待たせてる場合じゃない③
「なんか……緊張するな」
「なんでですか?早く旦那様へご報告へ参りましょうっ!」
その為に身嗜みも整えたんですからっ!と意気揚々にイランを急かすクレア。
『身嗜み』
その言葉に数日前のあの光景を思い出す。
**
タロンへ帰還後、すぐに体を清め、美味しい食事にありつき、久しぶりのベッドの上でゆっくり休もうかと思っていた。
そんな矢先、クレアが突如『旦那様に会う前に髪を切りましょう!』と提案しにやって来てくれた。今までそれどころでは無かったが、確かにこれは邪魔だ。それにだらしない。
あれも今や、近くにはいなくなった。
であれば、短期間で急速に髪が伸びることもないだろう。
お言葉に甘えて頼むことにした。
「えへへ、かっこよくしてあげますね!」
ハサミと櫛を持ち、やる気満々で構えている。
「あぁ、頼むよクレア」
楽しそうなクレアの姿を見ているとなんだかこちらまで嬉しくなる。実に平和でほのぼのとした一日。そうなるかと思えた。
だがその平穏はすぐに瓦解する。
コンコン、というノックと共に声が響く。
「い、いーくんっ!入るねっ!」
興奮しているのか、返事を待たず勢いよく扉を開ける。そこにはハサミと櫛、タオルを持って現れたルノの姿。
どうやらルノも調髪をしてくれようとしていたらしい。
「か、髪の毛っ!切ってあげ–––
ハサミと櫛を持った二人の目が合う。
「……おかしいですね?クレアさん。今日はいつも通り、鍛練があるはず、ですよね?いーくんの、髪は、私が切りますから。………クレアさんは通常通り鍛錬に戻って良いですよ?いーくんの面倒は私がみますので…」
「お気遣い痛み入ります、ルノちゃん。ですがこれはクレアの仕事。ご主人様の『侍女!』…である私の仕事…なのです。主人の身だしなみを整えるのは従僕である私の責任であり、何よりも優先するのは当然のこと。鍛練にかまけてる場合ではございません」
怒っている…わけではない。が、それに近い不穏で冷たい雰囲気を発するルノ。何度か経験した例のアレだ。
そしてクレアも負けじと『侍女』の部分をこれでもかと強調しながら、あくまで自分の仕事だと言い張る。
何かわからないけれど、二人の間に何かがあり、その何かがバチバチと何かを散らしている様な気がした。
その『何か』はイランにはよくわからなかった。
「いーくんのことは、私、なんでもわかります。いーくんに似合う、かっこいい髪型だって。」
「クレアはご主人様が5歳の頃から知ってるんです。ずーっと一緒だったんです。なので似合う髪型もクレアが知ってます。」
二人とも微笑みながら会話している。
それはもう怖いくらいにニコニコと。
いつまでも話が進まないので、ここは平穏に、平等に、と二人にお願いすることにした。
すると何を思ったか、右と左、半分ずつで担当すると言い出した。
「いーくん、私が右だからね。かっこよくしてあげるからね」
「クレアは左側です!しっかり見ていてくださいねっ!」
ルノが右でクレアが左。
いや、そんなものどうでも良い。どっちがどっちだとか、本当にどうでも良い。もっと気にするところがあるろう!そう強く思った。流石に物申さざるを得ない。
「あ、あの、もう少し効率的な役割分担があるんと思うんだよ。ハサミを動かす前に少し考えてみないか…?」
できるだけ穏便に、二人を刺激しない様に提案を講じる。
「「………」」
そうですね、と納得してくれた。
救われた気分になるイラン。だがそうは角谷が卸さない。
「どっちの方がよりご主人様をスマートに仕立て上げれるか…ご主人様に相応しいか……。それを示してみろ。そういうことですね?」
「いーくん、私絶対負けないから。絶対絶対私の方がカッコよくして見せるから」
全然わかってない。
何も理解してくれていない。
今までで一番、意思の疎通がとれていない。
だがこれ以上文句を言える空気ではなかった。二人から感じ取れる『何か』の圧が口答えを許さない。
どちらの方が似合う髪型を見繕えるか、左右別での勝負。余計に状況が悪くなった。左右分けて担当するにしても、まだ協力して合わせる様に調整してくれた方がマシだった。
なぜ人様の髪の毛で勝負なん始めちゃったの?とか。
それで目も当てられない惨状になればどうするつもりなの?とか。
半分ずつ違う仕上がりにしてその半分で判断できることある?とか
なんであの森を脱出した先ににまた新たな危機が待ち構えているの?とか。
疑問が絶えず、ついには運命を呪い始める。
そんなイランを他所にすっかり暴走している二人。それぞれ、ふんっ、!ふんっ、!とやる気に満ち溢れている。
頭に浮かんでくる至極真っ当な意見や不満、正論。それらを受け入れてくれる様子ではなかった。
チョキチョキ、と左右から小気味良い音が鳴り始める
嗚呼、ついに始まってしまった。
もう戻れない。
神はいなかった。
ついでに髪もなくってゆく。
チョキチョキ、チョキチョキ
世界の不条理に『なぜ救いを与えてくださらないのだ神よ』と嘆く信徒はきっとこういう気持ちなのだろう。
チョキチョキ、チョキチョキ
祈る様に瞑った目からは一筋の雫。
スーッと線を描きながら頬を伝い、顎の先まで走って行く。イランは全てを諦め、身を任せた。
チョキチョキ、チョキチョキ
もう賽は振られたのだ。どうすることもできない。なんの目が出るかは彼女達のみぞ知る。
チョキチョキ、チョキチョキ
もしロクでもない目なら坊主にしてしまおうとひっそりと決意した。
だが意外にも出来栄えは上々だった。イランの心配は杞憂だったと言わんばかりの仕上がり。
少し浮いた前髪は真ん中で分け目が作られており、目にかからないように調整されている。耳周りと少し上までは刈り上がっており、上からか垂れかかった髪の毛が耳の先端まで隠している。
いわゆるセンターパートのツーブロックというやつだ。
おぉ、と感動しているイランの後ろで『……なかなかわかってるじゃないですか』『ルノちゃんこそ、アレほど豪語するはだけありますね』と、ガシッと熱い握手を交わしながらこれまたイランにはよくわからない何かを通じて二人は意気投合していたのだった。
そんなこんなで、少し危ない橋はあったが、なんとか身嗜みを整えられたイラン。
ヘレンから『手紙を送るより実際に帰った方が早い。早めに顔を見せてやれ』と提案されたので、クレアと共に帰省することになったのだった。
**
ゼイブルがいつもいる書斎の前。久しぶりの父との対面に緊張を隠せないイラン。
なかなか踏み出せないでいると、クレアが『大丈夫ですっ!』と両手で拳をグッと握ってみせた。
何が大丈夫なのかはわからなかったが、いつまでもクヨクヨしていても仕方がない。
早く父親を安心させよう。そして心配をかけたことを謝ろう。
意を決して書斎の扉をノックをする。
何回も聞いた『入れ』という言葉が聞こえて来た。だが少し、昔よりも声がやつれている。それでも、聞き間違えようのない父親の声。数年ぶりに聞いた声に嬉しくなってしまう。
「失礼します」
扉を開け入室する。
「……っ…」
その姿を見て絶句する父親。
「だ、ただいま帰りました。父さ––––
抱きしめられていた。
服の皺がこれでもかとくしゃくしゃになるほど、強く。背に回した手で服を握りしめ、強く強く、抱きしめられていた。
「……っ…っ…」
何も言わない。
顔は見えない。
体を少し震わせながら、ただただ抱きしめられていた。
少し肩が濡れた気がした。
父親からの抱擁。触れて貰えるのはいつぶりだろうか。記憶にあるのはほんの数回。
良い成績を出した時、撫でてもらった。
初めての社交界で正しい振る舞いが出来たとき、肩に触れてくれた。
期待を超えれば、『さすが私の息子だ』と寡黙な父が褒めてくれた。
少ない父との想い出が逡巡する。
数少ない家族との想い出が。
しばらくして、身体を離す。
イランの立ち姿をよく見つめ、肩においたままの手でポンポン、と優しく叩く。
「おかえり、イラン。よく戻って来た」
「ただいま、父様。ご心配おかけしました」
父親の顔はもう、いつも通りの表情へと戻っていた。
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