クレアの懐古
クレア、ネプト、プレム。
この三人はもうすぐ来る『討伐試験』に向けて連携などの訓練を休日に行なっていた。
度々2人の間に甘い空気が流れる為、クレアは少し疎外感を抱きながらも作戦や目標、スローガンを掲げ詰めていった。
訓練終了後、日も落ちてきたということで解散となった。ネプトはどうやらプレムの部屋絵と招待されたらしい。
『ピナとピノが連れて来いってうるさいのっ!いいからきなさいよっ!』と言っていたが本当かどうか怪しい……というより、あの『余計なお世話シスターズ』がその本領を発揮するために、あえてそうしている節がある。
(ネプトくんも、あれで中々、モテるところがありますからね)
タロンでの風景を思い出す。
度々女性の兵士から鍛錬へと誘われていた。彼の周りにはよく女性が寄り付いていた。
(彼女達がこの光景を見たらどうなるでしょうか……?)
よくない好奇心に駆られながらも女子寮へと戻っていると、見たことのある、いや、見たくもない顔がそこにあった。
あの時も、あの日の朝も、しつこく迫ってくるあの男だ。
「く、く、クレアさん。お、お疲れ様、だぁ……」
「……また貴方ですか…しつこいですよ。というかなんで私がここにいることを知っているんですか?」
「ぼ、僕はクレアさんのことなら、な、なんでも知っているヨォ」
気持ちが悪い、素直にそう思う。相手にしていられないと彼から離れるように帰路へと着く
「すみませんが、私は貴方の望みに応えられません、失礼します」
「ぼ、僕の前でも『クレアは』って言ってくれヨォおおおおっ!」
何かが弾けたように怒声を放ちながらその男は、背を向けたクレアへと襲いかかる。
「……ッ!いい加減にしなさいッ!」
振り返りながら、後ろから迫るその男を手で払う。
カシャンッ
彼を弾き飛ばした彼女の腕には、枷がかけられていた。魔石が嵌め込まれている枷が。
わからない、これがなんなのかわからない。どこかで見たような気がするが答えへと辿り着けない。
そんな彼女の焦りを無視して、その男は魔力を滾らせる。《強化魔術》だ。
「うふぇへへ。やっと……ッ!やっと僕のモノにできるッ!やっと君をあいつから救えるゥッ!!」
「ッ!?やる気ですかッ!」
クレアも対抗しようと魔力で体を––––
(魔力が出ないっ?!いや、違う、この魔石に吸われているッ?!)
クレアは思い出した。
この枷は街の警備兵が使っているもの。
犯罪者などを捕縛し、魔力での抵抗を阻止する為の拘束具。魔術を禁ずる特殊な魔石が嵌め込まれた対犯罪者用の魔具『ペリオン』だ。
(なぜそんなモノ…を––––
だがそんな彼女の疑問など関係ないとばかりに、その男は彼女の意識を刈り取った。
**
「ほ、ほら!クレアさ…クレアっ!僕のことをご、ご主人様って呼んでごらん…?」
縛り付けたクレアへとその男は問いかける。ニタニタとした気持ちの悪い顔。
クレアは彼の要望に侮蔑で応える。
「………」
彼女の顔は彼を睨みつけたままだ。
だが彼はそんなこと気にもかけず、顔に吐きかけられた唾に手で触れ––––
「………ッ?!」
––––広げ始めた。
「…ッぁはぁあああ…ッ!く、クレアの唾ァンッ!」
その姿に、言い表しようのない嫌悪感がクレアへ遅いかかる。
(気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い)
「……ハァッ、ダメじゃないか、主人に対してそれは、不敬というやつじゃないのかなぁ?じゃぁ、その粗相に、罰を与えてあげなくちゃぁ……」
気持ちの悪い笑みを受かべたまま、気持ちの悪い顔で、気持ちの悪い手で、クレアの胸へと手を伸ばす。
その気持ちの悪い指がシャツへと伸びてゆき、きっちりと上まで締められたボタンが一つ一つはずされてゆく。
この程度なんてことはないと自分へ言い聞かせる。大切な試験の前なのだ。主人に余計な心労をかけたくない。失望もされたくない。それに……こんな男に汚された事実など….愛する人に知ってほしくない。
(どうせ汚されるんだったら……イラン様に手を出してもらっておくべきだったなぁ)
そんな現実感のないことを考え始める。
息の荒い鼻息が顔にかかり、とてつもない不快感が押し寄せる。匂いも、近くに感じる体温も、その下卑た欲を宿した瞳も、全てが……
(あぁ……嫌だなぁ)
酷い目に遭わされていたあの昔の頃ですら、こんな気持ちになったことがない。どんなに痛めつけられようとも、救ってくれた彼へ恩を返したかった。
(懐かしいなぁ……)
この現状に目を背けるかのように思い出す。
–––– • • •
それは昔の記憶。
「やぁっ!おかぁさんに酷いことしないでっ!つれてかないでっ!」
「何言ってる!もう死んでるッ!もう死んでんだよッ!死体を置いておけるわけないだろうがッ!」
必死に、ウジと蝿がたかる母だったそれを、連れていかれないように男に縋り付くその子の姿があった。
「やだぁっ!」
「…ッ!このッ!いい加げ––––
「おい、お前そこで何をしている」
そこへ現れたのはまだ幼い1人の子供の姿。見窄らしい姿をしたその子とは正反対に、高価な衣服に身を包んでいる。
「なんだガキっ!見せ物じゃ––––
「おいやめろっ!公爵家んとこの坊ちゃんだ」
その男達はその男児が誰かと気付くと、すぐに態度を一変させた。
「ぼ、坊ちゃんご機嫌麗しゅうございますね」
「ふん、くだらん挨拶などどうでもいい。何をしている」
高位な貴族とはいえ、小さい子供。その癖に偉そうな態度をとる姿に男達は小さな怒りが込み上げるが、すぐに飲み込む。
「え、えぇ。その、見ての通り……死体が放置されていましてね」
チラッとそれとそれを守るその子に目を向ける。まるで獣のような、何もわからず母のために身を呈す必死な姿。
「……街の衛兵達は一体何をやってるんだまったく。ここは父様の管轄だぞ…顔に泥を塗るつもりか……」
『おいっ!』と彼が呼ぶと彼の従者らしき人間が何人かやってくる。
「どうされましたか?坊ちゃん」
どうやら近くに止めてある馬車の前で待機していたらしい。
そんな彼らに少年は指示を出す。
「この2人を連れてゆく。馬車へ乗せろ」
2人の従者に焦りがでる。
いつもならまだ、『また彼の道楽が始まった』と呆れながらも従っただろう。この幼い少年は、最近たまにこういう歳の低い浮浪者を拾い、屋敷で働かせているのだ。そういうことならまだ良かった。
だが今回は違う。
死体。それもいつから放置されいるかもわからない死体を乗せて帰るというのだ。
「そ、それはいくら何でもっ!」
「なんだ……この俺に歯向かうのか…?」
「ですがっ!」
何やら言い争いを始めている少年と大人達。その子はその様子を何もわからないまま見つめ続ける。
「うるさい、黙れ。我が領内でこんな状況、放置しておけるか」
『さっさと従え』その言葉に渋々了承する。
「か、かしこまりました。」
彼らはその子を無視してそれに手を伸ばす。だが死体など触れたい者などいない。臭い、見た目、感触、それらの嫌悪感による葛藤が彼らの手を遅らせる。
そんな彼らにイランは続ける。
「何をやってる、その子娘も亡骸も両方連れていくんだ、ぐずぐずするな木偶の坊どもが」
「い、いやしかし。……やはり死体など」
募る嫌悪感に耐えきれず弱音を吐き始める。
「うざったい、もういい俺が連れていく」
その姿に痺れを切らした少年が丁重にその人を抱き上げる。小さな子供が、人の原型すら失いかけ、腐り、溶け、肉が落ち、軽くなったその人を抱く。
「や、やだっ!どこにつれてくのっ!」
「喚くなガキ。うっとおしくまとわりつくな。何もできないくせに、この俺に対し一丁前に吠えつくか。」
「ひっ」
イランの圧の強いその瞳に睨まれ、動けなくなってしまう。身体が震えて足に力が入らない。
その少年が母を連れていく姿を見て、涙を流す。
「……っぁ、あぁ…」
わかっていた、本当は。
『死』のことはよくわからない。でも愛する母はとっくにいなくなっていて、自分が語りかけていたそれはただの母の姿をした残骸だ。
とっくの昔に朽ち果てていることなど……本当は終わっていることなど……幼いその子にも……頭ではわかっていた。
「…うぁぁああぁっ、あぁああっ、ぅぁ、ぁああぁあっ」
でもそれを認めたくなかった。
母はもういない。もうそこにはいないのだ。
「ぁぁぁああぁあっ」
泣き叫ぶ少女、そんなこと無視して彼は声と共に右手を差し伸べる。
「小娘、まだ生きてたいのならついてこい、お前の足は動くんだろう?なら自分でここまで来い」
それから、彼は自分の母を優しく手厚く葬ってくれた。
馬車にいる時もしっかり頭を抱き抱え、できるだけ形が崩れないように気を遣いながら、抱きしめくれた。
目を背けたくなるその有様も、気を抜けば嘔吐しそうな臭いも、鳥肌が立ってしまう感触も、そんな事など関係なしに……その小さな体と高級そうな生地で、身に纏っているボロボロの布ごと丁寧に包み込んでくれた。
高そうな服、高そうな馬車、自分たちが使っていたものとは違う上質な布。汚れが着くことなど関係なしに優しく包んでくれた。
屋敷に着けば、すでに手配していたらしい棺桶があった。2人を包んでいたボロボロの布と共に送り出し、地に埋めた。
神官が何かを唱えている。
その子にはその人がなんなのかわからなかった。意味も知らない、聞いたことすらない言葉を唱えていた。
ただ、祈りをあげてくれていることだけはわかった。
苦しみから解き放たれますように、と。
天国へ行けますように、と。
『この俺に無関係の死者を冒涜する趣味はない、丁重に葬ってやるさ。
せいぜいアンデット化しないように、欠かさず墓参りでもしてやるんだな』
彼の言葉は難しくて大半が何を言っているのかよくわからない。でも、母を大切に扱ってくれるその姿はその子に救いを与えてくれた。
そして、これからはこの人の為に生きようと誓った。
自分と母を救ってくれた彼のために。
彼が何を言って何を求めて何を見ているのか。追いつきたくて勉強を頑張った。彼のそばにいられるように、それに見合うだけの礼儀作法を叩き込んだ。彼の品位に追いつけるように常に立ち振る舞いに気を遣った。
彼のそば付きになった初日から、すでに悪虐は酷く、自分をどんどん追い込んでいった。それでも、彼に求めてもらえるのであれば––––
–––– • • •
(ですが、もう……その資格はクレアには無いですよね)
その表情は、もう全てを諦めていた。希望もなく、身体にも力が入らない。
(でも、資格がなくても……貴方を、求めてしまうクレアをどうかお許しください。助けてほしいって思ってしまう……そんなクレアをどうか ––––
「き、綺麗だよクレア、よ、よ、ようやくその身体に––––
「おい、貴様……
絶望を打ち払うように現れたその声と姿。
それは––––
……そこで何をしている」
––––彼女の求めた救いだった。
**
「お、おまぇっ?!なんでこ––––ぶへぇぁっ?!」
「大丈夫か?クレア」
その彼はこの状況を確認するや否やいつの間にか彼女の目の前にいた。
いつ動いたのか、クレアの目には全く分からなかった。まるでヘレン・ソルの雷速を思わせる。
通る最中、あの男に何かしらの打撃を与え、そのままクレアの元へ着いていた。
「……カッ、ゲホォェッ……!」
その男はそのダメージを治めることができず腹を抱え地面でもがいている。
クレアの拘束を優しく外しながら、彼は問う。
「……どこまでされた」
聞きたくは無い、だが聞かなければいけないことを。
「い、いえ。まだ何も…。服を……脱がされただけです。」
「そうか……間に合って……。いや、間に合ってなどいない。遅すぎた。待たせすぎてしまった」
その表情は、安堵のようなものが込み上げては、すぐに悔しさへと変わった。
「いえ、大丈夫です……!ご主人様を……イラン様を待つのがクレアの役目ですから」
その強がった笑顔を見る。それとは対照的にイランの顔は歪んでいた。切なさ、不甲斐なさ、様々なものを胸の内に渦巻かせて。
「俺は、あの日からずっとお前に許しを求めてばかりだ」
そう呟きながら、あの気持ちの悪い男へとゆっくり目を向ける。
「言ったはずだ。次、その薄汚い面を見せればお前の人生から光と掴みを奪うと。……覚悟はできているよな?」
「……はぁ、はぁ……。だ、だまれぇっ!お、お前なんかァッ!!これさえあればぁっ!」
「ふむ、ペリオンか」
「……は?へ??はぇ?」
前にいたはずのイランの声が後ろから届く。振り向くとそこには、その男が自信ありげに取り出したペリオンを持つイランの姿。
「……はっ。こんなものでこの俺をどうにかできると本気で考えていたのか?舐められたものだな。貴様程度の人間がこんなもの程度で俺を下し、俺からクレアを本気で奪えると、そう思ったわけだ?」
そう言い、彼は、
––––カシャン
自らペリオンを右腕にかけた。
「……ご主人様っ?!なにをっ!?」
「……はぁ??あ……あ、あひゃぁっ!あひぇへへぇぁはははぁっ!ば、バカだっ!お前、バカなのかぁッ?!へぇヤァはハァッ。や、やっぱりクレアは俺のものになる運命ってことダァっ?!あひぇへへへへぇぁっ」
「気色悪い鳴き声だな。発情期の猿でもまだマシな声をあげるぞ」
『クレアはそこで見ておくといい』と制しながらその男へ挑発してみせる。
『さぁ、御託はいい。さっさと来い」
「うるさぁぁあぃッ!今からお前をぶっ殺してぇ……クレアと俺は愛し合うんだァッ!ァアッ!」
その叫びと共に彼が魔術を発動する。
生成された水の弾丸が容赦なくイランを襲い掛かる。
だがその先にはもうイランはいない。
「〜〜ん〜っ!んぐぅ〜〜っ!」
すでにその時には、あの日の朝と同じ。その男の顔を掴み、握り締めていた。
そしてそれが、上へ上へと登ってゆく。
足は地から離れてゆき、バタバタと暴れ始める。必死にイランの右腕を掴みなんとか抵抗するがびくともしない。
イランはその様子を只々見つめる。その目には何も無い。ただひたすら冷徹だった。
「あの時、俺がわざわざ貴様程度に…!ほんの少しでも…!魔力を使用していたとでも思っていたのか?誰が貴様程度の小蝿にそんな無駄なことをするか……。何も理解できていない花畑に染まったその思考から、この俺が直々に現実へと引き戻してやろう。……痛みをもってしてな。……忠告通り、まずは目を潰す」
「ン〜っ?!ンンンッ!ンン〜ッ!」
必死に訴える目。その目がイランからクレアへと向けられる。まるで助けてくれと言わんばかりの……自分勝手で、下劣な、気持ちの悪い目。
力無く、何かを訴えるだけしか出来ない、無力な瞳。
『やだぁっ、連れてかないでぇっゃだぁあっ』
その瞳に、左手の指がゆっくりとその沈み込––––
「待ってくださいッ!」
クレアの声が、その指を止めた。
だがイランは納得しない。納得などできるわけがない。
「……ダメだ。ここでコイツに罰を与えなければまた同じことをする。コイツの目はそういう目だ。なんなら……
一気に、激情と共にイランの左手に力が込められる。
……殺してもいい」
込められてゆく力から伝わる、あまりにも強い『お前を殺す』という意思。
あの森で何度も命を曝しながら自らも命を刈ってきた、命を奪うことに馴染んだその瞳。それらが目の前で彼を射抜く。
その気迫と恐怖に呑まれ、その男は顔を握られたまま泡を吹いて気を失った。
「……大丈夫です……大丈夫なんです…っ!だから……離してください。……
目が熱くなってゆく。
……こ、こんな奴なんかに…私のために…ク、クレアなんかのために……ご主人様が手を汚、よ、よごぉ……
涙に水が溜まるのを抑えられない。
……ぅ、うあぁ、ぁぁあっ、ぅぁぁぁあああぁあっ、ぁ、こ、怖かったぁ……こわかったよぉおおお、ぁああっ」
もう自分の意思では止められなかった。
彼女は泣いた。堰き止めていたものを吐き出すように。あの頃の子供のように。
救われた安堵に任せて、ひたすら涙を流した。
イランはすぐにクレアを抱きしめた。目の前の男なんて捨て去って、すぐに駆けた。
右手は使わなかった。あの男を触った手でこの子に触れたくなかった。
自分の胸を必死に掴み、泣きじゃくるクレアをイランは黒い腕で強く抱き寄せた。
お互いの存在を確かめる為に抱きしめ合った。
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