怠けてる場合じゃない③
「師範、ランニング終了しました」
「そうか、で、あいつらの様子はどうだ?」
「はい……1人だけ、最後までついてきた者が…」
「ほう……!」
少し驚いたような表情を見せるも、それが誰かはヘレンには見当がついていた。
ランニングを始めたスタート地点、そこへ向かうと、1人の少年が息も絶え絶えに伏していた。
その少年は、呼吸も安定せず、訓練着を自分の吐瀉物まみれにしており、ガタガタと小刻みに震えていた。
その少年を見下ろし、カルロは走ってる最中の姿を思い出す。
まるでバケモノにでも追われているかの様な死物狂いな形相で自分達に食らいつく姿。吐瀉物を撒き散らしながらも無理やり体を動かす姿。
何かに操られているかのように強制的に身体を操作していた。
確かに背後からは脅威は迫ってる。
だがそれにしても様子がおかしかった。
もっと、恐ろしいものを見てる様な、背後からまるで…
『死』そのものが迫ってる様な
そんな必死さが伝わってきていた。
現に彼は自分達と同じペースで20キロ近くを走り切った。魔術を使っている気配はなかった。
正真正銘、10歳の子供が自分の肺活量と筋力のみで走り切った。
いや、例え強化魔術を使ったとしてもこの年でこのペースで走り切るのは難しい。
これはカルロにとって驚嘆に値することだ。
こんな子供は今までいなかった。戸惑いを隠せない。こんなになってまで自分達についてくる少年が理解できなかった。この少年の精神には自分の理解できない何かが住み着いているのではないのか……?
ふとヘレンの顔を覗く。
そこには新しいおもちゃでも見つけたかのような嬉しそうな表情が浮かんでいた。
「このガキは電撃を何発喰らった?」
「一度だけです。それも妙で、1番最初は最後尾で走っており、電撃をくらったかと思えば急にギアが上がったように我々の中央あたりまで追いつきそのまま走り切りました。よほど電撃が嫌だったのでしょうか……?」
「ふむ……」
本当にそうか?とヘレンの頭に疑問が浮かぶ。
カルロ自信もその言葉はしっくりこなかった。
ヘレンは目の前にいる少年について考え込む。
あの初対面で木剣を耐えた少年。
痛みにはかなりの耐性があり、精神も強いはず。
あの『《鉄血の英雄》ゼイブル・オルギアス』の息子であればその耐久性にもうなづける。
故に電撃が怖い、などと生ぬるい理由でカルロ達についていけるか?それよりももっと別の……まるでわざと食らいに行っているかのような違和感。破滅的な好奇心から来るものではないのか?だとすればこいつは…––––
––––師範」
そんな思考に耽っていると横から声がかかる。
「彼らはどうしますか?」
「あぁ、こっちでやっておく、お前達はいつも通り次の鍛錬にとりかかれ」
「ハッ!」
新人を迎え入れた初日は大体こうだ。体力がもたず倒れる。そしてその者たちを回収する。走り切らせすることが目的ではない。
これも洗礼の一つ。
貴族という立場に驕る者。
魔法の才に胡座をかく者。
甘やかされてることにすら気付かず、やった気になっている半端者。
そんな子供達を何人も見てきた。
そんな彼等の鼻っ柱を折るための洗礼。
だが今回はいつもと違う点がある。
去って行くカルロを尻目に笑みを溢すヘレン。
「くははッ、楽しくなってきたなァ……」
そう呟き、ランニングコースの途中、様々な場所で気を失ってる新人達を拾いに行こうとし–––
「ま……待ってください…」
足を掴まれる。
「おいおい」
ゆっくり振り返るとそこには、這い蹲りながらヘレンの足を掴むイランの姿があった。
「ま、まだやれます。ハッ……俺も……ハァ……次の…ゥッ……鍛錬に…フゥ……さ、参加を……」
(まだ動くのか、いや、まだ心が折れてないのかこのガキはッ!)
その縋りつくような表情に嗜虐心が煽られる
。だが流石にこれ以上追い込めば本当に死にかねない。と言う理性がヘレンを止める。
「黙れ、それを決めるのは私だ。貴様はそこで這いつくばってろ。ガキのくせにあいつらについて行き最後まで走り切ったことには正直、驚嘆した。その褒美に今回はこのくらいにしてやる。明日からはもっとしごいてやる。次は精々、ぶっ倒れない様にするんだな」
「ハァハァ……でも…まだ、ゥッ…まだ死にません。ンォェッ……まだ行けます。フゥ……死ぬほどじゃ……ハァ……ないです。だから……ッ!––––
「黙れ、私に逆らうな」
その瞬間、ヘレンから電撃が放たれ、誰かの名を口にしているヘレンを遠目に、イランは意識を失った。