サファイリア魔法研究会・再結成 1
七日の雨が去り、王都の空にようやく陽が差した。
石畳の道は光を映し、塔の屋根には小鳥が羽を休めている。
樹々は生き生きと葉をきらめかせ、花々は一斉に祈りのような香りを放っているのに、王女の心に落ちる影は色濃くなるばかりだった。
日毎に夏の気配が増していく頃のこと。
うつむきがちに歩いていた幼い彼女が、その部屋に迷い込んでしまったのは、偶然か必然だったのかはわからない。
ただひとつだけ確かなのは、鍵の開く小さな音が胸の奥で聞こえたこと。
ひとりきりで運命と向き合う背中から、目を離すことができなかったこと。
それは今から四年前。
メアリーレイン・サファイリア十二歳、陽光の眩しい午後のことだった。
*
「……え?」
秘密の便りを受け取り、息を弾ませ廃礼拝堂に現れたメアリーレインが見たものは、予想外の光景だった。
「なぜユーリがここにいるの?」
魔導書を手にしているネルダの横で、ユリウスはまるで当然のように腕を組み、壁にもたれていた。
稽古帰りなのか、剣帯の金具が微かに揺れている。
「呼ばれたからだが」
「誰によ」
「ネルダに」
「ネルダに!?」
驚いて少女を見やると、こくりと頷く。
「私がお呼ーー」
「どうして!? 脅されたの? それとも何か弱みでも握られて…!?」
「……俺は優しすぎるとかどうとか言っていなかったか」
弟をなんだと思っているんだと呆れながら姉姫を制するユリウスの背から、ネルダがひょこりと顔を出す。
「驚かせてしまい申し訳ありません。ご説明させていただいてもよろしいでしょうか」
*
ネルダは今日までの間、およそ数ヶ月のあいだに起きたことをメアリーレインに話した。
ひとりで魔法の研究を続けていたこと。
本来の目的である例の魔法ではなく、別の魔法が成功したこと。
それがおそらくは神話上の存在である『サファイリウム・アルバ』を咲かせるものであったこと。
それはユリウスが幼い頃から研究を続けていた花であったこと。
「……というわけで、ユリウスさまにサファイリア魔法研究会にご入会いただくことになりました」
「待って」
丸い目をさらに丸くしながらも、経緯を最後まで静かに聞いていたメアリーレインだが、それだけはさすがに即座に飲むことができなかった。
「あなたは魔法の研究に反対していたじゃないの、ユリウス」
自分でも割り切れない何かを押さえ込むように、ユリウスは短く息を吐いた。
「……今でもそれは変わらない。賛成していい立場ではないからな」
言葉を区切り、視線はネルダを捉える。
「だが、あれを見てしまっては……」
サファイリウム・アルバ。
白銀の花弁に虹の光彩を纏う、蒼の魔女の忘形見。
「……本当なのね。魔法が、よみがえったのね」
メアリーレインの声はかすかに震えていた。
期待と驚き、そしてひと匙の不安。
それを受け止め、ネルダは静かに告げた。
「今から、ひとつ試してみたいと思います」
ネルダは床に置いた布包みを解き、白い土を露わにした。
微かに光を孕み、灯りを受けて繊細な輝きをを返している。
「故郷で“月の粉”と呼ばれていたものです。本当の名は知りません」
「そんなもの、どこで」
ユリウスが眉を寄せる。
「作りました。記憶を辿って」
満月から新月まで、浄化した土に一定時間月の光を吸わせる。
その後いくつかの工程を経て仕上げるこの粉は、作物がよく育つように畑に撒く肥料のようなものだった。
面倒な決まりごとのひとつひとつが、魔法の地盤となる大切なものだったことを知る。
「初めての花は、時間が経つと消えてしまいました。本当の意味で復活させたいならばーー」
ネルダは白い土に指を入れ、薄くかき混ぜる。
魔導書の頁が、ふっと風もないのにめくれた。
唱文を囁く。
古語が粒のように転がり合い、かすかな音楽になる。
つむじより上に“領域”が灯る。透明な鉢に、水が満ちていくみたいに。
淡い光が生まれ、やさしく土に沈む。
月の粉がまるで応えるようにかすかに拍動し、光を受け入れた。
“根”を思い、土と、風と、水脈を思う。
花は“置く”のではなく“帰す”のだと、古い言葉が告げる。
ネルダの指先から体温がするすると抜けた瞬間、遠い鐘の音のように、記憶の底が鳴った。
――遠い空。白い冠。しなやかで強い馬の背。
地平線まで続く草海原を、ネルダは誰かと駆けていた。
どこまでもどこまでも、この人となら行くことができると思った。
と、背後で鋭く息を飲む音がした。
ユリウスと視線が絡む。
温室での光の海を思い出す。
また、共鳴が起きたのだと思った。
土の上に、青白い輪郭が滲んだ。
花弁はまだ透けている。目を凝らさねば見えないほど淡い。
「見える……!」
メアリーレインが囁く。
輪郭がすこし濃くなり、花弁の縁に虹色が瞬く。
「……消えないで、お願い」
願う声は、誰のものだったのか。




