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白銀の花、沈黙を破る声 2

「その花を……どこで見つけた?」


声が漏れた瞬間、胸の奥が熱を持つ。

まるで何かが、名を呼ばれるのを待っていたかのように。


陽光の中で、小瓶を抱える少女が振り返る。

両の手の中に咲いた花は、銀色に光を返していた。

見間違えるはずがない。

それは、伝承の中でしか存在しないはずの——サファイリウム・アルバ。


「……これは、ただの……」


ネルダの声が途切れた。

彼女の視線が泳ぎ、背に隠すように花を包む。

咄嗟に言葉を継いだのは、理性ではなく直感だった。


「ここでは話せない。来い」


戸惑う彼女の手を取って、足を向ける。


目的地は温室——王立植物園の奥、一般の使用人が入ることのない研究区画。

半ば引かれるように歩く彼女の足取りが軽いのを感じながら、

胸の奥で、何かが小さく脈打っていた。


白い花。

探し求めていた幻の花弁。

あの花を見た瞬間、胸の内側が灼けるように熱を持った。

まるで何百年も前、同じ光の下でその手を取った記憶が、胸の奥から呼び覚まされるようだった。

白銀の花の中に、懐かしい鼓動がある。

まるで誰かと誓いを交わしたような——。


いや、そんなはずはない。

思考を振り払うように、扉を押し開けた。


温室の中は、昼の名残を抱いたまま蒸気のような温もりを帯びていた。

陽光がガラスの天井を透かして降り注ぎ、青いサファイリウムが微かに揺れるたび、床に光の粒がこぼれる。


そのすべてを見て、ネルダの瞳がわずかに見開かれた。


「……きれい……」


声は囁きのように、けれど確かな響きをもっていた。


その一言に、なぜか胸が掴まれる。

たった今この温室が初めて息をしたように感じた。


自分が毎日眺めてきた花のひとつひとつが、

彼女の目を通すだけで意味を取り戻していくようだった。


「ここは、姉上の……いや、王族の研究区域だ。許可なく入れる場所ではないが……今だけは構わない」

「……怒っていないのですか?」


彼女が手を胸に添えたまま問う。

花を隠すように、でも守るように。

その仕草が、なぜか祈りに見えた。


「怒るべきなのかもしれない。けれど……」


――その花を持つ君を見て、胸が高鳴ったんだ。

続く言葉を、紡ぐことはできない。


ユリウスはサファイリウムの棚に手を置き、

ゆっくりとネルダのほうへ向き直った。


「この花を、知っているか?」

「いえ……知りません。魔導書に書いてあった詩篇を試して……それだけで」


魔導書。

詩篇。

失われた古代語——。


脳裏にひらめいた言葉の断片が、

どれも熱を帯びて胸を刺す。


「……古語を口にしたのか?」

「はい。でも……ほんの少しだけ。“蒼の律”のひとつを破ることになると、わかっていたのに」

「……蒼の律、か」


その言葉に、幼いころに読んだ建国神話の一節がふとよみがえる。


『蒼の血に連なる者、七つの律を超えてはならぬ。』


蒼の律――世界を分かたぬために、魔女が残した七つの禁。


子どもの頃はただの寓話だと思っていた。

だが、目の前の花がそれを否定している。


彼女が禁を破って花を咲かせた。

それは偶然ではない。

ユリウスは一歩、彼女に近づいた。


「その声で、この花が目を覚ましたのだな」


ネルダが戸惑いの色を見せる。

だがその瞳の奥に、確かな光が宿っていた。

その輝きを見ていると、胸の奥が懐かしさで痛んだ。

銀と蒼。

互いを映す鏡のように、二人の視線が結ばれる。


「……この花は、伝承の中だけの存在だと思っていた。けれど、君が咲かせたのなら——失われた魔法は、まだどこかに生きているのかもしれない」


沈黙。

温室の中に、風が通り抜ける。

光を受けた花々が一斉に揺れた。

その音がまるで、遠い過去の記憶を呼び覚ます鐘の音のように響く。


「なぜ私たちは、魔法を失ったのでしょうか」


ネルダがそっと囁く。


「俺も、ずっと気になっていた。なぜ、“蒼の魔女”の名とともに、魔法そのものが禁忌とされてきたのか」

「村でも同じです。知識としては学ぶけれど、“蒼の魔女”のことは誰も語りたがらなかった」


そこで、二人同時に口をつぐむ。

語らずとも、同じ光景を思い出しているとわかった。


「……君と出会った夜、蒼と白の光を見たんだ」


その夜のことを語るのは、これが初めてのことだった。


「あの日から俺は、この花を探し求めていた」


言葉と眼差しが一致しない。

視線は花ではなくネルダに注がれたまま、逸らすことができないというのに。


ネルダはその眼差しから逃げることなく、そっと微笑んだ。


「ようやく、お礼が言えます。……私を見つけてくれて、ありがとうございます」


ネルダはそう言って、魔法で作り出した白い花を差し出した。

蒼の瞳と白銀の瞳が絡み合い、花のようにほころぶ。

気持ちを受け取ろうと、ユリウスが静かに花に触れた時だった。


虹の色を含んだ光の粒子がひとひらの花弁から生まれ、輝きを増しながら花を包み込むようにきらきらと膨らんでいく。

やがてそれは花を抱きしめるだけでは飽き足らず、洪水のように溢れて宙へとあがり、空を駆ける星のように降り注いだ。


「……!」


二人して、何も言えなかった。言えば、零れてしまうから。


涸れることのない光の泉。


ユリウスとネルダは、幻の花が起こした奇跡にすっかり心を奪われてしまっていた。


「私は……知りたいです。なぜ花を咲かすことができたのか」


白銀の瞳は、幻の光を映してひときわ輝いて見えた。


「なぜ、わたしたちが……魔法を失ったのか」


その言葉に、ユリウスはしばらく沈黙した。

彼女の瞳に映る決意の光が、かつて誰かと交わした誓いの残響のように感じられた。


「君の研究……俺にも、手伝わせてくれないか」


ネルダが驚いたように瞬きをする。

だがすぐに柔らかな笑みを浮かべ、手のひらをそっと差し出した。


「正確には、“君たち”の研究です。

……ようこそ。サファイリア魔法研究会へ」


その手に触れた瞬間、ユリウスはほんのわずか強く握った。気づかれない程度に。


空気がひとしずく震える。

ふたりの手のひらのあいだに、淡い光が灯る。


それは約束の記憶――

忘却の果てで、再び世界が動き出した。

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