プロローグ それぞれの変化
イランが連れ去られてから4年が経った。
「ネプトォッ!そっちに行ったぞッ!」
彼らはまた、魔獣の討伐へと赴いている。
カルロが追い込んだ獅子のような魔獣が、その四足で地面を抉り、土の飛沫を上げながらネプトの方向へ駆けてゆく。
剣を抜きながら呟く。
「《属性佩帯》」
風を纏ったネプトが向かってくる獅子へ疾風の如き速さで近づき、すれ違う様に通り抜ける。
その獣は操り人形の糸が切れたように突如手足の操作を失う。勢いを殺さずつまづく様によろけ、慣性をそのままにその巨大を地面に擦りながらまっすぐとすっ飛んでいく。その首からは血が溢れ出ており、すでに命は耐えていた。
すれ違いの一瞬、その鋭い斬撃は性格無比に急所へと放れ、その命を刈り取った。
そしてその先で待ち構えていた茶色の髪をしたミディアムヘアーの女性がその獣へと上空から飛びかかる。
「….ぉおっ、りゃあっ!」
腕部装甲を纏った左右の手を互いに握り、一つの鎚を形作っている。ギチギチに目一杯反らせた体を内側へ解放するように、上から下へ、重力に引彼らままその頭目掛けて叩き込む。
頭が潰れる音が、巨大な地面を揺らす音でかき消される。
獅子の魔獣の頭を潰した少女が一息つくようにふぅ、と息を漏らしながら額の汗を拭う。
「よくやった、二人とも」
カルロが二人へ労いの言葉をかけながら歩いて来る。
「お疲れ様です。いえいえ、まだまだです!精進あるのみです!」
「いやいや、そんなそんな!二人のおかげです!クレアの姐さんも動き良くなってきてますよっ!」
ネプトもクレアも向上心が高いのかカルロに対し謙遜の言葉で返す。
あの後クレアは宣言通り、イランを救うため、約束を守るため険しい道のりを歩み始めた。
––––•••
イランを失ったあの日から、クレアはゼイブルの『用意してくれた道』タロンへの入隊を決心する。
タロンへの入隊はイランの時より簡潔に行われた。
契約書が改正されたのだ。契約書にある『死んでも責任は取らない』あの文言、それが無くなっていた。
そもそもあれはその言葉通りの意味ではなく、強い意思や覚悟を決めさせる為の、言わば脅し文句のようなものだった。
その証拠としてあの事件が起こるまでは人死など出したことはなかった。特例で討伐に参加させたのもイラン達が初めてではない。子供達に重傷を負わせる事すらなく討伐をこなしていた。
それらがあの魔獣達の異常さを物語った。
それ以降、子供達を討伐に参加させることは一切なかった。どれだけ素質のあるものでも、成人するまでは絶対に参加させない。
この決まり(ルール)は強固に厳守された。
その代わり、鍛錬はより厳しく、より辛くなって行く。それらは容赦なくクレアに立ちはだかる。
その鍛錬の日々は、戦闘経験どころか訓練さえ受けたことのないクレアにとってはこれ以上ない苦難だった。
だがクレアの決意は固く、狂気的な精神力で鍛錬についていく。
血反吐を吐き、嘔吐し、泥に塗れ、立ち上がる。
初めて訓練に参加した日のイランを想起させるような、尋常ではない強さへの渇望。
だがイランとは違う。
幼い頃からひたすら鍛錬に勤しんだ彼とは土台が違いすぎた。
それでも……走り続けた。
『今度はクレアがお救いします』
……あの約束を果たすために。
その揺るがぬ意思による常軌を逸した努力は身を結び、今ではタロンの序列5位まで上り詰めた。
(坊ちゃん……いえ、ご主人様。やっと、やっと迎えに行けます。遅くなったけど、必ずクレアが助けに行きます。待っていてくださいね)
•••––––
「あのー、ネプトくん、いつも言ってるんですけど、その『姐さん』っていう、やめませんか?」
「いつも言ってるじゃないですか!姐さんは姐さんです!」
そのやりとりを見て、カルロはうんうんと頷いている。ただ一人ヘレンのことを師範と呼ぶカルロ。ネプトの名称へのこだわりに共感を禁じ得なかった。
「ネプト、お前は本当に強くなった。見違えたな」
「いやいやいやいやいや、そんなそんな。そういう褒め言葉は俺がイランを助けてからにしてほしいですっ!」
––––•••
あれからはネプトはひたすら自分を鍛え続けえ、タロンでの序列はカルロに続き3位へとなっていた。
イランに拾われた命
イランに救われた命
イランのために使うべき命
ネプトの自戒はイランを救うまで祓われない。
イランと再会を果たして初めて自分は救われ解放される。
イランと二人で歩くことで、ネプトの人生も再開する。
その為に、ネプトはオルギアス家に対し、イランを主君とした騎士として叙任してもらえるよう頼み込んだ。
ゼイブルからの返答は『イランに直接聞くといい』とのことだった。イランのことを何一つ諦めてないネプトのその姿勢はゼイブルからすれば好感が持てた。
故に、イランが欲しがるならそうしよう。そう考えた。
そう言った経緯で、昔からイランの側で従事していたクレアのことを、先輩という意味を込めて『姐さん』と呼んでいた。
•••––––
「ご苦労だったな」
いつもの様に、眼帯をつけ軍服を着たヘレンが声をかける。片方しかない手には酒瓶がぶら下がっており、酔いからか少し顔がほんのり赤い。出会った五年前と比べ酷く顔色が悪く、目のクマが深く染み込んでいた。
「ね?大丈夫でしたでしょ?ドーンっと俺たちに任せちゃって、ヘレン隊長は後ろでドンッ!と構えちゃっててくださいよっ!」
胸を張るネプトに、力無く笑うヘレン
「…そうだな、よく強くなった」
その姿に昔のような覇気は感じられない。
––––•••
あの日からヘレンの様子はおかしくなった。
冷静さを保てなくなっていた。
鍛錬の最中は怖いくらい普段と変わらなかった。
だが討伐となると一変する。
魔獣が現れ次第、一心不乱に突き進み全てを灰燼へと還し、戻ってくる。どの兵士も戦闘へ参加させることなく終わらせてしまう。
酷い的には他の兵士を連れて行く事すらなかった。
溢れ出しの報告もないのに、留守にすると言い放ち『詛戒の森』へ侵入し、イランを捜索し続けた。体内に満ちる綿密な魔力で、瘴気によって引き起こされる状態異常を遅らせる。
その際、あの『鉄血の英雄』でありイランの父親でもあるゼイブルが一人の従者を連れヘレンと共に森の中を探索していたという。だがイランへの手がかりはいつまでも掴めないでいた。
そんな毎日にいつしか酒に手を出すようになった。
心を壊すように酩酊していた。
当然部下達はそれを止めた。
だがどういう原理か、ヘレンの感覚はいつもより鋭くなっているようだった。魔力による探知ではなく電磁波を介しての感知。生物から発せられる微弱な電波を掴み取る。
感知。
その瞬間、体内の魔力を電気へと変化させその刺激でアルコールに溶けた脳を一瞬で正気へと返す。
誰にも追いつけない速度で移動し、気づいたら魔獣が倒れている。
戦闘前に手放した酒瓶の底が、地面に触れる前に戻って来ており、気付いたらまたその酒瓶の酒をあおっている。
まるで最初から何も無かったかのように気付けば全てを終わらしている。
その姿はまさに雷神。
『迅雷のヘレン』と呼ばれていた『英雄』の姿。
その片鱗が垣間見えた。
だが、そんな事を続けさせるわけには行かない。自分の寿命を削るような無茶な戦い方を、続けさせるわけには行かないのだ。
カルロの強い説得と代案により……ヘレンは少し、冷静さを取り戻すことが出来た。
今では序列5位までの兵士を連れて行き、ヘレンが後ろでいつでも参戦できる状態で待機している。
危なくなればヘレンはすぐに動き出す。一瞬で魔獣の肉を焼き、肉を穿つだろう。
何を差し置いてでも兵士を守る。
その決心だけは何があっても揺らぐことは無いのだ。
……もう二度とあんな悲劇を起こさないために。
•••––––
「だ、大丈夫だった?」
ヘレンの更に後ろにいたルノと、護衛として付いていた他二人の兵士がやって来る。
「うん、問題ないよ。ルノちゃん」
「そっか、良かった」
「他に何か反応はない?」
「う、うん、い、今のところ、大丈夫」
ネプトとルノの関係性も変わった。ネプトは昔のようにルノに対し強く迫ることは無い、情けない姿を晒すことも無かった。大人になったということでもある。
だがそれ以上に、イランが気にしていた女の子対し、そんな不義理を果たすわけには行かなかった。
イランの大切な女の子。
守らなくては行けない子
支えなくては行けない子。
イランは自分を庇うように連れて行かれた。ならば次は自分がイランの代わりに彼女を守らなければならない。
役目を果たすのだ、イランと自分のために。
そしてルノもルノで、精神的に大きく飛躍した。
昔のように強い吃りはなくなり、しっかりと前を向くようになった。
––––•••
あの日、ルノは現実を受け止めきれず、自室に引き篭もるようになった。
あの日のイランのように。
今まで絶対に怠ることのなかった治療師としての仕事を放棄するほど、心が病んでいた。
ヘレンにはどうすれば良いかわからなかった。
声をかけて良いかすら…
自分に声をかける資格があるのかすら……
わからなかった。
ルノは部屋で一人、心にある自分の『大切』を何回も何回も反芻していた。その度にかけがえが無かったと知り、涙を流す。
『ま、まだやれます』
部屋の窓から初めて見たあの日の姿。
「………ひっ、ひぅっ、なん、でぇ、」
『俺も鍛錬に戻りたいんですけど…』
初めて喋ったあの時の声。
「ぃ…いぃくん…ぅぅ……っ…っ…」
『いつも助かるよ、ありがとう』
目をまっすぐ見て伝えてくれた感謝。
「…やだぁぁ、やぁだよぉっ…ぁ…」
『クッキーめちゃくちゃ美味しかった。…ま、また、食べたい…デス……』
照れくさそうに笑っていたあの表情。
「ぁぁああぁああぁあぁっ…」
『ルノ、次はあの遊戯をやろう。俺もやったことがないんだ』
楽しそうな…‥声。
頭を撫でてくれた優しい手のひら。寄り添ってくれたゴツゴツとした身体。可愛い寝息。たまに荒れる口調。少し硬い髪の毛。強い眼差し。誤魔化す時の頬をかく仕草。笑うと垂れる目尻。さわやかな汗の匂い。落ち着く背中。自分より少し高い体温。傷だらけの肌の感触。
『良いよ、また一緒に出かけようか』
こんな自分と……
また一緒に遊んでくれると、自分の元へ帰ってきてくれると、言ってくれたあの………
「またぁ…つれ、てってぇ、く、…くれるっ…てぇ…」
………大切な約束
「や、や、やぁ……やくそくぅ……した、のにぃ……ぅうぁぁあぁあぁ……っ!」
全てが、全てが無くなってしまった。
何をして、何のために、どうやって……
これから生きて行けば良いのだろう。
その心の拠り所は、ルノの深いところまで来てしまっていた。彼の存在は、心の奥の柔らかく脆いところに触れていた。
どうしようもなく依存してしまってて
どうようもないくらい大好きだった。
そんな彼女の心を慰めたのは、ネプトの言葉だ
扉越しに聞こえて来た、ネプトの声。
『あいつならきっと生きてる
あいつがそう簡単に死ぬわけない
俺が迎えに行って連れ戻して来る
だから、待っててほしい』
そう言ってくれた。
自分が恥ずかしくなった。
ネプトはイランのために突き進み続けているのに自分はいつまでも赤子のように泣き喚いてるだけ。
こんなことをしていても、何にもならないのに。
なら、もうやめよう。
もう、もうどうしようもないのだ。
彼のために生きるしかないこの自分の命を全てを彼のために捧げよう。
例え、生きている変わらなくとも、最後まで足掻いてみよう。
大切な人が困ってるなら
少しでも可能性があるのなら
助けに行こう。
その日からひたすら時間と魔力を注いだ。
愛しのあの人を見つけ出すためだけに力を尽くした。
『感知魔術』をひたすら磨き続ける。
闇属性でありながら回復魔術を扱う、イランが嫉妬してしまうほどの稀有な才能と性質。それらを持つ彼女が初めて必死で技術を磨いた。
その結果、彼女の感知範囲は半径10キロまで到達した。その探知範囲はタロンの偵察部隊を遥かに凌駕した。
加えて、その性質は異質なものとなる。
本来感知魔術は、薄い魔力を張り巡らせそれに反応した魔力を自分の感覚へと反映する。もちろん遠ければ遠いほど精度は下がる上に、距離に関係なく魔力の塊としてしか察知できない。
故に詳しい造形の情報を掴むことは困難である。
だがルノのそれは他のそれとは一線を画す。
《治療魔術》という、他人に魔力を浸透させ作用させる技術と闇属性の性質の一つである侵食が探知としての魔力と合わさる。
探知範囲内にいる生物にルノの魔力が浸透、内部構造から現在の細かい動きまで、現在進行中の情報を会得するに至った。
彼女の、イランを必ず見つけ出すという執念と努力が開花し、わずか15歳で誰にも真似できないであろう魔術を扱う感知魔術の達人となった。
(待っててね、いーくん。必ず、必ず私が見つけ出すから。そして……ちゃんと約束、守ってもらからね)
•••––––
「それじゃあ、死体を持って戻りますか」
「ネプトくん!私持ちますよ!」
「いやいや、レディにそんなことさせられないって」
「ネプト、クレア嬢の方が力が強いのだ。せっかく申し出てくれたのだから任せれば良いんじゃないか……?」
「……カルロさんって、女心も男心もわかってないっすね」
「………??」
「あ、あはは……」
**
彼らは変わった。
求めるものを掴む為、必死に足掻き、力を得た。
願いを叶える為に得たその力で、彼らは動き出す。
そして、その強い気持ちは、求める者へと吸い寄せてゆく。
彼らに感応するように、彼らの気持ちと交わるように、それは自らもやってくるのだ。
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