ムッツリしてる場合じゃない
イランがタロンへ行ってしまってから半年が経った頃、オルギアス家では使用人達が早朝から忙しそうにバタバタと駆け回る。
「ミスは許されません。気を引き締めて取り掛かりなさい」
そう、今日はイランが半年ぶりに帰って来るのだ。それもご友人を連れてくると言う。
オルギアス家当主のゼイブルからも『タロンでも精進しているようだ。褒美をやらねばならん。費用は問わん。存分にもてなせ』と仰せつかっている。
これにはエフィは当然、クレアを筆頭にした拾われの使用人達に熱が入る。イランが屋敷を離れてから今までの間に持て余していた忠義を燃料にテキパキと働く。
イランの好物、喜ぶ事、嬉しい事、楽しんでいた事。
イランの連れて来るその友人については不躾ながらイランから色々と教えてもらった。主に食事の好みや食べれないものを中心に。
オルギアス家に使用人として就き、イランと出会ってからの記憶を洗いざらい吐き出していく。
全ては完璧なもてなしの為。
「メイド長、食事の仕込み、完了いたしました」
「全て揃っているか、リストの漏れがないか、しっかり確認なさい。調理提供の2時間前にももう一度確認して。フロワードの食材は提供の直前までしっかり冷やしておきなさい。」
「メイド長、頼んでいた人気店の菓子、届きました」
「本日はゼイブル様も食事に御出席されます。坊ちゃんとは甘味の好みが違います。混同しないように分けておいて。間違っても取り違えないように管理しておくこと。お連れ様は坊ちゃんと同じもので良いと仰せつかっておりますが、気を遣わせているかもしれません。それとなく好みを探りなさい。気付かれてはいけませんからあくまで自然にね。粗相のないように最新の注意を払いなさい。紅茶は新品を開けること。風味が逃げないように直前まで開封してはダメよ。味の確認をするときは別のもう一つを開けていいわ」
そして、口にされるもの全て提供前に毒味をしなさい、と付け加えられる。
いつも注意している事項をより強くしつこく伝えていく。
「メイド長、坊ちゃんの部屋の清掃、ベットメイキング、完了しております」
「チリ一つ落ちていませんわね?お連れ様の部屋も同様、手を抜かないように」
「メイド長!」
「どうしましたか、クレア」
「む、胸の大きい使用人を集めて、お出迎えした方が、い、いいですか?」
「…………今、なんと?」
「坊ちゃん、昔はよく私の胸をチラチラと見ていらしたので…大きい胸を、好まれるのではないかと…」
まだ幼さを残す可愛らしい顔が紅潮していく。
もじもじと体をくねらせながら、下の方で自分の左右の手の指を絡ませる。クレアの胸部に聳え立つ巨大な双丘が、腕と腕でサンドイッチされ更に立体的に強調される。
クレアをいたぶっていたあの頃、色々な責苦を味あわせてはいたが、性的なことは一切行わなかった。
が
哀れなことに、視線で全てバレていた。
幼い頃からイランはムッツリだった。
「……なるほど、考えておきましょう」
エフィもクレアも、熱が入りすぎて冷静さを欠いていた。
**
「「「「「おかえりなさいませ」」」」」
「…わ、わぁ……」
大人数による出迎え。優雅で統一された仕草。ルノがそれらに圧倒される。
物心ついた頃から虐待を受け、今では天涯孤独とされているルノにとって、使用人による出迎えという光景は新鮮だった。
「あ、あぁ。皆んな、ご苦労」
明らかにいつもより大袈裟な出迎えにイラン本人も困惑していた。
「でも……な、なんだか…お、お胸の大きい人、ば、ばっかり……だね」
指摘され気付く。
よくよく見ると、いつも出迎えてくれていたメンツとは違う。あまり表に出てこないような裏作業の使用人も顔を出していた。
そもそもなぜ全員女性なのか。
「ふ、ふぅーん。いーくん、あ、あーゆうのが、好き…なんだ。ふ、ふぅーん」
使用人達と自分の慎ましい膨らみを見比べ、自分の胸を隠すように手のひらで覆う。
「い、いや…!たまたま!今日たまたま!たまたまだからほんとに!」
言い訳するように誤魔化すイラン。何も悪いことなどしていないのに何故か責められているような気分だ。焦ってまともな言葉が浮かんでこない。
面白くなさそうに『別にいいもん。これからだもん』と、アヒルのように尖らせた唇でつぶやくルノ。
すでに幸先が不安になる。
『そろそろ、あの仏頂面に一度くらい顔でも見せてやれ』
『ついでにあの子も連れてやってくれ。なかなか外に出ようとしないんだ。いい機会だし、都会というものを見せてやってくれ。お前とならきっと楽しめるはずだ。』
ルノを連れての帰省は、ヘレンの気遣いが発端だった。
ルノを連れていくのは問題なかった。むしろ乗り気だった…
…が、何故この日に限って出迎えのメンバーが変わっているのか。それもこんな自分好み……もとい、誤解されるような人選。
オルギアス家の使用人は役割分担がしっかりされている。今まではこんな一斉に人員が変わることなどなかった。
––––まさかクレアの思考力が欠如した提案、それに対して『一理ある』と採用したエフィ。その二人の仕業だと夢にも思わないだろう。
「お初にお目にかかります、ルノ様。私、オルギアス家にてメイド長として仕える、エフィ・ストラスと申します。どうぞよろしくお願いいたします。ご滞在の間、何なりとお申し付けくださいね。」
「あ、あの、えとあの、る、るるる、る、ルノ、です。よ、よろしくお願い、します。エフィ、さん」
ぺこっ、と拙いおじきをする。
その可愛らしさにふふっ、とつい笑みが溢れるエフィ。客人相手に失礼だ、と一瞬で我に返り元の表情へもどす。
ルノは自分と同じ黒髪のエフィに親近感が湧く。キリッとした切れ長の目。綺麗な所作と落ち着いた声から響く心地よい挨拶。
ルノにとってその姿はクールな女性そのものだった。憧憬が込められたキラキラとした瞳で見つめる。
「よければお荷物お持ちいたしましょうか?」
視線の高さを合わせる為、片膝をつくような姿勢をとるエフィ。衣服が汚れてはいけないので実際に膝は地面につけていない。
「あ、あ、ああの、だ、だいじょぶ…!です!」
いつも肩から斜めにかけてる小さなポーチ(小物入れ)の紐をギュッと握りしめる。
「これは失礼いたしました。では客室へ案内いたしますね。」
どうぞ、と別のメイドに先導され、屋敷の中へと連れていかれる。
「あ、あ、…い、いーくん」
「馬車で座りっぱなしで疲れただろ?少し休んでおいで、また後で。」
イランとは別で案内されてゆくルノを見送る。
「坊ちゃん!お帰りなさい!」
「あぁ、ただいまクレア。なんだか久々だな」
「はい!本当にっ!」
「クレア、話に花を咲かせるのは構いませんが、いつまでも主人を外でそのままにさせておくものではありませんよ。」
「あっ、ごめんなさい……坊ちゃん」
昔のイランならここで叱咤が飛んでくるが–––
「いや、いいよ。俺も盛大に出迎えてもらって嬉しかった。中へ入ろう」
–––イランは変わった。もう悪行に手を染めることはないのだ。
**
メイドの案内に従いついていくルノ。
到着して、すぐに目に入ったのは豪奢な外見をしている屋敷。
その中に入ればこれまた豪華な装飾が施されている。
いろいろな部屋が複数あり、そのため廊下も広く長い。階段の幅は広く床に敷いてあるふわふわな布は、このまま踏んでもいいのかと不安になる。
屋敷の絢爛な雰囲気に呑まれ、落ち着かないようにあちこち視線をやりながら一歩を出すたびに躊躇いが生まれる。
視線を前に向けると、険しい顔つきの男性が前から歩いて来る。自分を案内していたメイドは道を譲るように壁側に寄りカーテシーを行う。
「旦那様、こちら本日お越しくださった、ルノ様でございます」
「……ご機嫌よう、小さなお嬢さん。」
「あ、は、はい!こ、こんにちは!」
「君が、ヘレンのところの……」
「は、はい!ヘレンさんにお、お、お世話になって、ます…!」
ルノを見つめる。
その威圧感のある眼光に気圧されてしまい、あわあわと狼狽える。
「……フッ」
「…??」
「私は今日の食事には出席しない、そう伝えておいてくれ」
「…え?え?」
「承知いたしました」
「…何も気にせず、気軽に過ごすといい」
イランには今度埋め合わせをする、そう伝えておいてくれと言い残し、珍しく上機嫌に去って行く。
それは、ゼイブルの不器用な優しさだった。
「……?」
初対面のルノには何が何だかわからないと言った様子のまま、案内された部屋で待機するのだった。
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