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蒼の首飾りの君 1

「陛下よりお伝えがあります。至急、執務室へお戻りくださいとのことです」


言葉の角が、どこまでも滑らかだった。

昨日、舞台で響いた『白の女王』の声色が、ネルダの鼓膜の内側でかすかに重なる。


年の頃も上背も、メアリーレインとそう変わらない。

肩口で切り揃えられた髪と、王女よりもやや冷たい色の瞳がなかったら、身近な者でも見分けがつかないだろう。


「……紹介が遅れたわね」


メアリーレインは微笑を作り、努めて平静に続けた。


「彼は私の秘書官。名はシオン。いまは陛下の御用で動いてもらっているの」

「初めまして。ネルダと申します」


礼を取ると、少年――シオンはごく自然に同じ角度で頭を垂れた。


「シオンと申します。殿下の御前であるのに、礼を欠きました」


声は穏やかに落ち、冷たくはないのに温度を測りかねる。

言葉には、わずかに聞き覚えのある訛りがあった。


「以前、どこかで……お会いしたことが?」


ネルダは自分でも訊ねるつもりのなかった言葉を、こぼしていた。


「いいえ」


シオンはわずかに目を細める。


「ですが、不思議ですね。初対面なのに、あなたの名を前から知っていたような気がする」


(名を……?)

胸の奥で、なにかがさざめく。

メアリーレインがすぐさま言葉を継ぎ、間を断ち切った。


「シオン、伝言は受け取ったわ。今すぐ向かうから――礼拝堂のことは内密にね」

「承知しました」


踵を返す足取りは、舞い戻る羽のように軽い。


首元まで詰まった衣服のせいでわからなかったが、うなじのあたりで光る留め金にネルダは心当たりがあった。


扉が閉じる。

香煙が、さきほどよりも濃く揺れる。


彼は、いまこの時も蒼の首飾りを身に着けていた。



「……さて。わたくしも行かなくては。お母さま――陛下ったら、一体なにかしら」


いつもの明るい声が、いつもより少しだけ上ずっている。

こんな形で彼が現れるとは思っていなかったのだろう。メアリーレインは終始落ち着きがない様子だった。

ネルダとしても、こんな形で蒼の首飾りの君と相見えることになるとは想定外だった。

けれど、ネルダが『気づいてしまった』ことを、メアリーレインはまだ知らない。

今ここで問いただすべきではないと、そっと目を伏せる。


「あの方は……最近着任されたんですか?」


ネルダの問いに、メアリーレインは一呼吸だけ遅れて答える。


「王家直属の秘書官よ。昔からね。外を出歩くのはとても珍しいのだけど……」

他にもなにか言いかけた舌が、かすかに躓いたのをネルダは見た。


「……ねえ、ネル」

視線は床の光の破片に落ちたまま、言葉だけが浮上する。


「人が……二人いるように感じたことって、ある?」


メアリーレインは、ふっと笑ってみせる。

それは強がりの王女の、精一杯の笑みだった。



鐘の音が遠くで重なる。

片付けを終えたころ、石の床に何か軽いものが落ちる音がした。


礼拝堂の窓枠から投げ込まれたその紙片には、サファイリアの蒼色をした蝋印。

ユリウスの顔が目に浮かぶ。

礼拝堂に立ち寄れない時は、秘密裏に伝令をよこすと言っていた。


紙片を開くと、簡潔な内容が几帳面な字で記されている。

ユリウスらしい、とネルダは微笑んだ。


――あの件について話したい。明日鐘が鳴る頃、温室にて


胸中の水面が、音もなく揺れた。

あの件――森、狼、共鳴、そして白銀の花。


ネルダは紙片を胸に押し当てる。

答えのわからない問いばかりが折り重なっていく。


明日も朝早くから建国祭の準備に駆り出されている。

扉を開くと、廊下の端で風が青い布飾りを鳴らした。



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