謝罪の意味
「ごめん」
その言葉は、いつも軽かった。
重さがないというより、落ちてこない。
宙に浮いたままこちらに届く前に役目を終えているような、
そんな響きだった。
「ごめんね、本当に」
少しだけ語尾を柔らかくしたところで、何も変わらない。
むしろ丁寧さが増した分だけ、空虚さが際立つ。
何が、なのか。
どこが、なのか。
その説明はいつも無い。
ただ、謝罪という形をした音だけが置かれて、
それ以上踏み込んでこない。
こちらが何かを言えば、
「うん、気をつける」
と返ってくる。
けれど、その“気をつける”の中身を、
彼は一度も言葉にしたことがない。
何に気をつけるのか。
どう変えるつもりなのか。
それを知らないまま、また同じことが起きる。
そしてまた、「ごめん」が置かれる。
ある時、聞いたことがある。
「何がダメだったと思う?」
ほんの少し間が空いた。
彼は目を逸らして、
「えっと……不快にさせたこと?」
と答えた。
間違ってはいない。
けれど、それは表面の話だ。
不快にさせた“理由”が分かっていない。
だから、また同じことを繰り返す。
それでも彼の中では、きっと終わっているのだろう。
謝ったから。
許されたから。
その二つが揃った時点で、
問題は解決したことになっている。
気づいていないと思っているのかもしれない。
でも、気づいている。
言葉の軽さも、間の取り方も、目の動きも、全部。
理解していない人間の謝罪は、妙に整っていて、妙に早い。
反省している人間は、もっと言葉に詰まる。
もっと時間がかかる。
何をどう言えばいいか分からなくて、
それでも何かを伝えようとして、歪な言葉になる。
その歪さが無い。
綺麗すぎる。
それでも、周りは受け入れる。
「ちゃんと謝ってるしね」
その一言で、全てが流される。
問題は、そこじゃない。
と思いながら、何も言わない。
言ったところで、きっと同じだからだ。
理解できないものに、
理解を求めることほど無駄なことはない。
気づいているのに、見ないふりをする人間と、
気づいていないまま通り過ぎる人間。
どちらが楽なのだろう。
少なくとも、前者の方が少しだけ疲れる。
けれど、後者にはなれない。
なろうとも思わない。
「ごめん」
また同じ言葉が落ちてくる。
やはり軽い。
拾う気にもなれず、ただそこに置いておく。
その言葉は、もうこちらには届かない。
最初から、届いていなかったのかもしれないけれど。




