第19話 戦後処理と新たな火種
裏庭での激闘は、俺が咄嗟に起動させた通信クリスタルの自爆機能(という名のただの爆弾)によって、なんとか幕を閉じた。
裏庭は魔族の死骸と黒い血、砕けた石畳、折れた木々で、それはもう悲惨な有様だ。
まるで小規模な戦場跡のようだ。
これ……後片付けは誰がやるんだよ。俺のせいとは言え、気が重すぎる。
肩で息をしながら、俺は仲間たちを見回した。
皆、多かれ少なかれ負傷し、疲労困憊の様子だ。
特にマリエッタは、肩の傷がまだ痛むのか、顔をしかめながら腕を押さえている。
ドレスの裾は血と泥で汚れ、自慢の金髪も乱れている。
俺は少しだけ罪悪感を覚えながら、彼女に近づいた。
周囲にはまだ他の仲間がいるが、今はそんなことを気にしていられない。
「おい、マリエッタ。大丈夫か? 無茶しやがって」
俺が素直に心配の言葉を口にすると、マリエッタは少し驚いたような顔をして、すぐにいつものヤンキー顔に戻った。
小声で、俺にだけ聞こえるように囁く。
「ふん、この程度、どうってことねえよ。それよりアンタ、さっきの爆発は何なんだよ。あんなの聞いてねえぞ」
「あ、あれは……その、緊急時のための秘密兵器だ。と、とにかく、お前のおかげで助かった。お前、やっぱ強えな。マジでチートだろ」
俺は彼女の強さを素直に称賛した。
実際に、彼女の『疾風刃』がなければ、巨体魔族を倒すのはもっと困難だっただろう。
俺の言葉に、マリエッタは一瞬、きょとんとした顔を見せた。
そして、ぷいっと顔を背けながら、ぶっきらぼうに、やはり小声で言った。
「……別に。アンタのためじゃねえ。あたいは、あたいのために戦っただけだ」
でも、その横顔は、ほんの少しだけ照れているようにも見えた。
(お? これはもしや、好感度アップの兆候か? ヤンキーの照れ顔、悪くねえな……って、いかんいかん!)
「てかさぁ」
マリエッタが再び俺の方を向き、怪訝そうな顔で尋ねてきた。
「アンタ、隠れてるんじゃなかったのかよ。なんで途中から飛び出してきたんだ?」
「あ、いや、それは……その、お前が危なかったから、思わず……な?」
俺はしどろもどろになりながら答えた。
正直、自分でもなぜ飛び出したのかよくわからない。
ただ、マリエッタが吹き飛ばされた瞬間、カッとなって体が勝手に動いていたのだ。
「……ふーん。まあ、アンタにしては、ちょっとだけ見直したぜ」
マリエッタはそう言って、小さく笑った。
その笑顔は、いつもの演技スマイルでもヤンキー顔でもない、
どこか素直な、年相応の少女の笑顔に見えた。
俺は、そのギャップにまた少しドキッとしてしまった。
(いかん、こいつ、やっぱり可愛いかもしれん。……いや、妹だぞ、妹『魂は他人だけど』!)
俺が内心で葛藤していると、カロリーネとリリアナが近づいてきた。
カロリーネはまだ少し顔色が悪いが、気丈にも背筋を伸ばしている。
リリアナは、心配そうにカロリーネの腕を支えていた。
周囲には他の仲間たちも集まってきている。
「まあ、お兄様! マリエッタも少し驚きましたけれど、お怪我はこれくらい平気ですわ。
それよりも、カロリーネ様こそご無理なさらないでくださいまし」
マリエッタは瞬時に完璧な王女モードに切り替わり、カロリーネを気遣う。
……この変わり身の早さ、マジで女優だな。
「殿下。貴方の咄嗟の判断……あの爆発がなければ、我々は危うかったかもしれませんわ。……感謝いたします」
カロリーネが、少しだけ素直な口調で礼を言ってきた。
その隣で、ガレスやヴィンス、ルシアン、カイルも複雑な表情ながら頷いている。
前回の非難轟々の空気とは明らかに違う。
「いえ、王子様だけではありません! マリエッタ様も、ガレス様も、カイル様も……皆さんの勇気があったからこそ、乗り越えられたのです!」
リリアナが、涙ぐみながら付け加える。
その通りだけど、もうちょい俺を褒める流れで良くない⁉ 天然聖女ちゃんよお⁉
ま、そんなの柄じゃねえけどな。
この場の空気に、俺は少しだけ照れくさいような、誇らしいような、複雑な気持ちになった。
(よし、この流れなら……ちょっと試してみるか?)
俺は目を閉じ、再び『好感度システム』に意識を集中させた。
さっきの戦闘と、俺の(珍しい)行動と仲間たちの反応で、数値はどう変わった……?
頭の中に、ぼんやりと数字が浮かび上がる。
カロリーネ: 55 【婚約者】
リリアナ: 40 【王子な人】
カイル: 60 【仕えるべき主】
ヴィンス: 50 【次期国王】
ガレス: 50 【やるじゃねえか】
ルシアン: 45 【見直した】
(お、おおっ⁉ 上がってる! 全体的に上がってるぞ!
特にガレスとルシアンの上がり幅がデカい!
俺が直接戦った(石投げと短剣だけど)のが効いたのか⁉ リリアナも結構上がったな! カイルも持ち直した!
カロリーネとヴィンスは微増か……まあ、しゃあない。
つーか、色々ツッコみたいが、リリアナの【他人】から【王子な人】って思考は何⁉ 【王子】とか【王子の人】ならギリわかるけど。
なんか人間扱いされてない気がするんだけど⁉
地味に不思議ちゃんだろ、この子!)
一応、俺は内心でガッツポーズを決めた。まだ低いとはいえ、前回よりはだいぶマシだ。これなら、少しは希望が見えてきたかもしれない。
だが、問題は……
マリエッタ: 5 【様子見】
「……ごっ⁉」
低っ! 低すぎるだろ! ゼロから5って! あれだけ共闘して、心配して、ちょっとだけ見直したとか言ってたのに、たったの5⁉
どんだけ俺のこと嫌いなんだよ、あいつの中身は! 恐怖で膝が笑いそうだ。
(好感度5のヤンキー妹(仮)とか、いつ裏切られてもおかしくねえ……! やっぱり油断できねえ!)
俺が内心で絶望していると、カロリーネがふと顔を上げ、鋭い視線を裏庭の奥へと向けた。
「……皆さま、静かに。何か……嫌な気配がいたしますわ」
その時だった。
裏庭の奥、俺たちが戦っていた場所から少し離れた茂みが、ガサガサと不自然に揺れたのだ。
「⁉」
俺たちは一斉にそちらに視線を向け、警戒態勢を取る。
まだ魔族の残党がいたのか⁉
茂みの中から現れたその姿は、俺たちをさらに驚愕させるものだった。
全身が、まるで溶岩が冷え固まったような赤黒い鱗に覆われ、所々からマグマのような赤い光が漏れている。
背中には、実体のない禍々しい黒炎が、まるでオーラのように揺らめいていた。
身長は5メートルは超えているだろう。
その手には鎖のようにしなる、燃え盛る炎でできた鞭が握られており、鞭が地面に触れるたびにジュウッと音を立てて焦げ跡を残し、強烈な熱波がこちらまで伝わってくる。
その顔立ちは……爬虫類じみているが、魔族特有の凶暴さとは違う、冷徹で歪んだ知性を感じさせるものだった。
燃えるような赤い双眸が、俺たちを睥睨している。
「な、なんだ……あれは……? ゲームに、あんなキャラいたか……?」
俺は呆然と呟いた。
「お、お兄様……! あれは、普通の魔族ではありませんわ! ものすごい魔力を感じます……! 空気が……熱くて息苦しいです……!」
マリエッタも王女モードのままだが、顔色を変えて俺の隣で剣を構え直している。
炎を纏った謎の人型存在は、ゆっくりと俺たちを見回し、口元を歪めて、嘲るような笑みを浮かべた。
『ほう……魔王軍の斥候どもを退けるとは、なかなかの手練れがいるようだな、この学院には』
その声は、男とも女ともつかない、金属質で不気味に響く声だった。
『だが、所詮は人間。この魔将、灼炎のバザルガスの前では、赤子同然よ』
魔将……バザルガス⁉ ゲームにはそんな設定なかったぞ! おい、どうなってんだ、この世界は!
魔将バザルガスが、炎の鞭を軽く振るう。
ブォン! と空気を切り裂く音と共に、凄まじい熱波が俺たちを襲う!
「くっ……!」
ガレスが盾を構え、カロリーネが咄嗟に氷の障壁を展開するが、その障壁が熱気でみるみるうちに融解されてしまう!
魔将の放つプレッシャーは、前回の巨体魔族など比較にならないほど強大だ!
『ふむ。今日は小手調べだ。貴様らの力、見せてもらった。特にそこの氷使いの娘と、聖女か。少々厄介ではあるな』
バザルガスは、まるで俺たちを品定めするかのように、ゆっくりと言葉を続けた。
『次に会う時は、本気で相手をしてやろう。それまでの短い命、せいぜい震えて待つがいい』
そう言い残すと、魔将バザルガスは再び歪んだ笑みを浮かべ、その姿を高熱の陽炎のように揺らめかせながら、黒い霧の中へと溶けるように消え去ってしまった。
後には焼け焦げた地面と立ち昇る熱気に、俺たちの間に漂う重苦しい沈黙だけが残された。
「……なんだったんだ、今のは……」
俺が呆然と呟くと、マリエッタが俺の隣で、小声で真剣な顔つきで囁いた。
「……アンタも、知らねえってことだけはわかったよ。
ここからはゲームの知識が、通用しないってことだ」
マリエッタの言葉に、俺は背筋が凍るような感覚を覚えた。
そうだ、この世界はゲームであって、ゲームではない。
俺の知らない要素、俺の知らない強敵が存在する。俺の卑怯な作戦が、いつまでも通用するとは限らないのだ。
「……なあ、マリエッタ」
俺は、隣に立つ妹(仮)に、初めて頼るような気持ちで、小声で話しかけた。
「お前がいてくれて、よかったよ。ゲーム知識を共有できる仲間がいるってのは、マジで助かる」
俺の素直な言葉に、マリエッタは少しだけ驚いた顔を見せたが、すぐにいつものように鼻で笑った。
「ふん。まあ、同感ってことにしといてやるよ。あたいも、アンタみたいな卑怯な作戦を立てる奴がいないと、正面からぶつかって死んでたかもしれねえしな」
俺たちは、互いに視線を交わし、無言で頷き合った。
転生者同士の、奇妙な絆が生まれた気がした。
(好感度5だけどな!)
***
その夜。俺は自室に戻り、ベッドに倒れ込むこともできず、窓辺に立って外を眺めていた。
月光に照らされた裏庭の惨状が、昼間の戦闘の激しさと、魔将の残した爪痕を物語っている。
(魔将バザルガス……か。ゲームにはなかった強敵。俺の知らない展開。これから、どうなるんだ……?)
不安が胸をよぎる。だが、同時に、昼間の戦闘で感じた、あの仲間たちとの確かな連携。
それとマリエッタとの間に芽生えた奇妙な信頼感が、俺の心を支えていた。
(魔法が使えなくても、俺は俺だ。卑怯でも、セコくても、生き残ってやる。でも……)
昼間の戦闘で、マリエッタが傷ついた瞬間と仲間たちが次々と倒れていく光景が脳裏に蘇る。
俺が石を投げ、短剣を握り、爆弾を投げつけたのは、ただ自分が生き残るためだけだっただろうか?
(……少しは、仲間を守る力も欲しい、なんて……思っちまったな)
胸の奥で、あの小さな炎が、またチリッと灯った気がした。
それは相変わらず頼りない光だったが、以前とは少しだけ違う、温かさを伴っているような気がした。
マリエッタが吹き飛ばされた時に感じた熱。あれは一体……
遠くの森から、また不気味な咆哮が響いてくる。俺は短剣の柄を、強く、強く握り締めた。
「……どんな敵が出てこようと、俺は生き残る。そして仲間たちも……守ってみせるぜ」
その決意は、まだ少しだけ頼りないものだったけれど、俺は窓の外の闇を睨みつけ、来るべき更なる戦いに備え、思考を巡らせ始めた。