第五話 夢
夕方を報せる鐘の音がドオーンと国中に響き渡った時分。
最下層の「道ゆく樹」を囲む広場で私たちは集まっていた、っていっても今回はカイルと私と他の3人。
喜捨服を貰うためにお金を集められたのは、この5人だけだった。
持ち物は、自分たちが持ってる服でも上等な麻の服。
靴なんて上等な物はないからボロキレの布靴。
夜食の欠片のような食事、それでもスラムの人間にはご馳走であるが、それを大事に布のポシェットに入れて皆、緊張した面持ちで立っている。道行く人は私たちの身なりの貧しさに少し避けていた。
「いくぞ、皆」
カイルの声が不安そうな私たちの背中を押してくれる。彼の夜明け色の菫の瞳が勇気をふるい起こしてくれる。
小さな私たちには最下層から上に行くだけでも大きな出来事なのは間違いなくて皆の強張った顔を、けれどカイルがほぐす様に陽だまりのように笑ってくれるから、皆は笑う。
「今日はご馳走食べよう!」
カイルと並ぶお転婆クルガが欠けた前歯を覗かせてカカッと笑った。
「いいね」
「俺ぜったい妹にたらふく食わせてやるんだ!」
他のそばかすシュカとお兄ちゃんルンがお転婆クルガに続く。
たとえ道行く人に避けられても蔑まれていても、それは大変なことじゃない。
私たちは生きていくことが大事なだけ。
上手く言えない、けど「可哀相」という言葉で片付けてほしくない。
だって私たちは決して不幸なんかじゃなかった。
*****
光が溢れる広場…私たちは「道ゆく樹」の光の粒子の中へゆっくり入っていった。
光のカーテンのような眩い光なのに瞳には痛くない、浮力が服に空気を持たせる。
「すごい綺麗」
思わず呟くとギュッと右手を握られて顔を向けると、カイルが金色の髪を輝かせてこっち見て笑っていた。
「一緒に行こうな、レクト」
「うん」
頷くと菫の瞳が嬉しそうに細まる。そんなカイルの表情が嬉しい。
「レクト!俺も俺も!」
そしてまた片方をお転婆クルガに繋がれる。
緩く二人の手を握って私は笑った。
「皆で行こうね」
笑うと笑い返してくれる、二人ともちょっぴり緊張した面持ちをしているけど。
それもそう今日は5階層の神殿まで一気に上がる、それはそれだけ神殿が尊いことを表している…3人で見上げれば、優しい光の粒子が溢れてた。
この日、私たちは生まれてはじめて「階層」を上ったのである。
*****
ヴァンハール伯爵家は5階層と6階層に間層に位置し、広大な領地をゆうしている。
だがヴァンハールは長らく途絶えた血筋であった。
現当主シルヴェスト・フォン・ヴァンハール公爵は皇太子陛下の信頼も厚く、先の大戦での英雄であるため、ヴァンハール伯爵家を下賜されたのである。
もとは下位の騎士候でもがいていた家系である、だがもはや彼は権勢を誇る公爵家当主へと上り詰めた。
ルフィス王太子に膝を折らない特権、軍隊の人事特権など様々な権を与えられ、首都防衛のトップすなわち、このハイウルフ帝国の軍部トップに君臨したのである。
誰もがシルヴェストを多かれ少なかれ妬み、羨んだ。
だがそんな感情を笑顔を裏に隠し貴族たちは彼の権力に群がった、騎士候であった時に彼を貶めた者たちは恐れに慄き、彼の顔色を窺った。
皆、口に笑みを浮かべて彼を誉める。
『流石は我らの国の英雄ですな』
『恥ずかしながら我が娘が貴方様に一目ぼれしたと言うもので、親としては是非、娘の願いを叶えてやりたいと思いまして』
『前々からシルヴェスト様とは話してみたいと思っていたのです』
それは決してシルヴェストが望んでいたことではなかった。
四年前の魔物との大戦で彼は大きなものを亡くした。
沢山の戦友が惨たらしく殺され、そして自分の手も魔物の血で濡れた。
血と泥にまみれ、生きることを鮮烈に求めて歩き続けた。
ただ生きていた。
死を覚悟した時も何度もあって、それでもただ進むことだけ見ていた。
けれど運命は皮肉にもシルヴェストを英雄に導いた。
今、その救国の英雄…公爵閣下は。
自らに与えられた間層の広大な大地に建てられた白亜の館で、今宵の自らが主催した夜会のために漆黒の夜会服に身を包んでいる。
なんという痛烈な皮肉であることか。
だがシルヴェストの思いとは反して、その凛とした佇まいには言葉にいい表せぬ艶やかさがあり、人の目を引き付ける。
「似合うじゃないか」
そしてそんなシルヴェストを部屋の中央に置かれたソファーで寛いで見ていた、深緑色の髪をした男、ルフィス王太子が感想をもらした。素直な賛辞にシルヴェストはだが苦笑を口の端に浮かべる。
「俺は…貴族じゃねぇ。」
皮肉ったような酷薄なその笑みを王太子は、正確な意味で理解していた。
「…知ってるよ」
シルヴェストの泥水を啜るような生い立ちをルフィス王太子は聞いていたからこそ。
二人の間を沈黙の帳が下りた。
だがそこに申し合わせたかのようにドアをコッコッと叩く音が響く。
「入れ」
主であるシルヴェストの声と共に現れたのは細身の少年だった。白のブラウスと黒のズボンが清潔感がある。
「シルヴェストさま、皆様ぞくぞくと庭に到着なされて、主賓のシルヴェスト様をお待ちしております」
「わかった、今行く…お前はもう下がれ」
「はい」
サッと礼をして退出する姿も折り目正しく気持ちがいい。少年の後ろ姿を見ていた王太子が口を開いた。
「あの子がスラムから引っ張ってきた子か?」
「ああ」
「いい感じに育ってるじゃないか」
「…ああ、アイツも他の奴も頑張ってくれてる、毎日毎日それこそ血の滲むような努力をしてな」
シルヴェストはそっと腰に差していた剣の柄を撫でていた、まるでそこに背負うものが刻み付けられているかのように。
「ヴェスト…」
あだ名で呼ばれ、シルヴェストは光に瞬いて金色にも見える王太子の瞳を見つめた。
「そんな顔するな。俺はやってみせる、止まることなど許されない」
王太子の染み渡るような真剣な言葉に、微かに笑って頷いた。
それは普段見せる酷薄そうな笑みではなく、切なく微かな願いを乗せた微笑だった。
彼らは動き出していた…国を変える「夢」のために戦っていたのである。