蒼の首飾りの君 2
月明かりを浴びて、植物たちは穏やかな寝息をたてている。
静謐な空気に包まれた夜の温室は、内緒話にはもってこいの場所かもしれない。
「呼び出してすまない。人目があってな」
建国祭が近く、夜でも人の出入りが絶えないサファイリア城。
とくにユリウスの居室から礼拝堂までは人目が多くなっており、以前より落ち合うのが難しくなっていた。
「お気になさらないでください。それより……」
ネルダの眼差しがユリウスの肩のあたりを彷徨う。
意図するところを察して、蒼い瞳が笑みの形に細まった。
「もう大丈夫だ。君のおかげで」
「……よかった」
安堵の息をひとつ。
森の奥であの傷を目にしたときの、体中の血が音を立てて引いていく感覚を思い出す。
今でも夢に見るほどだった。
「まさに話したかったのはそのことなんだ」
あれ以来、ユリウスは『狼らしきもの』の調査を続けているということだった。
姿かたちは狼によく似ているが、生き物ではない。
何かの術が施されていて、致命傷を与えると霧のように霧散する。
王城内に出現したことを知っているのは限られた者だけ。
だが国境付近では目撃例が多発しており、被害報告も増えてきている、と。
「術のようなもの……」
『狼』の体に施されていた文様を思い起こす。
古語に似ていたが、あんな文字には覚えがなかった。
「魔法ではありませんでした。あれは一体……」
「まだそこまではわかっていない。だが、隣国の動きが怪しい」
隣国アストリア。
サファイリアとは昔から敵対関係にあり、衝突が絶えない国だ。
五年前以降は目立った争いなどはないが、依然として緊張状態にあることには変わらない。
「こちらでも、改めて調べてみます。古語と関係があるかもしれない」
「頼む」
視線を交わす。協力し合える相手がいるのは、なんと心強いことか。
「……私も、お話したいことがあります。白い花が咲くたびに、見える光景について」
そう切り出すと、ユリウスの表情にかすかに影が差す。
映像を見た直後のネルダの異変を思い出してしまったのだった。
「私が見るものがもし、蒼の魔女の記憶だとしたら……」
ネルダはそこで、思考を整理するために唇を引き結ぶ。
魔法が封印されたという神話の記述と、発動させないための蒼の律。
『狼』の襲撃に、白の女王の死。
「魔法についてはこれ以上、触れるべきではない。そんな気がするんです」
何かを恐れているかのように揺れる銀灰色の瞳を、ユリウスは受け止めた。
「ああ。俺も同意見だ。魔法の研究はとりやめにしよう」
「いいのですか? サファイリウム・アルバの研究は」
メアリーレインの『心に染み込む物質』は形となったが、『消えない花』――サファイリウム・アルバを種として根付かせることには、まだ成功していない。
「ネルダのおかげで手がかりは得た。もう充分だよ」
花弁の形状、葉や茎の特徴、根の伸び方。
それらを確かめることができただけで研究は大きく進んだと言って微笑むユリウスの言葉は、本心からのものだった。
胸のつかえがとれたようだった。ネルダは細く息を吐き、腕を抱える。
まだ芯に痺れが残ってはいたが、それは気にするところではなかった。
何か大きな、よくないことが起きる前に。
――眠っているかのような白の女王の亡骸を思い出し、また少し体温が下がるような思いがした。
「魔法を使わずとも、あの光景について調べる方法はないでしょうか」
ふと、問いが漏れる。
「どうだろうか。これまでは基本的に、サファイリウム・アルバの開花と連動していたからな」
「そうですよね。魔法を使わないとなると、やはり難しいのか……あ」
ネルダの中に仮説がひとつ立ち上がる。
「光景と同じ状況を再現してみてはどうでしょうか」
「というと……」
「たとえば遠乗りです。蒼の魔女と白の女王はよく馬で駆けていました」
「俺とネルダで遠乗りをすれば、別の光景も連動する形で次々と浮かんでくるかもしれない、と」
「そのとおりです」
「馬には乗れるのか」
沈黙が流れる。
「……別のにしましょう」
乗れないのか、とユリウスは胸の内だけで呟く。
しばらくの逡巡ののち、ネルダは腹を括った。
やはり核となるのは白の女王の死だ。遠回りをするのでなく、ここは直球で。
あの場面を再現するのが一番効果的だ。
温室の床に座る。ひんやりとした陶製のタイルが足に触れる。
軽く咳払いをし、ネルダはゆっくりと両腕を広げた。
「……なんの真似だ」
低い声に、ネルダは気まずそうに唇を噛み締める。
王族に対してなんたる振る舞いだろう。膝枕のような体勢を強いるなど。
けれど蒼の魔女はこうして白の女王の亡骸を抱いたのだ。
ネルダは蒼の魔女として、ユリウスは白の女王として見ているのならば、どうしてもこの形になってしまう。
「無礼は承知しています。今できる再現が、これしか思い当たらず……」
王子にまわりだけ時が止まってしまったかのようだった。
やがて身じろぎの音が聞こえ、空気の流れが変わる。
ゆっくりと腰を屈めて、ネルダへと近づく気配がする。
あまりに申し訳なくて、その一部始終を見ていることはできなかった。
だから、何が起きているのかわからなかったのだ。
気が付くとネルダは、ユリウスの腕の中にいた。




