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記憶を継ぐ花 2

森の奥、風の流れがふいに変わった。


濃い緑の帳を抜けた先に、静かな光の池があった。

そこだけぽっかりと空が開け、降り注ぐ陽光を受けて、水面がゆらりゆらりと揺れている。

そこに——それは、確かに息づいていた。


「……星幻草」


ネルダがそっと呟いた声は、光の粒と混ざって消える。

足元には、青みを帯びた細やかな葉が群れていた。

葉脈はまるで星を模したように淡く光り、風が通るたび、きらめきを撒く。


花は咲いていない。

けれどその葉だけで、じゅうぶんに美しかった。

命の奥底で、何かが微かに呼吸しているのを感じる。


「十年ぶりか……本当に、まだここにあったんだな」


ユリウスの声は、どこか遠い記憶をなぞるように静かだった。

しゃがみこみ、葉に指先を触れる。冷たくも温かい、不思議な感触。

彼の蒼い瞳が、柔らかく揺れる。


「まだ眠っているようですね」

「眠って、か……」

「星幻草は、咲く時を自分で選ぶと言われています。風の音や、月の形や、たったひとつの声で目を覚ますこともあるとか」


ネルダの言葉に、ユリウスは目を伏せた。

風が、二人のあいだを抜けていく。

葉がひとひら、ユリウスの手の甲に落ちた。淡い光を残して、すぐに消えた。


「……咲く時を選ぶ、か。羨ましいな」


ぽつりと零れたその言葉に、ネルダは小さく首を傾げる。


「ユリウスさま?」

「いや……なんでもない」


青の気配が、森の光に溶けていった。

ユリウスの胸の奥では、まだあの映像が脈を打っている。

抱擁の温度。あの白銀の光。

この草のように、彼の中の何かもまだ“眠っている”のかもしれなかった。




茎をいためないように、慎重に星幻草を採取していく。

ネルダの手つきを眺めながら、ユリウスはずっと気になっていたことを口にした。


「姉上には……想い人がいるのか」


ぴたり、採取の手が止まる。

そういえば、核となる部分はユリウスには伝わっていなかった。

けれど、"少しずつ心に染み込んでいく魔法"。そしてメアリーレインの慌てぶり。

聡い弟が勘付くには、十分すぎるほどの手がかりが揃っていた。


「……詳しいことは、何も」


言葉を濁しながら、ぷちり、と茎を根本から手折る。


「ただ、とても…真剣でした。だから、私ができることならば、なんでも」


ネルダの頬を撫でた光がその髪に滲んだ。

森の空気は湿って冷たく、どこか胸の奥をくすぐるような香りが混じっている。


ユリウスは深く呼吸をし、静かに語り始めた。


「……元からああではないんだ、姉上は」


ネルダは口をつぐみ、静かに続きを待つ。


「いつ頃からだろうか。少しずつ明るくなった。王女として……次期女王としての運命に、ようやく馴染んだように見えた」


それまでは、いつもどこか自信がなく、何故自分がここにいるのかわからないという表情をしがちの少女だった。

ずっと迷子のようだったと、幼い記憶をたどる。


「もしも、そのきっかけに関わる者なのだとしたらーー」


青みを帯びた葉の群れは、まるで風の波のように揺れ、ふたりの影を柔らかく包み込んでいる。


「……応援はできないが、理解はできる」


そう締めくくって、気まずそうに瞳を逸らす。

少しだけ不器用な優しさが、とても好ましいと、ネルダは思った。


「成功させたいと、心から思います。星幻草がなければ難しかった」


葉脈の淡い光が、胸の中に柔らかな勇気を灯す。


「一緒に探してくださり、ありがとうございます」


まっすぐな想いがユリウスに届き、その唇から言葉が溢れそうになった時。


沈黙の中、木々の影がわずかに揺れた。

鳥の声も、虫のざわめきも消えている。

風が止まり、葉の擦れ合う音の奥で、確かに微かな唸りが混じっていた。


「下がれ」

ユリウスが反射的に前へ出る。

鞘から抜かれた剣が、光の粒を弾いた。


木陰の奥から、低く息を吐く音。

次の瞬間、影が跳ねた。


「ーー危ない!」

ネルダの肩を押し、ユリウスは身を翻す。

爪が空を裂き、枯葉が舞った。


狼だった。

いや、狼にしては大きすぎる。

毛並みの間に、ところどころ黒い文様が浮かんでいる。

獣ではなく――何かの“模倣体”。


ユリウスは即座に距離を取り、構え直す。


「城の森に狼だと……」

「しかも普通の狼ではありません。あれはーー」


ふたりの間に走る、張り詰めた空気。


次の瞬間、獣が再び飛びかかった。


剣が閃き、風が一瞬、森を裂いた。

鋭い音が響き、何かが倒れる。


静寂。

葉のざわめきも、鳥の声も戻らない。

光が、ゆらりと揺れている。


ユリウスは深く息を吐き、剣を下ろした。

けれど、手に伝わる感触はあまりに軽い。

確かに斬ったはずなのに——。


「……消えた?」

ネルダの声が震える。


足元の腐葉土には、影も、血の跡もない。

あるのは、わずかに揺れる星幻草の葉と、その上に残る、黒い灰のようなものだけ。


ユリウスが身をかがめた瞬間、

灰がふっと舞い上がり、空気に溶けた。


「ユリウスさま!」

ネルダの叫びと同時に、

肩口から赤が散った。


何かがまだ、そこにいる。

風が鳴く。森が軋む。


そして——

青い光が、彼らの足元で脈打った。


次回は明日22時〜24時の間に更新予定です。

活動報告で設定などもちらほら呟いております。

ユリウス、大丈夫か…!と心配してくださる方は、ブックマークしていただけると嬉しいです。

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