愛でてる場合じゃない
「さぁっ!みんなっ!行こうかっ!」
「なんか……主様、すっげえテンション高けぇね…?」
「ご主人様が楽しそうでクレアも嬉しいです」
「……んへ、いーくんかわいいね」
「……こんなこったろうと思ったわよ」
「…………」
(い、イラン…っ、本当に大丈夫なんだろうな……?)
イラン、ネプト、クレア、ルノ……そして気まずい空気を纏ったウルカとヘレン。
イラン一向はある目的地のために街へ来ていた。
そしてとある店へと向かっている。
全てはウルカとヘレンの仲を取り持つために。
**
その日の授業も終わり、イランはとある人物へと声をかけに行く。二人きりで会話をする為にクレアとネプトを下がらせて。
「ウルカ、少しいいか?」
「…っ?!な、なによっ!」
「……?」
まるでケダモノでも見る様な目つきでイランを睨むウルカ。その表情は警戒を表している…が、当のイランには何も心当たりがない。
「用があって声をかけたんだが…?」
「は、はぁっ?!あんたこの前…あ、あ、あんなことしといてっ!そんな気軽に…っ!な、なにっ?!お貴族様ではあー言うのが普通だって言いたいわけっ?!」
「ど、どうした…っ?!一旦落ち着け…っ!」
イランの態度が気に障ったのか、ウルカは息を荒げながらイランへ捲し立てるさ。
「この前って…もしかして……」
一つの心当たりを元に、イランはなんとか記憶を手繰り寄せる。
そして、ほんの一片……ほんの一片だけ記憶を取り戻す。
––––あたしは空いてる太ももんとこ行けばいいわけ?––––
これだ……この先の記憶はないが、なんと無く心で覚えている。あの我慢と快感から来る苦痛の記憶は魂に刻み込まれている。
きっと、あの後自分は何かをやらかしてしまったのだろう。
「ふ、ふんっ!思い出したようねっ!あんた……あれ、どう責任取るつもりよ」
「責任……っ!?」
ウルカの口からあまりにも重い言葉が出てきてイランに焦りが出る。
正直何も思い出せていない。
「そりゃそうでしょっ!み、耳元であんな……あんなくっさいセリフよく言えたわねっ!」
『俺は一体何を言ったんだ』と自分で自分を呪う日が来るなんで思いもしなかったイラン。このままではまずい、となんとか必死に記憶の蘇生を試みる。
下手な回答をすれば余計怒らせるだろう。そうすれば計画が全て台無しになる。
「悪かった。……責任は…取ろう…」
結果、イランの悪い癖がここで顔を出す。
内容もわからず返答をしてしまう。
「……へぇっ?!」
まさかの返答にウルカは驚き、顔を紅潮させてゆく。
「あ、あ、あんた…っ?!それ………ほん、き?」
「あぁ。当然だ…っ!」
何かを考え込むウルカ。
「そ、そう……。ふ、ふぅーん。あんたってそうだったんだ。ふ、ふぅーん。じゃぁ…まぁ、そこまでいうなら……そういうことで……す、す、すぅぇながく……よろしく」
彼女が口をモゴモゴさせながら聞こえた『すぅぇながく』の意味がよくわからなかった。イランは混乱に混乱を重ねる。
「……は?」
「じ、じゃあ、そういうことで」
「ま、待てっ!話が––––
と立ち去っていこうとするウルカを引き止めた。
やっとウルカに本題を話せたイラン。『次の休日一緒に出かけないか?』と誘ったら『行動に移す早すぎでしょ…っ?!でも、まぁ、デートとかは…必要よね』とぶつぶつ独り言を呟いた後、快く承諾してくれた。
**
「あの……ここは…?」
「……なんだこりゃぁ……」
ネプトとクレアは理解が追いついていない。
イランに連れられ、やってきたそこは……
まさに天国、理想郷、極楽浄土。
人の夢が詰まった楽園(イラン当比者)
その店の名前は『ぷっしーている』
広い店内のそこかしこに、その子達専用の遊具が並び、ラブリーなおもちゃが配置され、『おやつ』と書かれたメニュー表とその子たちのプロフィールが壁に貼ってある。
そのお店では、その子達が自由に闊歩するのを拝見させて頂いたり、たまに触れることを許可して頂いたり、たまに足の上に乗っかって頂く………
いわゆる猫カフェだった。
「こんな場所…いつの間に見つけてたんですか?」
腹を見せるように寝そべるキジトラの猫の頭を優しく撫で付けながらクレアは問う。
「ふっ、にゃでナーの端くれたるもの、近くの楽園を全て踏破するのは当然のことだ」
必死に猫と視線を合わし、地面を這いながらゆっくり近付くが、イランの前に猫は寄り付かない。
あの森で過ごしてから、彼の前に小動物は寄り付かなくなってしまっている。
「いーくん、猫ちゃん好きだもんね?」
自分の膝の上でくつろぐ真っ白な長毛の猫を撫でながらルノは思い出す。
イランに誘われ、初めてオルギアス家の屋敷へ行った日の事だ–––– • • •
食事も終わり日も暮れた頃、イランは何やら怪しげにコソコソと屋敷を出て行っていた。
その現場を目撃したルノは脅かそうという悪戯心からこっそり跡をつけて行った。
『ゴーロ、うまいかー?愛いやつだなぁ〜。あ、こらノノっ!1人でそんなに食べるな!みんなの分がなくなってしまうだろう!そ、そんなに可愛い顔をしてもダメなものダメだっ!…っ?!ぉぁっ?!ナール……きょ、今日随分と上機嫌じゃないか?そんなにすり寄ってきて……久しぶりだったから、甘えたいのか?…いいのか?触っても、で、では…失礼して……』
あまりにも幸せそうな風景を見て、邪魔をしては悪いと気を遣い、そのままイランに気付かれる事なく屋敷へと踵を返した。
• • • ––––あの時のいーくん可愛かったなぁ…。まさかもう一回見れるなんて…こ、今度二人で行かないかって誘って…みよう……かな…?)
ルノが淡い恋心に想いを馳せている中、ネプトの一言が空気を壊す。
「でも……主様、女性にはモテんのに猫にはモテねぇのな」
猫の毛の流れに沿わせて撫で付けながら、爽やかな笑顔でイランの心を抉り取ってしまった。
「……っ?!…ッ…ッ」
ルノとクレアにジトっと睨まれる。
「えっ?!えっ?!俺なんかやっちゃったっ?!」
「ネプトくん、今度からはデリカシーも一緒に鍛え直してあげますね」
だがイランはこんな程度でへこたれない。
「ネプト……この俺を舐めるなよ…ッ!」
いつになく切迫した表情で、頭が追いついていないネプトへと目を向ける。
「え?え?」
当のネプトはまだ理解が追いついていない。
「きてくれっ!ミャルちゃんッッ!」
(猫は音に敏感で、大きな音を立てるとびっくりしてしまいますので、小声での会話になっております。byイラン)
その呼び声と共に『んなぁ〜ぉ』と可愛らしい声が、壁に設置された小さなトンネルから聞こえてくる。
現れたのはショートの黒猫。
手足がするりと長く、尾の動きは優雅さすら感じる。顔は丸っぽく、目はくりっとしていて愛嬌がある。
その黒猫はイランの元へ優美に歩いてゆき、イランの手のひらへ自分の頭を擦り付ける。
「お、ぉふぉぅ」
そんな気持ちの悪い声を上げながらもイランは今までの経験で得た技術全てを用い、マッサージを施す。
耳の付け根を優しく揉んだり、バラバラに動かした指の腹で顎下を掻いてやったり、あの手この手で黒猫をもてなす。
次第に喉元から『ゴロゴロ』という音共に振動が伝わって来る。
目を細め、されるがままに身を任せるその姿はまさに至福と言ったところだ。
『どうだ!』と言わんばかりに、再度ネプトへと目を向ける。
「あ、あはは…すごいっす。お見それしやした」
あまりにも表情で語るイランに気圧され、ネプトは謎の三下ムーブになってしまう。
すると、エプロンをつけた店員が話しかけてくる。
「ほんとにすごいんですよー?ミャルちゃん…ちょっと特殊で、あんまり人に懐かないんです」
「ほへー、すごいじゃん主様」
『そうだろうそうだろう』とネプトの態度に満足げに頷く。
ネプトは少し複雑そうな顔で笑う。
入店した時、店員がイランのことを裏で『貸切大名』だの『ミャルパパ』だのと呼ばれているところを聞いてしまったのだ。
ちなみに今回も、もちろん貸切である。
そんなイラン達をよそにルノとクレアは乙女会議を開いている。
「ルノちゃん、あの猫ちゃん…なんだか油断ならない気がします」
「わかる。な、なんか…あのままにしてたらすっごく良くない気がする」
少女の勘は鋭い。
その敏感なセンサーに何かが引っ掛かる。不安という小さな棘が心に刺さって抜けない。そんな違和感。
だがイランは目の前の猫に夢中……だったが、思い出したようにもう一人の少女へと目を向ける。
「ウルカ、どうだ?楽し––––お前すごいなぁっ?!」
その視線の先には猫、猫、猫、猫、猫。
猫の媚びるような甘い鳴き声と、喉から発せられる振動音に包まれていた。
だが当の本人はどこか上の空。
地面に腰を下ろし、片膝を立てそこに頬杖をついている。
頭や体を擦り寄せ、何度もその周りを往復しながら尾を巻きつけてくる猫たちには目もくれず、日の光の刺す窓へと目を向けている。
「……ハァ、」
彼女は小さくため息を吐くだけだった。
「ウルカさん…」
そんな彼女を心配するように眺めるルノ。
この店に到着する少し前。
ウルカが意を決し、声をかけようとした瞬間『や、やっぱり私には無理だぁっ!ダメなんだぁっ!』と叫びながらヘレンはどこかへすっ飛んで行ってしまった。
ウルカとクレアとネプト。
その3人に強い言葉を吐いた手前、どうしていいかわからなくなり居た堪れなくなった。
そんな様子で一瞬で姿を消したヘレン。
だが、当のクレアとネプトは、自分の弱さ故の結果ということは理解している。
自分の弱さの責任を他人に押し付けるような情けない真似は二人にはできない。
故に、感謝こそすれ、ヘレンに対し邪険にするような感情は最初から持ち合わせていない。
だからこそ、問題はウルカなのだ。
「……お姉様…なんで……」
彼女はふと視線を落とす。可愛い白猫。
『そういえば、お姉様も猫に目がなかったな』とあの頃を思い出す。
野良猫を見つけたと自分を呼んで、一緒におやつをあげさせてくれた。その白猫は人懐っこく、二人の心に癒しを与えた。
ヘレンがいない日、森の向こうで可愛らしい猫を見つけた。そこは『入ってはいけない』と教えられていたが、好奇心に拐かされ入ってしまった。
逃げてゆく猫を追いかけ、追いついたときには遅かった。
その猫は猫ではなく魔獣だった。
怒り狂ったその魔獣の親がウルカへと爪を伸ばす。
その瞬間、眩い光が目の前に落ち、そこにはヘレンの姿があった。
その時、初めて叱られ…初めて『大切にされる』というその意味を理解した。
その日から彼女の胸には憧れがあった。
あの強烈でキラキラとした光が、瞳から離れなくなった。
ヘレンへの強い憧れが……そこへ芽生えた。
––––お前のためなら私はなんだってできるんだ。英雄にだってなんだって、なってやるさ––––
「用事を思い出した」
そう言い彼女は立ち上がる。
「そうか…なら行くといい」
彼女の表情を見てイランは優しく笑う。
『世話かけたわね』そう短く言い、彼女は扉の向こうへ出て行った。
「大丈夫ですかね?ウルカちゃん」
「あぁ、きっと大丈夫さ」
彼女の心にもう迷いはない。正面から向かい合う。
(納得してくれないなら納得してくれるまで……認めてくれるまで努力するまでよっ!)
あまりにもまっすぐなその答えを胸に抱き、憧れのあの人の元へ––––
「こぉんにちはぁ。お嬢さんの名前、ウルカ・『ソル』で合ってるぅ〜?」
急に後ろから男性の声。驚きと共に振り返る
「だ、誰っ……ぁぅっ」
「つぅか、まぁえ、たぁ〜」
その姿を確認する間もなくウルカの意識は途切れた。
そのまっすぐな気持ちは、一つの悪意によって阻まれた。