建国祭準備 2
風が冷たくなった。
王都は建国祭の準備に沸き、昼も夜も人々の声と笑いが絶えない。
けれど城の奥、ネルダの胸の中だけが静かにざわめいていた。
*
あれはメアリーレインではない。
声の抑揚。眼差しの奥の温度。小首の傾げ方。
どれもほんのわずかずつ、けれど確かに違っていた。
けれど、周囲の誰も気づいていない。
「本当にお綺麗ね。女王陛下によく似ていらっしゃるわ」
隣のイザベラが見惚れたまま呟く。
「ね、ネルダもそう思うでしょ?」
「え、ああ、うん。そうだね」
上の空で答えながら、舞い踊る『白の女王役』から目を離せなかった。
イザベラの言うとおり、本当に綺麗だ。
自分の感覚がおかしいのだろうか。
寝不足のせいだろうか。
ネルダはそう思いながらも、どうしても胸の奥に棘のような違和感が残った。
*
「聞いてちょうだい! あれを身につけさせることに成功したわよ」
礼拝堂の奥。
割れたステンドグラス越しの光が不規則に床を染める。
ネルダは香を焚いた燭台のそばでメアリーレインから報告を受け、持っていた薬瓶を取り落とした。
「ネル、大丈夫? 怪我はない?」
空色の瞳が心配そうに瞬く。胸元で輝く首飾りのことを思い出し、ネルダは動揺を隠せなかった。
やはり、すでにあれは想い人の手に渡っていたのだ。
「申し訳ありません。つい手が……」
「ネルって意外とうっかりさんなところがあるわよね」
「うっかりさん……」
初めて言われたその言葉を反芻する。
あまりよい意味ではなさそうなので精一杯気をつけようと、ネルダは思うのだった。
「それでね、魔法の効果なんだけれど。やはりゆっくりなのかしら?」
言いにくそうに口を開くメアリーレインに、ネルダは魔導書をなぞりながら答える。
「そうですね……ここにも、焦ると遠のくと書かれています。もう少し待ったほうがいいかも」
メアリーレインは唇を噛んだ。
なにかを言いかけて、飲み込むような仕草。
それから微笑みを取り戻して、いつものように明るく言った。
「待つのは得意よ。王女たるもの、いつだって悠然と構えていなくてわね」
蒼の首飾りをかけたその人に、今こうしている間も少しずつ王女の想いは染み込んでいるはずだ。
秘めたる想いを知ったそのあとの振る舞いは、魔法の領分ではない。
その人は一体、どうするのだろうか。
湧き上がったありとあらゆる感情をなんとか飲み込み、魔導書を閉じた。
その時だった。
礼拝堂の歪んだ扉が、きい、と音を立てて開いた。
「殿下、失礼いたします」
澄んだ声が響く。
振り返ると、そこに立っていたのは見慣れぬ少年だった。
黒に近い濃紺の衣をまとい、金糸の徽章が胸に光る。
「……どうして、ここに」
メアリーレインが小さく息を呑む。
その声にほんのかすかな焦りが混じったのを、ネルダは聞き逃さなかった。
「陛下よりお伝えがあります。至急、執務室へお戻りくださいとのことです」
少年が一歩前に出た。
細い月光が彼の髪を照らし、淡い青が揺らめく。
その横顔に、既視感が走る。
(まさか……あの時、舞っていたのは……)
声。立ち姿。
——少年は、メアリーレインに瓜二つだった。




