第九話 再会
夕闇の落ちた広大な庭に、紅の明かりが飛びかい。
漆黒の夜会服を纏った「伯爵」をより幻想的に照らし出す。
「聞こえませんでしたか?どのような趣向かとお聞きしたのです、子爵」
峻厳な声で響く声は、激していないのに氷を切り取ったかのように鋭く冷たい。
相対している子爵と呼ばれた青年貴族は委縮していた、だが彼は冷や汗を浮かべながらも口を開く。
「この者たちが喜捨の礼儀を知らぬので躾けていたのですよ」
いっそその子爵の面の皮の厚さに、レクトは怒りで心が沸騰する。
無抵抗なカイルを蹴り続けた残酷な行為を「躾」とは決してレクトは認めないと自分にぐったりと寄りかかるカイルを抱きしめた。泣きそうになる。
『いいからっッ守られてろ』と間近で笑ったカイルの優しさが切なくて、自分の家族をギュッと抱きしめる。そんなレクト達を自分の背後に庇いながら「伯爵」はなお子爵に相対し続けた。
「躾というのは?子爵家では暴力をふるうことを言うのですか?」
だがそれに子爵は心外だとばかりに手を大きく上げた。
「暴力ではない!食事を恵んでやったのに反抗的な目をした貧乏人には躾が必要であろう!」
まるで非難される謂れはないというように周囲へのアピールもしながら叫ぶようなその声に、レクトは唇を噛みしめた。また周囲から微かに笑い声が聞こえてくる。
スラムから上がってきたのは罪のような気持ちさえ抱いてしまう、なにも悪いことはしてない筈なのに。
だが「伯爵」はそんな周囲に冷たい視線をくれ彼らを牽制すると、更にレクト達の前にぶちまけられた肉を一瞥し子爵へ向き直った。
「食事とは?さきほど遠目から見えたが、彼らの前に落とされたコレのことか?」
見ていたのかと子爵が僅かに瞠目しながら、顔をゆがませる。
「違う、テーブルマナーも知らぬだろうから下に置いてやっただけだ」
先程の勢いより弱い、もはや子爵の言い分は崩壊し始めていた。
どこの世界に下に置いてやると言って、皿から地面にぶちまける人間がいるだろうか。
「伯爵」の仮面の奥で、冬空のような蒼の瞳がスゥッと細まる。
「では貴方はこれを食事であるというのか?」
「伯爵」の声には抑えきれない感情が揺れて垣間見える。
だがそれに気付けない鈍さから子爵は容易く「そうだ」と肯定した。
*****
その瞬間、ブワアッと何かが走り抜けた…と、レクトは感じた。
それが抑えに抑えて現れた「彼」の殺気だとは気付かなかった。
だがその一瞬で場は凍りついた。
「では食べろ」
冷厳な響きで命じられる声に。
その場の誰もが、決して手を出してはならぬ者に出してしまったのだと知る。
「子爵がこれを食事というなら、貴方自身は食べれるだろう?」
そして彼は地面に落ちていた、肉を手にとって、子爵の目の前まで持ってきた。
食べろというプレッシャーにだが子爵は青筋を立てて、引き攣った笑みを浮かべる。
「いやいや…それは喜捨として既に彼らに与えられたもの、下々の者の為の食事を奪うようなことは私は致しませんよ。」
どんな理屈だと、レクトは唇を噛みしめる、さっきからこの貴族の言うことは訳が分からない。
地面に落ちた物を食べたくないから、言い訳しているだけだ。
そして絶望と共に理解する、これが「身分」だと…日本にはもはや無かった「身分」、「階級」を否応もなく理解する。
だが二人のやり取りを見上げ、絶望に塗りつぶされそうになっていたレクトの目に次の瞬間、とんでもないものが映り込んだ。
「伯爵」が手に掲げていたものを地面に落ちたものを、頓着なく自分の口に運んで、食べたのである。
「伯爵!?」
「なにを…」
周囲に流れる驚愕の声を打ち消すように彼は口を動かして、それを飲み込んだ。
苛烈ともいえる蒼の瞳が真っ直ぐに子爵を射抜き、凛とした声が響く、
「これは今、俺が食べた…もはや施しじゃなくなった…食べろよ」
怒りで口調が変わっている。こっちが「伯爵」の素なのだろう。
レクトは先程とは違う胸の熱さで泣きそうになった…「伯爵」は図らずもレクトから絶望を拭ったのだ。
相手を殴り倒すより、こんな風に色々な誇りを守ってくれる人の姿に喜びが溢れてレクトの瞳からは涙が零れそうになったけれど、唇を噛みしめて耐えた。
この人は私とカイルのために戦ってくれているから。
泣かない、泣かないで最後まで見続けようと、ジッと見上げる。
そして近づく「伯爵」の手を、だが子爵は叩き落とした、「伯爵」の手の中にあった肉がまた地面へ落ちる。
「無礼だ!!」
激昂して叫ぶ子爵を、だが一喝が飛んだ。
「貴様の方が無礼だ!!」
切り裂くような一言で彼は場を支配する。
そして背後に庇っていたレクト達を指し示し声を引き絞るように、なお叫んだ。
「この子達に感情が無いとでも思ってるのか!?
食事にどれだけの人間の手が加わっているのか考えたことがあるのか!?
貴様の全ての行動が俺は我慢が出来ねぇよ!!!」
激しい言葉の後に、場を静寂が支配する。
だがそれは怒りでブルブルと震えた子爵の手が剣の柄に伸び、それを抜き放ったことで切り裂かれた。
キャアアアアアッ
周囲からあがる悲鳴。
「このまま馬鹿にされて引き下がれるか!」
子爵が一歩踏み込んで抜き放たれた白刃が迫る、永遠のような一瞬、伯爵は剣を抜かなかった。
隙の無い身のこなしであっさりと躱し、子爵の剣の柄を握る手を上から掴んで、無造作に足を払い、子爵を地面に転がしてしまったのである。
だがその時、レクトは見てしまった。
急激な動きの反動で「伯爵」の仮面がゆっくりと落ちていくのを…そこで現れた姿に瞳を見開いた。
端正な男らしい顔立ちに冬の空を切り取ったかのような苛烈な蒼の瞳、風になびく艶やかな漆黒の髪。
完全に分かった、むしろなぜ今まで考え付かなかったのだろう。
こんな鮮やかな人なんていないのに。
仮面が外れ、幻想的な光溢れる庭に現れたのは・・・
英雄・シルヴェスト・フォン・ヴァンハール伯爵その人だった。
そして伯爵は容赦なく倒れている子爵の頭を、駄目押しとばかりにカコーンと蹴っ飛ばし地面に這い蹲らすと。子爵の頭を地面に捨てられた食べ物へグリグリと上から押し付けるように踏んだ。
おそらく子爵を倒すとき既に、子爵の下に捨てられた食べ物が来るように計算して倒したのだろう。
でなければ転んでいる子爵の頬にベッタリと肉の残骸が張り付くなんてことはないと思う。
静まりかえるこの場所で。
「這い蹲って、一つ残らず・・・てめぇが食え。」
その声はいやに響いた、口調が最初と全然変わってる。
レクトは思った。おかしい・・・良いことをして良いことを言ってた筈なのに。
(どこの悪人ですか?)
そしておもむろにシルヴェスト伯爵の苛烈な蒼の瞳がレクトへ向けられた。
思わず、ビクリッと体を竦ませるレクトに、シルヴェストはニッと口の端を上げて獰猛に笑う。
足に子爵を敷いて笑う姿は、どっからどう見ても悪役なのに。
「また会ったな、ちび」
玲瓏な声には確かにレクトフィリアへの気遣いがみえて、レクトはほんのちょっぴりだけ笑うことが出来た。




