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【連載版はじめました!】婚約破棄される病弱な悪役令嬢に転生したので、まずは健康な身体を目指します! ~生活改善をしているだけなのに、なぜか推しの王太子に溺愛されているのですが!?~

作者: しんこせい
掲載日:2026/10/22


「はっ、はっ、はっ……」


 呼吸は浅くなり、喉は焼けるように熱い。

 胃の奥は重たく、まるで身体の内側に重りでも付けているように全身が重たい。


 指先一つ動かすのすら億劫なほどの高熱が三日三晩続き、生死の境をさまよった公爵令嬢セシリアは……


「嘘……」


 ――ある日突然、前世の記憶を取り戻した。


(ここって……『瞳の中のドルチェ』の世界なの!?)


 恋愛シミュレーションRPG、『瞳の中のドルチェ』はいわゆる乙女ゲーだ。

 平民でありながら魔法学院にやってきた主人公サーシャと、貴族のヒーロー達との関係を描く王道を行く学院ものである。


 アニメ化から舞台化、ドラマ化までなされたほどの人気タイトルであり、かつての彼女も寝食を忘れてまでやりこんでいた名作ゲームだ。


(そして、私は……)


 セシリアはゆっくりと起き上がる。

 上体を起こすだけで咳が出てしまい、なんとか喉の痛みをこらえながら鏡を見つめる。


 その先に映っていたのは青い瞳とブロンズの長い髪、そして恐ろしいほどに真っ白な肌。

 間違いない……あの悪役令嬢の、セシリア・フォン・アイゼンフィールドだ。


 セシリアの役目は、ヒロインの当て馬となる悪役令嬢。


 ヒーローの一人である王太子アルフォンスの婚約者である彼女は、自身の身体が弱いせいで婚約者に強く依存するようになってしまい、最終的には婚約破棄からの断罪コンボを決められて全てを失うことになる少女である。


(そんなの……まっぴら御免よ)


 重たい身体を動かしながら、セシリアは冷静に思考を巡らせる。

 今は王国歴132年、ゲーム開始地点まではおよそ3年ほど。


 彼女は息を切らせながら机に座り込むと、ゆっくりとノートにペンを走らせる。

 残された3年の期間でセシリアがやらなければならないことは三つある。


・健康な肉体を手に入れること

・自身の断罪の運命を回避すること

・家が没落しても大丈夫なように、自分にできる仕事を見つけること


 まず一番上の健康な肉体。これはこれから生きていく上で必要不可欠だ。

 彼女は前世ではパーソナルジムに通い、海外からサプリメントを輸入するほどの健康オタクだった。


 適切な栄養管理と運動、そして睡眠。それらをばっちりと守ってボディメイクをしていけば身体も治るはず。


 そして断罪の運命を回避するために婚約者である王太子アルフォンスとはつかず離れずの距離を保つことで断罪を回避し、それが失敗した時の最悪に備えて仕事を見つけておく。


 この三つをやりきることができれば、たとえ原作通りの婚約破棄を迎えたとしても、セシリアはこの『ひとドル』の世界で生きていくことができるだろう。


(となるとまず最初にやるのは……適切な食事管理と運動ね!)


 セシリアは早速動き出すべく拳を高らかに突き上げる。

 たったそれだけで、ごほっと小さく咳が出た。

 まずは一動作で身体が悲鳴を上げるこの虚弱体質の改善からだ。





 セシリアはまず、公爵家かかりつけの医師による治療を拒否することにした。


 この世界の文化は中世前後で止まっているため、瀉血――血液を流して体外に出すという医療行為を平気で行っている。


 常に貧血気味である彼女が更に血を失っていれば、元気でいられるはずもない。


 わがままな公爵令嬢の皮を被ってゴリ押しし、ひとまず自分が好きなようにやるという許可を得ることができた。


 そうしたら次にするのは栄養改善だ。

 セシリアの現在のご飯は体調を気にして白いパンと薄いスープ、お腹が減ったら果物をかじるという食生活を続けていた。


(こんな食事で元気になれるわけないじゃない!)


 食事は元気の源であり、身体の資本。

 そして健康な身体は栄養バランスの取れた食事から産まれる。


 この世界に栄養素の概念はないため、セシリアはコックに言いつけてまずはとにかく野菜を取っていくことにした。


 ブロッコリーとパプリカでしっかりとビタミンCを補給し、そこに小松菜やほうれん草でビタミンKを摂取していく。


 中でもパプリカはビタミンCだけではなくビタミンE、そしてビタミンAの元となるβカロテンなども取れる優秀野菜なので多めだ。


 それらの野菜を塩やビネガーと合えて、しっかりと一日で必要となるビタミンの取れるベジボウルを作ってもらい、もりもりと食べていく。


「もっしゃもっしゃ……これだけでお腹いっぱいになっちゃいそうだわ」


「す、すごい……偏食のセシリア様がこんなにお野菜を食べるなんて!」


 セシリアの専属メイドであるナターシャは、彼女の変化を好ましく思ってくれているようで、こうして前向きにいろいろと手伝ってくれている。


 少々おっちょこちょいなところはあるものの、明るくて前向きな彼女はセシリアと実に馬がよく合っていた。


(やっぱり、あの食事はセシリアの意向でもあったわけね……)


 野菜を食べるだけで褒められるなんて、一体どんな食生活をしていたのだろうか。


 ご飯も数度に分けて食べないと息が切れてしまうこの身体を、一刻も改善しなくては……と再びセシリアはもしゃもしゃし始める。







 野菜を食べてある程度胃が慣れてきたら、次は貧血気味の体質改善のために鉄分不足を補っていくことにした。

 だがこの世界にサプリメントなんてものがあるはずもない。

 なのでレバーをパテにしてもらい、パンに塗って食べていくことにした。


「もぐもぐ……バターを入れてないから、かなりぼそぼそしてるわね……」


「セシリア様、食べづらいのであればジャムやはちみつのご用意もありますが……」


「だめよそんなの、甘い物を取るにしても加工食品じゃなくてフルーツを食べるわ」


 さっさとカロリーを摂って太るという手もあるが、それならレバーや肉を食べてタンパク質と鉄分を摂取してオーバーカロリーを目指したい。


 セシリアの身体はとにかく貧弱すぎる。

 ただ贅肉だけを増やしても根本的な問題解決にはならないので、しっかりと筋肉量を増やして元気な肉体を作っていくつもりなのだ。


「うん、やっぱり魚は鮭が一番ね」


 必要となる動物性タンパク質は主食から摂取するが、その脂の質も重要だ。

 肉は基本は皮を剥いだ鶏むね肉、そして魚は鮭と白身魚に固定。


 脂身や鶏皮の脂は取りたくないので、しっかりと執拗なほどにコックに言い含めさせてもらった。


 ご飯を食べるだけで息が上がってしまうこの状況では、まずはタンパク質で身体を作るのが肝要だ。


 食事を終えたら食後のフルーツ。

 これは消化酵素の入っているパインが多めだ。


「まあ、こんなものね」


「こんなちょっとで足りるんですか……?」


 前世の経験により、セシリアは手で持っただけでグラム数がわかる。


 フルーツはバクバク食べると太ってしまうので、まずは一日五十グラムと決めている。

 セシリアはナターシャの言葉にこくりと頷きながら、輪切りになったパインを食べていくのであった……。








 一日しっかり八時間睡眠を取るようにし、改善した食事を続けていると、身体の調子は以前より明らかによくなってきていた。

 おかげでちょっとずつだが、運動も始めることができるようになっている。


「ふぅ……今日はこんなものかしらね」


 セシリアは椅子に座りながら、ゆっくりと息を吐き出した。

 今は一日に何度か、部屋を出て散歩をするようにしていた。


 庭の中を軽く歩くだけでへとへとになってしまう体たらくだが……以前より着実に体力はついてきている。

 毎日ちょっとずつ歩ける量が増えており、自分の成長を実感できているのが楽しかった。


(このままいけば、そう遠くないうちに……)


「セシリア様~っ!」


 着実に健康への道を歩み始め確かな満足を覚えていたセシリアの下へ、慌てた様子のナターシャがやってくる。


「どうしたのナターシャ。ほら、カチューシャがズレてるわ」


「す、すみません……ってそれどころじゃないんです! 明日、アルフォンス様がお越しになると王宮から通達が来たんです!」


「……そう」


「……あ、あれ? いつものように喜ばれたりはしないんですね?」


 先ほどまで達成感を感じていたセシリアの顔から、急激に表情が消え失せていた。

 自分の生活改善に躍起になっていたセシリアは、すっかり忘れていたのだ。


 ただ健康になるだけでは、未来の破滅を回避することはできないのだということを。


 彼女の前に、病弱体質に続く第二の関門……自分に婚約破棄を突きつけてくる婚約者のアルフォンス・フォン・ソシエールが、立ちはだかろうとしていた――。









「はぁ、憂鬱だなぁ」


 ソシエール王国の王太子であるアルフォンス・フォン・ソシエールは物憂げなため息を吐き出していた。

 彼の気鬱の理由はこれから向かう婚約者……セシリア・フォン・アイゼンフィールドにある。


 アルフォンスはセシリアのことがあまり得意ではない。

 病弱で家の中で塞ぎ込みがちな彼女はとにかく陰気で、一緒にいるとこちらの気分まで暗くなってくる。

 独占欲が強いのも困りものだった。


「気は乗らないけど……行こうか」


 国のために必要な婚姻だとわかっているので文句をつけることはない。

 が、それと好悪とはまた別の問題であった。



 アルフォンスが屋敷に向かうと、なんだかいつもと様子が違うことに気付く。


 窓が開かれており、庭の芝生も短く刈り揃えられていて、なんだか全体的に雰囲気が明るくなっているのだ。


 おまけに彼が案内されたのは部屋の中ではなく、外に用意されていたテーブルと椅子だった。


「お久し振りです、アルフォンス様」


「やあ、久しぶりだね、セシリア」


 セシリアの姿は、以前と比べると明らかに元気を取り戻していた。

 こけていた頬には少し肉もついてきており、病的なほどに真っ白だった肌には血色が戻ってきている。


「なんだか……前と比べると、見違えるようだよ。婚約者が元気を取り戻してくれたみたいで、僕も嬉しいよ」


「はぁ……ありがとうございます」


 以前までのセシリアなら、アルフォンスの言葉に飛ぶように喜んでマシンガントークを始めていたはずだ。

 けれど今の彼女はまるでアルフォンスの内心を見透かすかのように気のない返事をするだけ。


 テーブルの上には紅茶だけが並んでいる。

 少しでも長い時間一緒にいるために大量に並べられている焼き菓子も、今回は一つもなかった。


「お菓子を食べなくても、空腹は大丈夫なのかい??」


「ああ、お菓子はしばらくの間は食べないことにしたのです。気が利かなくてすみません、もし必要ならメイドに取ってこさせますが……」


「いや、大丈夫だよ」


 セシリアの変わりように、アルフォンスは戸惑った。

 一体何が彼女をここまで変えたというのだろうか。


「すみません、今日はこのあとお散歩をするのでここまででよろしいでしょうか?」


「散歩?」


「はい、運動をしないと身体が衰えてしまいますので……」


 よくわからないままに茶会はあっという間に終わった。


 そのまま馬車に乗り込み帰ろうとするアルフォンスは、少し興味が湧いて庭へ視線を向ける。

 するとそこにはゆっくりと庭の中を歩き始めるセシリアの姿があった。


「セシリア様、こっちです!」


「はあっ、はあっ……」


 一歩ずつ、一歩ずつ。

 セシリアが顔を歪めながら、ゆっくりと歩くセシリア。

 そのペースは遅々としているが、つい先日までベッドの上からほとんど動かなかったとは思えないほどにたしかな足取りだった。


 セシリアは歩き続け、そのまま向かい側にあった大きな木の前にタッチしてみせる。


「やりましたね、セシリア様!」


「ええ……確かな満足感があるわ」


 そう言って大喜びのメイドに笑いかけるセシリアは、笑っていた。

 いつものこちらに媚びるような笑みではない、彼女の心からの笑顔。

 以前のような暗い影をなくした彼女の笑みに、アルフォンスは一瞬みとれてしまった。


(また……来ようかな)


 今の彼女と話をしても、以前のように憂鬱な気持ちになることはないだろう。


 そう確信したアルフォンスは改めて自分の婚約者に興味を持ち、以前よりハイペースでセシリアの下へとやってくるようになるのであった。









 セシリアの身体は健やかに成長している。

 今となっては庭を一周しても息が切れることはなくなった。

 けれど……


(――どうしてこうなったの!?)


 彼女の目の前には、楽しそうに笑うアルフォンスの姿がある。


 彼は最初に会って以降、なぜかこうして定期的にセシリアのところに顔を見せるようになっていたのだ。


「ん、どうかしたかい?」


「いえ、なんでもありません……」


 セシリアは前世でも貴公子然としたアルフォンスのことは好きだった。


 推しと会えているのはシンプルに嬉しいのだが、自分は一家もろとも彼に断罪されて没落してしまう運命にある。


 いっそのこと何かが起こる前からノータッチでいれば自然と婚約解消とかできるのでは……という淡い期待は潰えてしまった。


(ひょっとしてもう断罪フラグが立ち始めているのでは……)


 と思うとちょっと怖かったが、さすがに来てくれるアルフォンスを無下にするわけにもいかない。


 現在はひとまず仲良くなっておき、いざ主人公のサーシャと結ばれる時に穏便に婚約破棄をしてもらう方向に舵を切っている。


「ふわぁ……眠いな」


「珍しいですね、アルフォンス様があくびだなんて」


「普段は我慢してるからね。それだけ素が出てきたってことなのかなぁ」


「……ひょっとして、いつも眠いのですか?」


「そうだね、学院の勉強と公務の手伝いもいるからさ」


 そう口にするアルフォンスのお腹が、くぅと小さく鳴る。

 彼は少し恥ずかしそうにしながら、ごめんねといって机の上に置いてある焼き菓子を食べた。


「お昼ご飯、食べられてなくってさ」


「お昼ご飯を……食べていない?」


「家庭教師の勉強がぶっ続けであって食べる時間がなくて……」


 プチンと、セシリアの中にある何かが弾けた。

 アルフォンスの生活は……あまりにも、乱れすぎている。

 健康オタクの血が騒ぎ、放ってはおけなかった。


「アルフォンス様、まず睡眠はきっちりと取らなければダメじゃないですか! 一日何時間寝ていらっしゃるんですか?」


「え、えっと……三時間くらいかな」


「全然足りておりません! 私達はまだ子供なのですから、最低でも七時間は寝なくては!」


 それに食事もですと口にすると、その剣幕に押されてかアルフォンスがびくっと肩を揺らした。


「ひょっとしてアルフォンス様、食事も適当に抜かれたりしているのではないですか?」


「そうだね、食べられる時に食べている感じだけど……」


「それも絶対にダメです。一日三食、これをマストにして下さい。しかもよりにもよってお菓子をご飯代わりにするなんて……そんなことをしたら、早死にしてしまいますよ」


「……」


 アルフォンスはセシリアの言葉を、ジッと黙って聞いていた。


 食事だけではなく長時間の座り仕事による慢性的な運動不足解決のためにお散歩や自重トレーニングを……と一通りの説明を終えたところで、セシリアはふと我に返り、顔を青ざめさせる。


(な、なんてことを……断罪フラグを自分から立てにいってしまったわ!)










 アルフォンスは王太子だ。

 次期国王と目されている彼は、いつだって周囲の期待に応える必要がある。


 だから睡眠時間を削って勉強をし、公務に関してもできる範囲で範囲で手伝いを始める。

 それは彼にとって当たり前のことだった。


 周囲の人間は頑張っている彼をほめてくれた。

 さすが王太子アルフォンス様、陛下の息子だと。


「僕は……王太子だから」


「アルフォンス様は王太子である前に、一人の人間ですわ」


「そっか……セシリアは僕のことを、アルフォンスとして見てくれるんだね……」


 アルフォンスに厳しい言葉を吐く人は誰もいなかった……目の前にいる、たった一人の少女を除いて。


 言っていることは半分も理解できなかったが、彼女が自分のためを思って諫言を吐いてくれていることはわかった。


 周りからは、常に王太子として見られてきた。

 けれど彼女は、彼女だけは……自分のことを、ただのアルフォンスとして見てくれる。


 アルフォンスは、自分の肩に乗っていた重荷が軽くなった気がした。

 自分のことを心配してくれているセシリアの期待に応えたい。

 そんな気持ちが芽生え始めていた。


「そうしたら、私は散歩をするのでこれで……」


「待って!」


 言い過ぎたと思ったのか、すぐにこの場を去ろうとするセシリアを呼び止める。

 アルフォンスは立ち上がると、グッと背筋を伸ばしながら手を差し出した。


「もしよければ一緒に散歩でもしないかい? 僕は運動不足なんだろう?」


「……はい、それではご一緒しましょうか」


 そしてアルフォンスはセシリアのペースに合わせて、ゆっくりと庭をくるくると回ることにした。

 彼女の歩幅に合わせて話をしながら歩くのは、なかなかどうして悪いものではなかった――。








 以前より更に頻度が上がり、アルフォンスは暇な時間を見つけては屋敷にやってくるようになった。


 セシリアとしては断罪フラグが着実に成立しつつあるのをひしひしと感じ、嬉しいけれど非常に複雑な気分である。


「セシリアに言われた通りにやってみたら、むしろ以前より効率が上がったよ。君は魔法使いか何かなのかい?」


「まさか、私がお教えしたのはただの健康管理です。健康的な身体があれば、本来の力も発揮できるようになるのですよ」


 アルフォンスは以前のようにお菓子を食べることはなくなり、セシリアのアドバイス通りに三食野菜多め魚多めのご飯を取るようになっていた。


 おかげで顎下のふっくらとした肉も見事に落ちており、以前と比べて明らかに健康的な見た目になっていた。


 ちなみにセシリアも負けていない。

 今ではランニングだって普通にできるし、前世でやっていた各種自重トレーニングもしっかりとメニューに組み込んでやっている。


「それに私はあくまでもお教えしただけ。それをしっかりと聞き入れて実践し、続けているアルフォンス様のお力ですよ」


「はは、ありがとう。最近言われたように運動もするようになったからか、前より体力がついたような気もするよ」


 以前より元気になったアルフォンスは、ひょっとすると『ひとドル』の時の彼よりイケメンになってしまうかもしれない。


 サーシャが選ぶのはアルフォンスになるかもしれないわね……などと思い庭を歩いていると、彼女はアルフォンスが連れているメイドのある異変に気付く。


「ねぇあなた、ひょっとして無理なダイエットをしてないかしら?」


「わ、私ですか!? 確かにダイエットはしておりますが……」


 見ればそのメイドは、明らかにふらふらと生気がなかった。


 王太子つきのメイドは美人揃いだが、元気がないせいで美しさが損なわれてしまっている。

 身長が高い分筋肉がつけば美しく見えるだろうに、非常にもったいない。


「もしよければ、私が言った通りの食事内容に変えてみない?」


「は、ですが……」


「フェンリ、セシリアの言うことを聞いてみたらどうかな? 痩せている女の子を好きな男性は多いけど、そのせいで健康を損なったら本末転倒だと思うし」


 ということでセシリアはメイドのフェンリの食事指導を行っていくことにした。

 前世で健康ガチ勢だった彼女からすれば、身長と体重と年齢があれば基礎代謝を割り出すことなど朝飯前である。


「あなたの場合はまず朝飯は白パンではなくライ麦パンを食べてちょうだい。こっちの方が低GI……簡単に言うと食べてからお腹が減りづらくなるの」


「美味しいと思ってた白パンにそんな罠が……?」


「へぇ、野菜だけじゃなくパンにもいろいろと違いがあるんだね」


 朝食と昼食と夕食を、パンと肉、お野菜のグラム数まで指定して決めていく。


 アルフォンスの食事指導にあたって開発したグラム単位の重りを使えば重さを計るのも問題ない。

 そして三ヶ月後……彼女は見違えるほどに健康的な身体を手に入れていた。


「セシリア様……本当にありがとうございます!」


「いえ、頑張ったのはフェンリの力よ。私はただそのお手伝いをしてあげただけだもの」


 途中からは食事だけではなく運動内容の指示も出したが、フェンリはそれら全てをしっかりと守ってくれた。


 おかげで、今の彼女は無理することなくしっかりと筋肉質な美ボディを手に入れることに成功していた。


「まさか一日三食しっかりご飯を食べて痩せられるだなんて、思ってもいませんでした!」


「アンダーカロリーを心がけていれば、無理なく痩せることは可能なのよ。無理に体重を落とそうとすると筋肉まで一緒に落ちちゃうから、結局リバウンドすることになっちゃうしね」


 とにかくご飯を食べる量を減らして体重を落とすというやり方をする人は多いが、それだと筋肉量が減ってしまうので食事を戻すとすぐにリバウンドしてしまう。


 そうならないようにはしっかりと有酸素と筋トレをする必要がある。

 筋肉量を維持したまま、月に1.5~2キログラム。

 これが健康的に痩せられる上限なのだ。


「あの、すみません、心ばかりのお礼です。公爵令嬢のセシリア様からすればはした金ばかりだとは思うですが……」


 そう言ってフェンリが出した巾着袋を開いてみれば、そこには少なくない枚数の金貨が入れられていた。


「えっ、いいのよ、私が好きでやったことなんだから!」


「いえ、これほど素晴らしい物を教えてもらって対価なしというのは私の方が耐えられません。どうかもらっていただけますと……」


 自分がやったことの対価としてお金をもらえる。

 前世では当たり前だったが、今世では初めての経験だった。


 買い物で使ったことは何度もあるが、手の上に乗る金貨は、今までで一番ずっしりと重たかった。


(あれ、よく考えてみたらこれって……手に職ってことに、なるんじゃないかしら?)


 家が没落しても大丈夫なように手に職を付ける。

 この第三の目的に関しては先送りになっていたが……ひょっとするとこれでいけるかもしれない。


 この世界にはカロリーなどの概念がなく、そもそもこの教え方で健康的に人を痩せさせることができるのは自分だけだ。


「ねぇフェンリ、もし私が他のメイドの子達にも指導をするって言ったら、何人かは手を上げてくれると思う?」


「大人気だと思います! 一体どうやったらヒップを維持したまま綺麗に痩せられるのかって、ものすごい剣幕で尋ねられましたから!」


 試しに聞いてみたら、どうやら既にフェンリが健康的に痩せたという話は王宮のメイドで話題になっているようだ。


 そういうことなら……いっそのことまだ余裕がある今のうちに試してみるべきかもしれない。


「アルフォンス様、もしよければメイド達の健康管理をしてみてもいいかしら?」


「うん、構わないよ。働いてくれてる彼女達が元気な方が、王宮の人達も嬉しいだろうし」


 ということでセシリアは将来の布石として、王宮のメイド達のパーソナルトレーニングを始めてみることにした。

 その結果は……





「まさかこんなに大盛況になるだなんて……」


 驚くことに彼女が募集をかけると同時に、定員である五名がすぐに埋まってしまった。

 しかもそのうちの一人はメイドではなく、王宮で働いている官吏の女性だった。


 女性の美への欲求は世界を超えるのね、と思いながら食事と運動の指導をしていくこと三ヶ月ほど……彼女達が言われたことをきちんと守ってくれたおかげで、無事五人全員が5キロの減量に成功した。


 そしてひとまず彼女達の指導を終えようかと思ったタイミングで、思ってもみなかった声がかかる。

 アルフォンスからやってきたのは、想像もしていなかった提案だった。


「どうやら父上がセシリアのやってることに興味を持ったみたいなんだ……もしよければ一緒に話を聞きに行ってみない?」








(まさかこんなに早いタイミングで、国王陛下と会うなんて……)


 ガクブルしながら、セシリアは緊張の面持ちで謁見の間へと入る。


 そこにはどこかアルフォンスの面影のある、四十代半ばほどの男性の姿があった。


 彼はヴォイド三世……アルフォンスの父でありソシエール王国の国王である、この国のトップオブトップだ。


「今日は国王ではなくアルフォンスの父として話を聞かせもらおうと思っただけだ。どうか楽にしてくれ」


「はい、かしこまりました」


「アルフォンスからはいろいろと話を聞かせてもらっている。ここ最近のこやつといったらセシリア嬢の話ばかりでな」


「ちょっと父上、やめてくださいよ!」


 ヴォイド三世とアルフォンスの仲睦まじい様子を見ても、セシリアの心中は穏やかではなかった。


 『瞳の中のドルチェ』においてアイゼンフィールド家の没落を決定づけたのは、まず間違いなく目の前の人物だからだ。


 断罪される不安に押し潰されそうになったセシリアは、意識を切り替えることにした。


 今日の自分は、彼から無料相談を受けに来たのだ。


 将来手に職を付けるにあたって、王様お墨付きを得られる意味はあまりにも大きい。

 仕事として割り切れば、自分が処されるかもという緊張はすぐに消えた。


「陛下はなんでも私のパーソナルトレーニングにご興味がおありとか?」


「ん、ああ。以前からアルフォンスがいろいろと教えてもらっているということは聞いていたんだが……なんでも無理なく痩せることができるとか?」


「そうですね、陛下であれば……二年もあれば、標準的な体重程度には戻せるかと思われます」


 セシリアは服越しにヴォイドの身体を確認した。

 身長は180センチはあり高めだが、体重の方もかなりありそうだ。


 この恰幅の良さから考えれば、90キロは超えているはず。

 BMI的には、間違いなく肥満体型に両足を突っ込んでいるだろう。


「陛下、運動はされていますか?」

「どの程度ご飯は食べられていますか?」

「間食は?」

「一週間の平均の飲酒量をお教え下さい」


 セシリアは気になったことを全て聞き出し……わなわなとその身体を震わせた。

 運動もせず、豪勢な豚肉だらけの食事をし、野菜もあまり食べずに食後は果物とお酒を楽しむ……。


「そんな生活をしていて、痩せるはずがありません! 早死にしますよ、陛下!」


「は、早死に!?」


 まさかそんなことになるとは思っていなかったらしく、ヴォイド三世が真面目に話を聞き始めた。

 アルフォンスもそうだったが、この国の人間は健康意識が低すぎる。



 ぜひとも受けたいということなので、早速パーソナルを開始する。

 この国を守るためにもしっかりと健康管理をしなければとセシリアは改めて覚悟を決めた。


「まずは運動ですね。王宮の中から出ることができないので、陛下が外でランニングをするのは不可能でしょう。なので腹筋やスクワット、ランジなどをして基礎代謝を上げていくしかありません。王宮でできるトレーニングをお教えしますので、これを毎日やってください」


「毎日か……」


「筋肉をつけず贅肉ばかりつけては生活習慣病になってしまいます。病気になるよりも早く健康的に解決していきましょう」


 続いては食事だ。

 国王は公務でパーティーなどで各地で会食をする頻度も高いので、その分だけしっかりと前後の食事で調整をする必要がある。


 そうなると普通にパンを食べているだけでオーバーカロリーになってしまう。


 そのため普段の食事は炭水化物を同量のジャガイモあたりに置き換え、とにかく野菜でお腹を溜めるスタイルがいいだろう。


「普段のお酒は一日一杯までです!」


「そ、そんな殺生な!?」


 一番の問題は間違いなく毎日しているという深酒だ。

 とりあえずこれからの二年間は、お酒は一日ワイン一杯まで。


 一通りの指導を終え、近くにいた侍従長に決めた食事メニューを守ってくれるようにお願いする。


 侍従長が「お酒は一杯以上は絶対に飲ませません」と頷く様子を見て真っ白になっている父を見て、アルフォンスがハハッと笑う。


「セシリアにかかったら、お父様でも形無しだね」


「アルフォンス、なんとか二杯にしてくれるように頼んでくれないか?」


「諦めて下さいお父様」


 アルフォンスの言葉に、ヴォイドはがっくりと首を落とすのであった――。











「とうとう、この時が来たのね……」


 自室で腕を組みながら唸るセシリアの視線の先には、一枚の封筒が置かれていた。

 見覚えのある封蝋を開け中を見ればそこには、『スーザル魔法学院入学願書』の文字が躍っていた。


 この学院こそ彼女が大好きだった『瞳の中のドルチェ』の舞台であり、そして同時にセシリアが断罪を受けて全てを失う悲劇の舞台でもある。


「入学はする、つもりだけれど……」


 既にセシリアが記憶を取り戻してから二年の月日が経過している。


 彼女はこの二年間で、見事なほどに健康な肉体を手に入れた。


 今や同年代の子と競っても負けないだけの肺活量と筋肉量があり、手に10キロのダンベルを持ちながらブルガリアンスクワットをしてもまったくブレないだけの体幹も手に入れることができている。


 更には懸念事項の一つであった没落後の仕事の問題も解決しつつある。


 国王陛下はパーソナルトレーニングを続けてもらうことで順調に痩せており、以前とは別人かと思えるほどの壮観なボディを手に入れた。


「健康がどれだけお金に換えがたいものなのかを教えてくれたセシリア嬢には感謝しかないよ」


 そう言って彼がパーソナル代としてとてつもない金額をセシリア個人にくれたおかげで、ひとまず断罪されても家族とナターシャを路頭に迷わせずに済むくらいの額も入ってきた。


 更には国王の体型を見事に引き締めたセシリアに王家のお墨付きがついたおかげで顧客も増え、現在は学業に支障を来さない範囲でダイエットをしたい貴族令嬢を顧客にして食事と運動の指導を行っている。


 手に職はつけたと言えるだろう。

 経験値も積まれてきたので今から家を放り出されても、同じことをして生きていけるだけの自信もついた。


 となると残る問題はあと一つ。

 ――自分の婚約者であるアルフォンスとの関係だった。



「それで、どうしたんだい、急に大事な話って」


 セシリアはアルフォンスを自室に呼び出していた。

 いつものように散歩をしながらではないのが珍しいからか、アルフォンスは不思議そうな顔をしてこちらを見つめている。

 


 健全な肉体によって嫉妬なんてものとは無縁に暮らしているおかげで、未だ婚約者であるアルフォンスとも比較的良い関係も築けている……とは思う。


 けれどヒロインであるサーシャとアルフォンスが出会うまでの期間は、想像以上に短い。


 断罪イベントが一年の終わりにあることを思えば、自分が婚約破棄をされ断罪されるのはあと二年を切っているのだ。


 動き出すなら、早い方が傷口も小さくて済む。

 そう思ったからこそ、セシリアは今まで切り出せなかった提案を、口にすることにした。


「はい、実は……私との婚約を、解消していただきたいのです」


「……えっ?」


 アルフォンスの顔が驚きに染まる。

 まさかそんなことを言われるとは思っていなかったらしく、明らかに動揺していた。


「ど、どうしたんだい急に。今までそんな話、一度もしたことなかったじゃないか」


「アルフォンス様にはもっといいお相手が現れます。ですので今のうちに婚約を解消した方が良いのではと思いまして」


 サーシャの話は口にはできない。

 だがそれでも、彼女の言葉は半分本心でもあった。


 可憐な令嬢が好まれるこの世界で、毎日のように外に出て有酸素と筋トレをしている自分はアルフォンスの相手としては相応しくないだろう。


 外に出るので肌もそこまで白くはないし、女性らしさも足りていない。


 アルフォンスはジッとセシリアのことを見つめる。


 どうやら彼女が冗談の類いを言っているわけではないことがわかったのだろう。

 彼は毅然とした態度で立ち上がると、セシリアに一歩近付いた。


「僕は、セシリアとの婚約を解消するつもりはないよ」


「今はまだそう言っているだけです。アルフォンス様には私よりもっといい人が現れます」


 もう一度、同じ言葉を繰り返す。

 アルフォンスのことを拒絶するように。


 セシリアのことを見た彼はとても、悲しそうな顔をする。

 それはいつもにこにことしている彼が見せる、初めての泣き顔だった。


「……そんな人、世界中どこを探してもいないよ。僕は今こうして、セシリアと一緒に過ごす時間がとっても楽しいんだ。だから君との婚約を解消したくない」


「……」


 断罪されるのは嫌だ。

 ……けれど、アルフォンスの悲しい顔は見たくはなかった。


 今の時間を楽しいと思っているのは、アルフォンスだけではない。

 それなら学院が始まり、彼の気持ちがそちらに向かうまでは……このままでもいいのではないだろうか。


 無理矢理婚約解消をしたら、そちらの方が断罪に近付くに違いない。

 そんな風に理論武装をして、彼女は推しの笑顔を守ることを決めた。


「そう……ですね。馬鹿なことを言いました、学院でアルフォンス様が私より素敵なお方を見つけるのだと思うと、つい先走ってしまって……」


「……珍しい、セシリアにもそんなことがあるんだね」


「お恥ずかしい限りです」


 セシリアはすぐに気持ちを切り替えることにした。

 入学までにやらなければいけないことは多い。


 身体作りのために後回しにしていた魔法の勉強にも、そろそろ本腰を入れなければいけないだろう。


「そういえば、今度王宮にジムを造ろうと思ってるんだ。騎士達を育てるのにもいいって話になってね」


「ジムですか!?(ガバッ)」


 どうやらセシリアによるトレーニングが王宮内の健康ブームの火付け役になったらしく、現在王宮勤めの騎士達の間では筋トレがブームになっているらしい。


 彼らを効率良く鍛えることができるように、以前セシリアから聞いたトレーニングマシンの製作・導入を考えているのだとか。


「どういうマシンがいいかは僕にはよくわからないんだけど、アドバイスとかをもらってもいいかな?」


「もちろんです! ヒップアブダクターは絶対に欲しいですし、胸回りを鍛えるならペクトラル・フライなんかもあった方が嬉しいですよね。トレッドミルとか、魔法で再現できるのかなぁ」


 先ほどまでの暗い気分など一瞬で吹き飛んでしまった。

 もしジムが完成した暁には、王宮に行く機会は更に増えそうだ。

 だがこの世界でもしっかりとしたトレーニングマシンができるのであれば、そんなに嬉しいことはない。

 セシリアは期待に胸を弾ませながら、将来の展望をアルフォンスと語り合うのであった……。




(ほっ、良かった……)


 目の前でキラキラと目を輝かせているセシリアを見ながら、アルフォンスは安堵の息をこぼす。


 相変わらずトレーニングに関することは半分も理解ができないが、様々なアイデアを出して楽しそうにしているセシリアを見るとこちらまで気分が上がってくる。


 先ほど婚約解消を申し出られた時は心臓が止まるかと思ったが……理由を聞いて彼は少しだけ嬉しくなった。


 なんという取り越し苦労だろうか。

 自分が他の人を選ぶだなんて、そんなことあるはずがないのに。


 今回のジム建設の理由はもちろん、セシリアの興味を惹くためだ。


 ここ最近は公務で忙しく来れない時期も増えてきているが、彼女が王宮に来てくれるようになれば、顔を合わせる機会をうんと増やすことができる。


(まあこの感じだと、本当に鍛えることしか頭にないみたいだけど……そんなところもセシリアらしいか)


 セシリアはジム目当てで王宮に通うのだろうが、アルフォンスもそれを餌にしてセシリアとの距離を更に縮めるつもりだった。


 いずれ婚約破棄されると疑わないセシリアと、婚約破棄などするわけがないと確信しているアルフォンス。


 二人は互いにすれ違いながらも、今日も楽しく散歩をして同じ時間を過ごすのであった――。

好評につき、連載版をはじめました!

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― 新着の感想 ―
「王宮で勤めると健康で美しくなれて、縁談いっぱいになるらしいわよ。実際あの女官も…」 「それもあるけど、やっぱり騎士団よね。お強いだけじゃなく、健康的!程よい筋肉!憧れるわぁ」 とか言う未来
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