耐えられない程の試練はない②
「あの子の愛はとても強く大きかった…!きっと彼女なら試練を乗り越えられる…….そう、思ったのですが、失望しました」
「……黙れ」
襲いかかる肉を蹴散らし、その毒を吐く口を貫くための黒い刃を生成してゆく。
「彼女は卑しくも自分の欲を選んでしまった。仲間よりも優先してしまった。嫉妬に呑まれてしまった。感情と欲望に沈み、仲間を手にかけ、その汚い手と口で貴方様を穢してしまった……これは明確な裏切り。神への冒涜」
「……黙れよ」
だがそれらはすり抜けるように悪なる魔には影響を及ぼせていない。
「試練を乗り越える者には祝福を。裏切り者には罰を。神に背き、手を穢す者に与えられるのは無の粛清です。その体を、感情を、魂を、浄化し神のもとへと還すのです。それがこのアイ…愛の悪魔の使命」
「……もう良い。お前を滅ぼす」
イランは左腕の魔力を受け入れ始める。
「そうすれば全てが終わる」
髪が銀に輝き、咲き誇るように伸びてゆく。
「貴様の溶けた脳みそから排出された反吐のでる判決も、お門違いな説法も、貴様に纏わる全てがどうでも良い」
その髪は暗闇の中を泳ぎ、周りを照らしてゆく。
「消え失せろ悪魔。貴様はこの世に存在してはいけないモノだ」
彼は悪魔の言葉を拒絶するように体の全てを黒で覆った。
「『エドラ・ルヴ・アーフィリア』の左腕…悪魔に対し一方的なその魔力。……そうまでしてあの子を救いたいのですね?……あ、あぁ………嗚呼…ッ!何故この世はこうも残酷なのでしょう…ッ?!か、彼の……ッ!かくも尊き貴方様の清い願いが…淡く儚い希望は………虚しくも天には届かない……ッ!?」
「……どういうことだ…?」
その言葉に、異質な魔力による強烈な痛みが遠のく。痛みよりも強い警告が、嫌な予感として頭に鳴り響く。
脳が、体の異常よりも優先するべき情報として受け取ってしまう。
浸るように天を仰ぐアナティマはゆっくりとイランへ視線を向ける。
「アイを消滅させても……あの子はもう戻らないのです」
それは彼の心を揺さぶるに十分すぎる言葉だった。
だが……こんなもので彼の心は折れない。
「貴様の言葉など信じるに値しない」
「信じない……?いいえ?貴方様はもうアイのことを信じて下さっています。アイのこの思いを…奇跡を…ッ!」
異質な力と自らの魔力を混ぜ合わせながら、彼女の言葉の真意を探る。ただでさえ悪魔と相対するのは初。
基本的な情報以外は何もわからない。それでもルノをいち早く救うために最低限の情報しか会得していない。
だが、そんな彼の思惑を見透かしたように彼女は自らを語りだす。
「あ、あぁ…ッ!アイの……!アイのことを知りたいのですね…?このアイの事が知りたいのですね……!うふ、迷える子羊に天啓を与えるのも神の使いであるアイの役目と言えるのです…!教えては差し上げましょう!」
曰く、それは奇跡。
曰く、それは信仰の顕現。
彼女が思い描くその光景、理想、彼女が映し出す奇跡。
それを信じる者が居れば、それはその者にとっての現実となる。
『失った腕の痛みを感じることがあるように、人はそこに有ると信じれば、それは有るのです』
幻惑を現実として確定させる。
いわば奇跡の顕現。
そしてそれは現象だけに留まらない。
人の感情……想いにさえ影響を及ぼす。
『魅了』どころではない。
『洗脳』そう言ってしまっても良いくらいの強力なものとなる。
「…奇跡だと…?下らない。そんなもの、俺の前へ降り立ったことなど一度もない。」
彼は腕から落ちるその血肉を周囲へばら撒く。
その甚大なエネルギーを含んだ魔力が草木に染み込み、生命力を与えてゆく。
「俺は…俺たちは、己の力で乗り越えてきた。そして今度は貴様だ…!踏み台如きが調子に乗るなよクソカスがァッッ!」
「あぁぁっ!ァアァアァアアァアァッッ!!やっと…!やっとこのアイ自らが貴方様の試練として訪れた…!やっと、やっとぉおおおっ!」
急激に成長して物量を増やしてくるそれらに指向性を与え、次々に目先の悪魔へと仕向けてゆく。
彼女の足元から出現する異形の触手を絡め取り、その先の悪魔の動きを封じる。
彼女はそれでも余裕を崩さない。
「うふっ…短期間でエドラの魔力を扱う練度が上がっている…これもあのエルフの娘のおかげですねぇ。……エドラの魔力なら確かにアイの権能も無効化できる……うふふ、アイのことをたくさん考えて下さったのですね?」
「黙れ消えろ」
彼女の体に黒と生命の木々が次々と突き刺さる。
エドラの魔力が彼女の中で拒絶反応を起こし、人の形に押し固めていた血肉を爆散させる。
宙に舞ったそれらは、ボタボタと気色の悪い音を立てながら地面へと落ちてゆく。
だが、頭の内側を引っ掻くようなあの不快な声は止まない。
「うふふ、「うふ「うふふふふ」ふふ」「うふ「ふふふ」」
姿は見えない。重なり合った笑い声は少しずつ雑音を混じらせ、より不快感を増したそれらが絶えず耳朶を震わせる。
あの時の白毛の猿型魔獣を思い出す。
だがあの時のように本体の位置が掴めない。探知に反応している数が多すぎる。
魔力探知も含めた六感全てに権能が反映されている。
草木の合間からその奇妙な笑い声の主達が現れてゆく。先ほどの口のついた肉の触手。肌色の異形の蛇がイランを囲っていた。
その歪な口の形は、歯の隙間から涎を落とし、嗤ってるようにも見える。
それらが声にならない声を上げながらイランの喉元にかみつこうと一斉に襲いかかる。
肉と木々が蛇の交尾のように絡みつく。
その周辺一体の地形を変えながらイランはアナティマを撹乱し、隙を窺い続ける。
エドラの魔力を宿した木々達がイランの魔力を隠す。
木を隠す森のように、エドラの魔力が侵食したイランの身体を存在ごと隠蔽してゆく。
木々が動きを止めはじめる。
「……あれれ?どこ行っちゃいました?おーい?愛しの貴方様〜?」
返事は来ない。
「おーい……?」
反応もない
静けさが訪れ、時間だけが過ぎてゆく。
「……まさか…逃げたのですか?この期に及んで?恐怖に堕ちて我が身可愛さに……姿を消した?」
体を震わせ絶望を表情に浮かばせる。
その悪魔は初めて動揺を見せた。
「そ、そ、そそそんな……そんなわけなぃいっ!い、愛しのあの御方が…アイをの前から…し、試練を前に……背を向け、放棄するなど……あ、あ、あってはならないのです…っ!」
その悪魔は、目の内側でその異形の瞳を膨らませ増殖させてゆく。
それらは虫が蠢くように目の表面を這いずり回る。
「まさかぁっ?!あ、あんなモノに取り込まれたとッ?!そ、そんなことあってならない!貴方様を満たすのはこのアイだけで良いのですッッ!色欲でも憤怒でも恐怖でもなくこの愛だけで良いのですッ!」
背から肉の触手を吐き出し続ける。
それは悍ましい悪魔の羽として周辺の木々を齧り、削り取りながら周りを埋め尽くしてゆく。
「ァアァアアァアァッ!どこ…!どこですッ?!どこなのですか?!どこどこどこどこどこへ!?行ったのですかァッ?!」
「ここだバケモノ」
彼の黒い左腕がその悪魔の背を貫いた。
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