油断してる場合じゃない
あの後、食事は滞りなく行われた。
ルノは見たことのない食事に目を輝かせては、美味しい美味しいとリスのように口を膨らませた。
食事の作法など知らず、どう手をつけいいか困っているにルノ。
そんな彼女に手本を見せてやってくれ、と付き添いをクレアに頼む。その際、クレアにはそのまま食事を楽しませた。
『使用人である私にはいただけません』という言葉に、『そのまま一緒に食事を楽しんでくれた方が嬉しい。俺の為に食べてくれないか?』とまで言われてしまい、クレアは渋々口にするが、途中からしっかり味を楽しんでるのが表情に現れていた。
ゼイブルが気を利かせてくれたおかげか、ルノは作法など気にせず、提供される料理の味を純粋に楽しめていた。ゼイブルがいればきっと緊張で味どころではなかっただろう。
三人で会話を弾ませながら運ばれて来る料理に舌鼓を打つ。
食後、デザートを楽しんでいる時に、ルノがクレアに直接『いーくんはおっきいお胸が好きなんですか?』と尋ねだし、イランは飲んでいる紅茶を盛大に噴き出した。
口から飛び散った紅茶を丁寧に拭とりながらクレアが『えっと、おそらく好』きです、と最後まで言い切る前にイランが強引に話を遮り、ことなきを得たのだった。
その夜クレアがイランの部屋へと訪ねる。
身体や心に異常はないか、と。
辛くはないか、と。
苦しくはないか、と。
心配事をつらつらと言葉に形を変えてぶつけてきた。そして最後には『また、人をいじめたくなったら、言ってくださいね。クレアにだけなら、クレアだけは、受け止め、ますからね』と、とんでもないことを言い放ち去っていった。
次の日の朝、クレアがイランを起こしに来る。
「おはようクレア」
「はい!おはようございます。いい朝ですよ」
そう言い朝日を部屋へ取り込む為、カーテンを開け始める。目に入る日の光を手のひらで受けつつ、この習慣を懐かしむ。
朝食をとり、鍛錬へ向かう。
中庭で早速、鍛錬に取り組んでいると
「ん〜、んゅ、」
「……ルノ?」
なぜか寝ぼけたままのルノが中庭へ続く廊下をおぼつかない足取りで彷徨っていた。
「ど、どうしたんだこんなところに来て」
「…んぁ、ぃーくんだぁ、ぉあよぅ〜」
「うぉっ、と」
寝ぼけたままイランへ抱きつく。咄嗟の行動にバランスを崩しルノが怪我をしないよう庇うように倒れ込む。
「んぇへへ、ぃいにおい……」
子猫のように甘えて来るルノにどうして良いかわからず両手が右往左往する。
今のイランは汗をかき、上の服を脱いでいた。素肌に直接すりすり、と頬擦りされる。
「あ、あの、るの、さん?」
優しく、引き剥がそうとしても『んぅーん!』と抵抗される。どうしたものかと困っているとルノに付いていた使用人が慌ててやってくる。イランへ頭を下げながらルノを引き取る。
『んぁ〜〜!』と言葉にならない声で駄々を捏ねながら、母猫に回収される子猫のように連れて行かれるのであった。
そうしていくうちに時間が過ぎ、昼前になるとヘレンに言われた通りルノを連れて街へ出かけた。
見たこともない光景に脳が刺激を受け、ルノは空いた口が塞がらなかった。服屋や、菓子店、屋台や盤上遊戯、自分が知る限りの娯楽へとルノを連れ回した。
イランのやることに対してゼイブルは良くも悪くも肯定的だった。それ故に公爵家という地位のある貴族の御曹司なのにも関わらず、貴族が知らないような遊びをイランは沢山知っていた。
ルノの笑顔を見るたび、知っておいて良かったとほんの少しだけ自分の過去を許すことが出来た。
日が落ち始めた頃、帰りの馬車に揺られながらルノの寝顔を見つめる。遊び疲れてすやすやと眠っている。
彼女を見つめるイランの表情は、今までで1番穏やかだった。
**
「いいよな〜イランはさ〜」
タロンへと戻り、また鍛錬の日々を過ごしていたとある日、ネプトはいつものようにイランへ絡み出す。
「いっつもいっつもルノちゃんとベタベタイチャイチャベタベタイチャイチャ!ラブラブチュッチュしちゃってさ〜ぁ?いつの間にかお互い渾名で呼び合っちゃてるし〜。髪型変えたのも、イランの為なんでしょ〜?この前も家なんかに連れていっちゃってー!デートなんかしちゃったりしちゃったんじゃないのぉ?!あーやだやだ。やんなっちゃうねッ!ルノちゃんは俺の唯一の癒しなのにさ〜」
そんなネプトの一方的な愚痴に答えたのは
「おやおや、ネプトくん。確かにルノちゃんは可憐だが、ここタロンには彼女意外にも可憐な華が複数咲いていると思わないかな?今君の目の前に咲いている一本の白百合なら、特別に愛でさせてやってもいいんだぜ?」
タロンの女性隊員だ。
そんな彼女に拒否反応を示すネプト。
「やめて下さい!お断りです!俺が好きなのは守りたくなるような儚げ〜(キラキラ〜)で、お淑やか〜(シトシト〜)な、華奢で小柄な女の子なんです!腹筋バキバキ!魔力ドバドバ!威圧感増し増しの脳筋少女じゃないんですぅあぁ!」
「ふぅん、そっかそっか、ならぁ〜……
「私たちが、」
ひょこっとネプトの後ろから別の女性隊員が顔を出し
「ネプトくぅんを〜」
また一人増える。
「ここの女の子達が儚げに見えるくらい〜」
「「「強くしてあげる〜」」」
『いやぁぁああぁあイランたすけてぇぇええええ!』という汚い絶叫を響かせながら三人の可憐な女性達に連れ去られていく。
『やったな〜ハーレムだぜ〜。喜べ少年〜』
『さぁ、思う存分イチャイチャしようじゃないか』
『あんまり二人ばっかりに構ってたらやだよ?私嫉妬深いんだから。ちゃんと構ってくれないとぶっ飛ばしてボコボコにしちゃうからね』
と奈落の奥底へと引き摺られ、消えていった。
ははは、とイランは苦笑しながら手を振り見送来ることしかできなかった。
なんだかんだ、女性隊員に気に入られているネプト。
どうやらあの小生意気な態度がタロンの女性隊員の中で好評なようだ。嗜虐心がくすぐられるらしい。
それが本人にとって喜ばしいことかはさておき。
ご愁傷様、と心の中でネプトの無事を祈っていると、ひやっと、首筋に冷たい感触。
「お、お疲れ…いーくん」
「あぁ、るーちゃん。ありがとう」
この前はありがとね、とよく冷えた飲み物を渡し、とイランの隣に腰を下ろす。
「んへへ。あ、そ、そういえば、あの日、食事の前に、ぜ、ぜ、ゼイブル?さん?と、あ、会ったよ」
そんな話初耳だと言わんばかりに驚く。
「大丈夫だった?父様、怖かったでしょ」
ルノと自分の父親は正直相性が悪いだろうと思い、ハラハラしていたイラン。
結局、父親は食事には参加せず合わせずに済んだことを喜べば良いのか、一緒に食事ができなかったことを悲しめば良いのか、複雑な気分になっていた。
だが、まさか自分の知らないところで会合しているとは。
「ううん、こ、こ、こわくなかっ………………や、やっぱり、ちょ、ちょびっと、怖かった…かも」
ちょ、ちょびっとね!と強調する。
「でも……な、なんか…最後、笑って、ど、どど、どっか、い、行っちゃったから、あんまり、よく、わかんなかった……」
「そっ………」
……ん?と違和感。
「え??本当に?笑ってたの?父様が?」
「え、…う、うん。……『ふっ、』って、わ、笑いながら、歩いてった、よ」
全然似てないゼイブルの真似を織り交ぜ、当日の出来事を話す。全然似てない、が本人はいたって真面目である。
「そっか……」
普段、全く表情を変えず、強い眼差しで全てを射抜き、有無を言わせない迫力がある。
そんな父親の破顔した顔など、イランはほとんど見たことなかった。できれば自分も見たかった、と思うが、残念ながらゼイブルは息子に情けない姿は絶対に見せまいとしてあらゆる感情を厳しく抑制いるので、その願いが叶う可能性は低いだろう。
寡黙で、厳格で、無表情。
だがその実は息子との関わり方がわからず、立派な背中を見せることでしか道を示せないどこまでも不器用な男だった。その上、イランは絶対、折れない負けない挫けないと心の底から本気で思い込んでいる。
ある意味での親バカでもあった。
『お、お義父さん……いーくんの、お父さん、だから…将来は、お、お、お、お義父さん……な、仲良く、ならなくちゃ、ふへへ』と隣でボソボソ呟くルノの声は、父親のことを考え込んでるイランの耳には届かなかった。
(父様が、笑う……か…)
どうすれば笑ってくれるのかはわからない。
だが少なくとも強くなれば褒めて貰える。
1番の目的は死なない為。
だが父に褒めて貰える為に頑張るのもまた、子供のイランにとっては十分な動機たり得るのだった。
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