巻き込まれてる場合じゃない②
「《アイスコフィン》」
彼女は出かける前、必ずその絵本に氷の封印魔術を施し、誰にも触れられない様に厳重に保管している。
その絵本は彼女にとっての大切な思い出の品。
『霊樹の旅人』
大きな木の麓で、母親の膝の上でいつも読んでもらっていた絵本。
エルフにとっては定番とも言える人気の絵本だ。
一人のエルフが旅をする話で、世界の様々な場所にあると言われる伝説の樹木を目指して歩む。
木に宿る精霊と出会い、集めた思い出を語り、そのお返しとして妖精の知識を得る。
そんな冒険譚が描かれている。
それが彼女の宝物だ。
「………どこ、いったの……
……お母さん」
その声は静かに空気へと溶けていった。
**
ファムナームは困っていた。
イランとの関わりによって問題が生じていた。
イランは良くも悪くも目立つ。
公爵家。竜狩。タロン入隊経験あり。魔領から自力で生還。決闘不敗。ハーレム持ち。にゃでナー。etc
様々な肩書を持つ……そのくせ学園ではどこの派閥に入るわけでもなく只々仲間達と一緒に過ごすのみ。
風の噂では男なのにも関わらず茶会を定期的に開いているという。
誰と敵対するでもなく平穏に過ごす。
その代わり手を出せば容赦はしない。
まさに触らぬ神に祟りなし。
そんな彼に直接近づくのは無理と判断した彼らは標的を変え始める。
彼らの行き先はイランと仲の良いウルカとファムナームに分かれる。
イランに恨みを持つ者も、イランの派閥に加わりたい者も、全てが彼女達へ向かってゆく。
ウルカはその強気な性格から『うざいっ!近付かないでッ!』と一括している。
ファムナームは、喋るのが億劫なその性格から、魔力の圧のみで牽制しているのだが……問題はイランに恨みを持つ者達の遠くから行われるチマチマした嫌がらせと、その鈍さから魔力の圧がいまいち効いていない者達だ。
「……めんどくさい」
心底めんどくさい……だがイランから離れるという選択肢はない。
彼のそばは居心地がいい。故に離れたくないと思える。
エルフという種族柄、本来は人に警戒心を持ってしまうのだが……イランには不思議とそれがない。
あの左腕だけが理由ではない、それは彼女にもわかっていることだった。
不思議な感覚……だが、悪くない。
その感情を胸に抱き、今日もイランへと頭突きをかましにいくのであった。
**
イランは身構える。前方から銀の髪の小さな少女。その膂力は凄まじくすごい速さで迫ってくる。
走りながらも正面などは最初から全く見ておらず、イランの目に映るのはその小さな頭のてっぺんにある旋毛のみ。
そしてその少女を……
「……フンッ!」
下から掬い上げ、抱き上げた。
脇に手を入れられ、上へとあげられているファムナーム。足は地面から浮き、その四肢をジタバタと動かし抵抗を試みる。
そしてしばらくしてから……大人しくなった。
「……やるね…」
「フッ、俺も成長するのさ」
二人の視線は熱く絡み合っている。二人の間には心なしか、キラキラと輝く何かが煌めいていた。
「………毎回思うんだけど…普通に挨拶とかできない感じ?」
この光景に未だ違和感を拭えないネプトは呟く
「熱い友情と成長物語…素晴らしいですね!」
パチパチと小さく拍手を送るクレア。その頬には一筋の涙の様なものが流れていた。
「……で、何か用か?ファムナ」
「……お菓子、食べるやつ……やる?」
お茶会のことである。
ファムナの『気まぐれに会いに来ては何かを欲しがる』という甘え方は、少し猫のそれを思わせる。故にイランはどんどん彼女の要望を聞く様になってしまっている。
「構わんぞ」
「ご主人様、少しファムナームさんに甘くないですか?」
もちろん、クレアは側近として『このままではいけない』という意見を挟むが……
「クレアも食べるだろう?」
「う、うぅ…」
このイランからの誘惑……もとい言葉に封殺される。
女子にとって甘味は抗い難い幸せなのだ。
「……プレムも呼んでいいですか?」
「あぁ、構わん。妹達も一緒に招待してやれ」
ちゃっかりプレムを呼ぼうとするネプトの要望にもしっかり答えてゆく。
『あとルノも呼ばないとな』と一人でに呟く。
毎回この流れである。結局それなりの人数で集まり茶菓子を振る舞う。
イランはそこまで甘いものが好きではないが、その時間は幸せそのものだ。
大切な人間の幸せそうな表情を見るだけで心が温まる。数年前までは考えられなかった心境だろう。
「よぉう、ファムナーム。そんなところにいたのかぁっ!探したぜ〜」
だがその時間を邪魔する男の声が割り込む。
腕を大きく振り、肩で風を切る。粗暴な振る舞いのままこちらへ近づいてくる男の姿。
後ろに一人の女性を侍らせている。
その声に反応したファムナームはすぐさまイランの後ろに隠れる。
「……なんだ貴様」
イランの鋭い視線がその男へと突き刺さる。
「お前に用はねえよ、イラン・オルギアス。そのエルフの女に用があるんだ。どけよ」
乱暴な振る舞いのままイランの前まで進み、睨みつける。
自分の背に隠れているファムナームに目をやる。
その男に対し、べーっ、と舌を出して嫌悪の所作を表していた。
「どうやらお前は振られている様だ。品もない上に、しつこいとは……女性から嫌われるぞ?」
「ひ、品がないのはあなたもですっ!イラン・オルギアスっ!」
男が侍らせていた女性が後ろから威嚇の声を上げる。
「…….誰だ貴様」
「ひ、ひぃっ?!」
怯える女性、その表情を見て、クレアは呟く。
「シーファ…ちゃん」
『シーファ』その名前にイランは動きを止める。
それを見逃さずその男はイランへと責め立てる
「シーファから聞いてんぜぇ?お前、昔は相当やらかしてたみてぇじゃねえか?なぁ?悪徳貴族のオルギアスさんよぉ?」
シーファ。彼女は昔、オルギアス家で使用人として働いていた娘だ。
そしてイランの悪逆に耐えきれず辞めていったうちの一人。
イランはその名をしっかり覚えている。誰一人として忘れたことなどない。
自らの過ちであり精算したくてもできない己の罪。
「おいっ?!テメェッ!どこへ行くッ!」
イランは目の前の男を無視して彼女の元へと進む。
「えっ?えっ?ひぇっ?」
シーファは恐れから小さく悲鳴を上げる。
昔のトラウマが蘇る。また痛めつけられると目を瞑り身を構える。
だが、いつまで経っても何も起きない。違和感を覚え少しずつ目を開けるとそこには……
「本当に申し訳なかった」
……頭を深く深く下げる、昔自分を痛めつけていた男の姿があった。
彼は頭を下げたまま続ける。
「俺にできることであればなんでもする。だがそれで許してくれとは言わない。チャンスが欲しい。許してもらうためのチャンスを」
彼のまさかの行動に、驚きを隠せず何も反応できなかった。
「ならファムナームを寄越せよ」
そんな彼女の代わりと言わんばかりにその男は口を挟む。
「……俺は彼女に謝罪をしている。貴様には喋っていない。失せろ俗物…ッ!」
「ろ、ロンさんに酷いこと言わないでくださいっ!」
ロン。その乱暴な振る舞いをする彼の名前なのだろう。
どうやら彼女…シーファは、今ではその男の使用人をしているらしい。
「……そうか、わかった。君の言葉なら受け入れよう。優しく、丁寧に、話をするとしようか」
その顔は先程の殺気立った顔ではなく、貼り付けたような笑みを浮かべていた。
「ロン、と言ったかな?すまないがファムナを渡すことはできない。あれは俺のモノだ。君に渡せるモノではないし…それはシーファからの願いであっても受け入れられない。理解してくれるかな?」
「なら決闘だ。俺が勝ったらお前の女を全て頂く」
「………ここで…殺し––––
「主様…落ち着けよ。腹立つのはわかるがここで暴れちゃ流石にまずい」
激情に呑まれそうになるイランをネプトが宥める。
「……ネプト、助かった」
「しっかりしてくれよ〜?あんな小物にいちいちキレてちゃキリないぜ?」
少し平常心を取り戻したイランはロンへと視線を戻す。
「その決闘は受けれない。彼女達を賭けることは出来ない」
「てめえの意見なんざ関係ねえんだよ」
そう言い、シーファに目を向ける。その視線を受け取った彼女は怯えながらも言葉を口にする。
「け、決闘を受けて下さいっ!それが私からの要望ですっ!」
少し考える……が、
「……いや、やはりダメだ。君からの願いでもそれは受けれない」
断ろうするその態度に、そうはさせまいとロンがイランを焚き付ける。
「ビビってんのか?この俺に負けるのが怖くて逃げたくなったかぁ?」
「勝ち負けの問題ではない。『彼女達を賭ける』それ自体が俺にとっては受け入れ難い––––
「いいわよ別に」
「……は?」
その声へと振り返ると、そこにいたのはウルカだった。
「別にあんたが負けるなんて思えないし」
「いや、待て。いきなり現れて勝手に話を進めるな」
「……いいよ」
「クレアも別にいいですよ?」
「……どういうことだ?」
彼女達の自分を蔑ろにしているとも取れるその言動にイランは混乱する。
まさか思うまい。
その理由が『なんか、守ってくれてるみたいでうれしいから』だとか、『必死になって呼び止めてくれてる感じがするから』だとか、『絵本に出てくるお姫様みたいな立ち位置みたいで気持ちがいいから』の様な、夢見る少女の乙女心からきているとはイランは思うわけがなかった。
そしてこれは、イランが負けるわけないという信頼の裏返しでもある。
イランを混乱から引き戻すかの様に彼女は叫ぶ。
「け、決闘受けてくれたらっ!昔のことを許します…ッ!」
「女達にそこまで言われてまさか断らねえよなぁ?」
「……あぁ、わかった。ならば受けよう。だがこれは決闘だ。シーファのために手加減したりなどしない。精々死物狂いでかかってくることだな」
「ハッ!もう勝った気でいんのかよっ?!」
勢いに流されているとも言えなくない。
だが逆に言えば、イランからすれば大切な人間を賭けに出した上で、こんな簡単に決闘を引き受けられてしまう。
この男からはその程度の実力しか感じられなかった。
決闘の日時は3日後の授業終わりということになった。
『今のうちに少しでもそいつらを楽しんでおくんだなぁッ!』そんな言葉を置いて彼は立ち去っていった。
「あいつ、なんであんな自信満々なわけ?あんたが竜ぶっ倒してること、まさか知らないわけじゃないわよね?」
「……知るか。というか、今更だが……ファムナ、あいつとは何者だ?」
「……うざいやつ」
「そ、そうか」
ファムナームの口から汚い言葉が出てきたことに少し驚くイラン。
もしその言葉が自分に向けられると思うと、立ち直れなくなりそうだ、と少し恐怖を覚えたのだった。