表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/28

凍てつく空の少年 3

鋭い音が、稽古場に響いた。


打ち下ろされた木剣を受け止めた腕が、びりびりと痺れる。

額に流れる汗を拭う間もなく、もう一撃が迫る。


「集中しろ、ユーリ!」


低響く声。

早逝した王配である父のあとを継ぎ、この国の騎士組織を統括する将・蒼盾ーー叔父だ。


息を整え、踏み込み、切り返す。

木剣と木剣がぶつかり合い、乾いた衝撃が全身に伝わる。


「……そこまで!」


互いに剣を下ろすと、叔父が口の端をわずかに上げた。


「悪くない。また腕を上げたな」

「……ありがとうございます」

「だが、力だけでは足りん。何のために剣を握るのか、その答えを見失うな」


その言葉が、胸の奥に重く響く。


何のために。


5年前のあの日から、自分なりに答えを抱いているはずだ。

けれどそこに至るまでの道のりが、果てしなく遠い気がしていた。

どれほどの鍛錬を積み、気づけば仲間の誰よりも剣を極めていたとしても、心のどこかが冷えていた。


礼を述べて稽古場を後にする。

夕陽が差し込む中庭を歩きながら、叔父の言葉が何度も頭の中を巡った。


何のために、剣を握るのか。


答えを探すように、足が自然と温室へ向かっていた。


蒼い花弁の影。光を受けて輝く露。

国花であるサファイリウムは、はかなさを宿しながら、けれど永遠を信じるかのように咲き誇っていた。

サファイリウムの種子をもとに研究を重ねている新しい株の方は、花を咲かせることなくいつものように静かに息を潜めている。


光で虹色に見える、うつくしい白銀の花弁を持つというサファイリウム・アルバ。

蒼の魔女の時代では、王国中に咲いていたとされる。


「ーー蒼の血と白き力は再び出会い、眠れる魔法が目を覚ます……」


建国神話の一節をそらんじる。


そういえば、彼女の瞳は、不思議な色をしていた。

ちらちらと虹の光が見え隠れする白銀。

もしかして、幻の花もきっと、彼女の瞳のような色をしているのではないだろうか。


あの夜以来、姉上が城を抜け出すことはなくなった。


なぜ姉上は突然失われた魔法に興味を示したのだろう。

そもそも、彼女の出自については箝口令が敷かれ、王族の中でも知っているものは一握りだ。


蒼の魔女の里……伝承の中に存在する魔女と関わりがあるとされる、隠れ里。

敵国に攻め落とされたその村の、たった一人の生き残り。


魔女も魔法も白銀の花も、神話の中だけの存在のはずだ。

すべては神話をなぞらえた子どもの遊びのはずなのに、どうしてこうも嫌な予感が消えないのか。


ざわめく心を落ち着かせるために、サファイリウムの花弁にそっと触れる。

物言わぬ花は、空と水を溶かしたような優しい青をたたえていた。



翌日、城南の東翼ーー次期女王の私室棟。


普段はけして立ち入ることのない場所だけれど、届け物の名目で訪れることになってしまい、気の遠くなるような手順を踏んだのちーー


ようやく許可が降りた頃には、もう日が傾き始めていた。

滞りなく用事を済ませて、足早に帰途につく。


騎士候補とはいえ所属はすでに騎士団にあり、このほかにもこなさねばならない日課や任務があるのだ。

日暮れまでに終わらせることができるだろうか……そんなことを考えていた時だった。


ふと中庭を横切る小さな影に気づいた。

あの夜以降、幾度となく思い出していた黒髪。

両手いっぱいに布を抱えたあの少女が、慌ただしく柱廊を駆けている。


「……ネルダ」


思わず足を止める。

一度に抱える布の量としては限界値をゆうに超えている気がする。あれではほぼ、視界はすべて布で埋まっているだろう。


あの状態でなんなく曲がり角を通過できるところを見ると、もしやこれはネルダの日課なのか。


ーー目が、離せない。

肩のあたりで切り揃られた髪が、元気よく跳ねている。

陽光のもとで見る彼女のそれはただの黒ではなく、光の加減で虹のような光彩を見せていた。


瞳と、同じだ。


もう一度あの瞳を見てみたい。

こんな機会など滅多にないというのに、どうしてよりにもよって布まみれなのだろう。

少々焦れながら目で追っていると、階段へと差し掛かった彼女の体がふわり、宙に浮きそうになった。


「ーー……!!」




完全につまさきの置き場を間違い、盛大にひっくり返……りそうになった、その時。


駆け寄ってくる足音と、力強い腕を背中に感じた。

洗い立ての生地が宙に舞い踊ることを覚悟して、終わった、と思っていたネルダは、大怪我も大事故も起きなかったことに驚き、瞬きを繰り返す。


両足がしっかりと石畳に着地した瞬間、誰かの気配は背中の腕とともに消えてしまった。


「え、あの! ちょっと待って」


急いで救い主が誰か確かめたいのに、生地の山でほとんど何もみえない。


(横着しないで二回に分けて運べばよかった。洗い場のおばあちゃんにも何度もそう言われたのに!)


どうにかして隙間から見渡すと、そこにあったのは風に揺れる綴れ織りだけだった。


「誰……?」


おかげで生地も無事で、どこも怪我をしていない。せめてお礼だけでも言いたかった、とネルダはもどかしく思う。


ぼんやりと立ちすくんでいたが、あることを思い出し慌てて右手の自由を確保する。

生地の山を崩さないように細心の注意をはらいながら、前掛けの下に挟んであったものを取り出した。


「よかった……潰れてない」


それは、どうにかしてメアリーレインの渡そうと思い、日々持ち歩いている『研究成果』だった。


現れてからすでにひと月以上は経つというのに、萎びることも枯れることもなく咲き続けてくれる可憐な花。

花の形はサファイリウムによく似ているけれど、色も香りもまったく違う。

銀を帯びた白の花弁は、太陽に透かすと虹とよく似た光を放つ。


「きれいだ……」


もっと陽光にあててみようと、花を掲げて最適な場所を探してみる。


白銀の花がひときわ美しく輝いたのと、息を潜めていた誰かが出てきたのは、ほぼ同時のことだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ