お世話してしもらってる場合じゃない
「…………えっ?」
イランが目を覚ますとそこは小さな部屋のベッドの上だった。
「あっ、あっ……!おっ、おおおおおっ、おっ、起きましたか?」
水呑を持ちながらビクビクと震える少女がイランへ声をかける。
声量はかなり小さく、控えめだ。
タロンの兵達とは違い、質素な服装に身を包んでいる。イランと同じその黒髪には艶があり、前髪は彼女の内気な性格を表すかのように重く、目を覆うように垂れ下がっていた。
その隙間から髪色よりもさらに深い黒色の瞳を覗かせる。
全体的にも髪が長く、鎖骨あたりまで伸びており、彼女がビクビクと震えるたびに連られて髪先が揺れる。
「あの、ここは……?」
イランが尋ねるとまたビクッと体を震わせる。
「あっはい、あのえっと、あっあっ、あの、治療室!、治療室です!ここ!!い、医務室的な、とこ、です!あのあの…貴方倒れちゃって、あの、ヘレンさんがここに連れてきて、面倒見ろって、1番、やばいからって、、えっと、脱水症状とか、色々危ないからって、こ、呼吸も荒かったし、苦、苦しそうで、体も、焼けこげてるし……このまま、し、し、し、死んじゃうのかなって……よ、よかったです!生きてて!!、あっ、す、すみません。か、勝手にお世話させて頂いてて、すみません」
早口小声で吃りも多く、聞き取りになかなかの苦労を覚えるがなんとか耳を澄ますイラン。
焼け焦げたのはそのヘレンさんが原因です!とは言えなかった。
よくよく自分の姿を見ると服装が変わっている。自分がゲロまみれにして汚した服装では無く、この少女と同じような服装に着替えさせられていた。
彼女の言葉通りなら、彼女が着替えさせてくれたのだろう。
その少女は自分とはそう変わらない年齢に見えた。だが初めて見る顔、いや顔は半分隠れているのだが。
今回入隊した新人の中には見なかった姿だ。
どうやらタロンの一員のようだ。
「あぁ、そうだったんですね、ありがとうございます」
本来なら公爵家であるイランにとってこのような言葉遣いは相手が限られる。ましてや同年代などさらに数が少ない。
だがここでは自分は貴族でもなんでもない、とヘレンに言われたばかり。その上自分の世話をしてもらっているのだ……あの汚い服もきっと彼女が処理してくれたのだろう。
丁寧な対応は感謝と敬意の表れである。
そして何よりあの夢を見てからというもの、人に対し偉そうな態度を取るのは相手の好感度を下げる行為、今のイランにとってはそれはリスクになりかねないと感じてしまうのだ。
「他の皆さんはどこにいますか?俺も鍛錬に戻りたいのですが…?」
そう言いながら身体中に走る激痛を無視してベッドから降りようとする。
「あっあっ、だっだめ、ダメです!まだ安静にしてないと……まだ、ダメです……!」
イランの体を抑えようとするが、体に触れるのは恥ずかしいらしく、戸惑った手が空中で彷徨う。
「えっ……でもこのくらいなら全然大丈夫、です。本当に」
「あっ、そういえば……自己紹介、じ、自己紹介まだでした……私、ルノ……です、ルノって、いいます……!」
誤魔化されたような気がしなくもないが、名乗られればこちらも名乗るのが作法というものである。
「イランです、イラン・オルギアス。どうぞよろしく」
「よ、よよよよ、よろしくお願いします!」
ばっ!と勢い良く頭を下げる。少し下げすぎてはないか?と思えるほど深く頭を下げる。
それに応え、自分もベッドに座りながらお辞儀をする。
「では、ルノさん、皆さんどこにいるいらっしゃるのか教えていただけますか?」
ニコッ、微笑む。
10歳にはそぐわない貼り付けた仮面のような笑み。
あらゆる社交界で得た強固で優雅な外的側面だった。
「……?え、えへ??えへへ??」
社交界どころか、人と話すのすら苦手なルノにも割と効果がある様だった。
人とまともな対話経験がほぼなく、喋りかけられても殆ど『はい』か『いいえ』か『あっあっあっ……』で終わってしまう。
ルノはいわゆるコミュ障であった。
なぜそんな彼女がイランには比較的言葉数が多いのか。
それはやはり…
あの夢を見てからイランが心がけている物腰の柔らかい態度。先ほど繰り出した社交界で鍛えた人の良さそうな作り笑顔。そして噂との印象があまりにも違った為だ。
入隊当日までにそれぞれのメンバーの書類はタロンへ届く。
公爵家の人間が来るとなれば隊員の中で噂にもなる。
『あのオルギアス家のご子息が来る』
『貴族には良い顔を見せる一方で、平民や使用人にはキツく当たっているらしい』
『まさに悪徳貴族、ここではどんな態度を取るのやら』
『舐めた態度だったらボコボコにしてやろう』
イランがやりたい放題していた頃も、悪い噂が広まらない様に対処はしていた。
だがやはり完全に封じることはできず漏れるところには漏れていた。
それでもある程度の対処しかしていなかったのは所詮下民が話す下賎な噂。だと下していたから。
タロンは貴族や王家との関与は薄い。
故に噂はイランの気にしていない所で広まるのは仕方のないことだった。
だが、例えそこから他の貴族に噂が広まっても焦りはしない。
社交界などでなんとでも調整できるという自負があったし、実際に今までそうしてきた。
故に、タロンでは悪い噂が広まり続け、貴族の話に疎いルノにもその声は耳に届く。
だがどうだ、実際に目の前にいるその噂の少年は。貴族でもない自分に微笑み、丁寧に優しく声をかけてくれる。
何よりあれほど衰弱するまで努力する姿。あれほどボロボロになるまで自分を追い込む姿。起きればすぐに復帰しようする健気な姿。
ルノは見事に庇護欲をそそられ、つい献身をしたくなってしまう。
ついつい声をかけたくなる。守りたくなる。
自分よりも逞しく遥かに強い、身も心も強靭であろう同年代の男の子に対して、初めて抱いた感情だった。
初めて、沢山、話したくなる相手だった。
助けてあげたくなる男な子だった。
「あ、あの兵士の方々の居場所を……」
「えっ、と、きょ、今日はもう、お、おおお、おおやすみ?みたいです……よ?」
だが、いや、だからこそイランの要望を答える気はさらさらなく、自分なりに彼を休めさせようとする。
だが彼女は根っからのコミュ障。
こんな雑で下手くそな嘘で誤魔化そうとするのも––––
「いや、外から鍛錬してるっぽい人たちの声っぽいものが聞こえるんですけど……?」
––––彼女の対話能力の低さ故であった。
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