。やばいぞ、これは。まさか三度目が来るなんて。冗談にしたって笑えないだろ。いや、冗談じゃない事くらいわかっている。実際に今、アブソリュートグラビティなるものを、この身で体験したのだから。しかしだからこそ無理にでも、冗談だと思い込みたい。この現実を認めたくない一心で。
必死に痛みを堪え続けていたが、流石にずっとこうして蹲っているわけにはいかない。そう考え、胸を押さえながらゆっくりと立ち上がる。だが妙だ。体が異様なほど軽く感じる。疑問を感じる前に、俺はすぐその意味に気がついた。アスファルトの上にある塵紙や空き缶が地面から離れ、緩やかに上昇し始めた。物体が上昇する高さに比例するように、段々と重い物も上昇し、遂には俺の体さえ浮き始めた。足が地上から離れ、髪が空から引っ張られるように逆立つ。
また来た!宙に浮く足をばたつかせながら、近くのビルの壁にしがみ付く。先ほどは重力が下向きに大きくなったみたいだが、今度はそれとは対称的に、上向きに大きくなっていく。額から吹き出る汗もが、普段とは真逆の方向へと垂れる。徐々に足だけではなく、腰の自由までもが利かなくなってきた。腕で壁にしがみ付くも、下半身は完全に浮き上がってしまっている。
落としていた「GATE」も空中を浮遊する。
着信音が鳴った。しかし端末は不規則に浮遊し、俺の元から離れていく。
「くっ…。くそっ!そっちに行くなぁ!」
怒鳴ったところで手元に戻ってくるわけでもなく、だんだんと遠くへと離れていく。まるで操作されているかのような動きだが、そんな事に注意を向けているほど俺に余裕は無かった。
思わず舌打ちをしたその瞬間、今度は何が起きたのか分からなかった。突然目の前が真っ暗になり、気がついたら道路にうつ伏せていた。空を見上げると、一面茜色に染まっている。覚えている限りでは、恐らく一、二時間は気を失っていたのだろう。その根拠に、額に大きな痣があり、その痛みに当然舌打ちをした。
遅れました。申し訳御座いません。




