第十九話 心臓を捧げる
シルヴェストの鋭敏な感覚が殺伐とした混乱を捕らえた。
彼はおもむろに夜会場を横切ると窓に近づき、外を一瞥するやいなや不愉快そうに舌打ちを零す。
その間も人々の混乱の流れは留まることなく屋敷へ流入する。シルヴェストが先程、レクトフィリアを連れて登った螺旋階段にも人が殺到していた。
だがそれで間に合うはずもなく、ある者は魔法で空中へ飛び、次々と屋敷内へ避難してくる。
シルヴェストが立つ窓にも、飛んできた貴族が数人ほど中に入ろうと現れたのでシルヴェストは片眉を上げて下がり、場所を譲ったが彼等は無様に急ぎすぎたため中へ飛び込む様に崩れ落ちる。
それを視界におさめることもせずにシルヴェストは、どんどん近付いてくる"竜厭"を見つめる。
自分が治めていた領地に火が上がっているの目に焼き付ける。
窓から流れてくる夜風は嗅ぎなれた戦いの臭いを纏いつかせ、血がどくりと騒いで、シルヴェストは血潮を意識した。
血潮のように自分に流れているものを意識する…純粋な殺意を。
馴染んだように、殺意が黒く血となって全身を流れてゆく感覚がした。
歯を噛みしめ、剣を無意識に握りこむと遠く過去の情景が浮かぶ。
雨音と折り重なる死体。
見捨てられた仲間、撤退する本陣。
土と泥と血を纏いつかせ、死体に囲まれて圧倒的な力にただ捕食され殺されてゆく。
だが、その過去の情景から急に呼び戻された。
激情の渦の中にあって呼ばれ、同時に手をそっと握られる。
その儚い温度に目が覚めるような気がして、視線を向けると自分より小さな手がシルヴェストの手に触れていた。
「どうしたんですか」
シルヴェストより一回り小さな手で彼の手を包む様に握ってくる。
それはさっきまで側に居た、浮浪者の少女だった。
シルヴェストの腰ぐらいの背しかないのに精一杯に場を気遣う姿に彼は知らずに微笑っていた。
その手の暖かさに気持ちが救われていた。
*****
シルヴェストの瞳は冬の空を切り取ったかのような鮮やかな蒼。
その瞳が温かみを帯びて細まる様は、海に光が満ちるようだとレクトフィリアは思った。
その鮮やかさに感動する。
「ちび」
そう言って彼は私の頭をくしゃりっと撫でた。
その手の優しい温度が染み渡る様に私の心に感情が浮かぶ、形にならないけれどフワフワした気持ちだ。
「俺は行かなきゃいけねぇから、お前はここに居ろよ。」
何が起こったのか分からない混乱が起こってる、この場所で。
一人ぽっちになる心細さにレクトが見上げれば、シルヴェストは視線をレクトを通り越して後ろへ向けた。
「頼みますよ、王太子殿下」
「嗚呼、こちらこそ頼む」
いつから後ろにいたのだろうレクトの後ろにはルフィス王太子が佇んでいた。
王太子の手がそっとレクトの肩に置かれて、レクトはシルヴェストと引き離された。
そして王太子は王者然とした厳しい視線をシルヴェストへ向けると静かに腕を胸まで掲げる。
「王太子の権をもってヴァンハール伯爵に命じる、どんなことをしても魔を打ち払え」
その冷厳な響きの命をシルヴェストは片膝を床に付け受け、さらに右手で自身の左胸を叩き心臓を捧げる意味をもつ敬礼で返した。
そして颯爽と立ち上がる、周囲からはシルヴェストを送り出す鼓舞の声が上がっていた。
先程、悪し様に言っていた口の端も乾かぬうちのことだがシルヴェストは気にしないとばかりに腰に差していた銀細工の剣を取り出す。
幻想的な蛍の様に飛び交う光が彼を照らし出す。
漆黒の夜会服を夜風にはためかせ、剣を抜き放つ彼はレクトフィリアには眩しかった。
そして窓から外へシルヴェストは一人、飛び出していった。




