はじまりの日のお話 3
はるか昔、世界がまだ光と影のあわいにあったころ。
人々は大地の声を聴き、花は空の歌を覚えていた。
その丘に、一人の女がいた。蒼の魔女と呼ばれたその人は、
水のような瞳に未来を映し、風のような手で命を癒した。
彼女が歩むところ、白き花が咲き、
その花は光を抱きながら虹の色を宿した。
やがて彼女の前に、一人の人の女が現れた。
彼女は民を護りたいと願い、剣を取り、声を上げた。
蒼の魔女はその心を見て、微笑み、言った。
「ならば、あなたにこの丘と、この花を授けましょう。
その志が絶えぬ限り、花もまた咲き続けるでしょう」
こうして一つの国が生まれた。
女王は白き花を王冠に飾り、魔女はその背に風を残して去った。
しかし時が流れ、人は力を恐れ、魔女の名を封じた。
白き花は枯れ、代わりに青の花が咲いた。
それを人々は“サファイリウム”と呼び、国の名をそこから得た。
伝承は語る。
いつの日か、再び白き花が咲くとき、
蒼の血と白き力は再び出会い、
眠れる魔法が目を覚ますと――。
(サファイリア建国神話 ―『蒼と白の約』より)
――少なくとも”この国では”そう伝えられている。
サファイリアは、代々女王が治める国である。
王家の血筋は「蒼の魔女」の血を引くとされ、女王だけが青い瞳と微かな魔力を宿すと言われているが、他の王族や貴族たちをはじめ、今は国中どこを探しても誰ひとり魔法など使えない。
名産品は宝石と植物だ。あまり詳しくはないけれど、王城中にあしらわれている青い石や、それとよく似た色あいの花がきっとそれなのだろう。
花の名前はサファイリウムといって、国の名前はそこからきているらしい。
美しいだけではなく、薬や香料にも加工できるうえ、お守りにもなる。
まさにサファイリアの象徴ともいえるだろう。
女王だけが持つ青い瞳。
それが、ネルダをとらえて離さなかった。
ーー伝承は、ただの物語。
そのはずだった。
正真正銘この国の第一王位継承者である王女メアリーレインの片思い。
それは一使用人が聞くには過ぎるものである。
仲間内では、そういった話のひとつやふたつ、けして珍しくはないだろう。
多くは使用人同士だが、たまに出入りの行商人に熱をあげているメイドもいる。
それに、料理長と副調理長のように、城内で恋に落ち、今では夫婦で王城の厨房を切り盛りしている例もある。
しかし王女の相手となると、訳が違ってくるだろう。
「まだお受けするとは言っていませんが、一応、念のため、聞いておきたいことが……」
ネルダの問いかけに、王女は愛らしい青の瞳を片方だけ、いたずらに閉じた。
「相手は誰かって? それは秘密」
(まあ、そうですよね……)
それ以上は追及することなどできようもなく、押し黙る。
「……ネル、そんなに重く考えないでちょうだい。何も媚薬で篭絡したいとか、そういうことじゃないの」
「びやく」
「やだごめんなさい。子どもにはまだ早い話よね」
ネルダは今年十五になる。子どもというほどの年齢ではないし、その上王女とは一つか二つしか年が違わなかったはずだと、記憶をたどる。
「わたくし、今のところはまだ割と自由じゃない? だからね、少し試してみたいだけ」
言葉とは裏腹に、うつくしい金糸のようなまつ毛がつるりとした頬に影を落とす。
寂しげな横顔を見て、これ以上は詮索すべきではない、と彼女は理解した。
「……わかりました」
「ネル……!」
「喜ぶのはまだ早い、です。私に魔法の知識も才能もないのは本当なので。ただ……」
「ただ?」
ネルダは少し考えてから、勇気を出して青の瞳を見つめ返した。
「ひとつだけ、お願いしてもよろしいでしょうか?」




