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第10話 転生王子、絶望する

 夕陽が完全に地平線の向こうに姿を隠し、森が濃密な闇に支配されようとした、まさにその瞬間だった。


 グルルルル……グチャ……


 森の奥深くの闇が最も濃く淀んでいる場所から、低い獣のような唸り声と、何か粘着質なものが蠢くような不快な音が響いてきた。

 そして黒い煙のような不定形の影が揺らめき、みるみるうちに実体を持つ存在へと変わる。

 3体の魔族だ。


 1体は、身長2メートルは優に超えるであろう巨躯。

 ゴリラかよ! という程に隆起した筋肉は黒曜石のような硬質な鱗に覆われている。

 その様は、まさに歩く黒い岩石だ。

 歪んだ口からは、緑がかった毒々しい粘液が絶えず滴り落ちており、地面に触れるたびにジュウッ!と音を立てて草木を溶かしている。

 ……ヤバすぎる。

 

 残り2体は対照的に細身だが、その動きには蛇のようなしなやかさと、豹のような俊敏さが感じられる。

 骨張った四肢には鋭い棘が無数に生え、鞭のようにしなる長い尾の先端には鈍い光を放つ毒針が見えた。


(来た! やはり3体! ゲーム通りだ! よし、まずは俺の愛情たっぷり手作りトラップにかかれ!)


 マリエッタが流した噂とヴィンスの裏工作で、正規の騎士団どもの注意は森の奥へ向かっているはずだ。

 表向き、この入り口は『最近の不穏な噂はあるが、重点警戒地域ではない』と油断させられているはず……だが、それは見せかけだ。

 

 ヴィンスには別に手を打たせてある。

 正規の指揮系統とは別に、あいつが個人的に信用して口止めできる『腕利き』を数名、この俺が指定したポイントにだけ潜ませてある。

 名目はあくまでヴィンス個人の『自主的な警戒強化』、騎士団本隊には内密の非正規な動きだ。

 こいつらが俺の切り札であり、罠にかかった後の本命だ。頼むぞ、ヴィンスが選んだ『精鋭』とやら!


 俺が茂みの中で固唾を飲んで見守る中、魔族たちは周囲を警戒しながらも、俺が仕掛けた見え見えの陽動(偽の荷物と血糊)の方へと、ゆっくりと引き寄せられていった。

 

 最初に動いたのは細身の魔族の1体だった。

 蛇のような動きで音もなく地面を滑り、偽の荷物に飛びつこうとした、まさにその瞬間!

 その足元にあった地面が、何の前触れもなく崩落した!


「ギャアアアアアアアアア!」


 甲高く耳障りな悲鳴を上げ、細身の魔族は俺が丹精込めて掘り、底に杭を仕込んだ落とし穴へと為す術もなく真っ逆さまに落ちた。

 ドスッ! という、肉を貫く鈍い衝撃音と共に、穴の底から絶望的な断末魔の叫びが微かに響き渡る。

 鋭く尖らせた杭が腹か胸あたりを貫通したのだろう。

 穴の縁から、どす黒い液体が勢いよく飛び散ったのが見えた。


「よし! まず1体、確実に仕留めた!」


 俺は茂みの中で、音を立てないように力強くガッツポーズを決めた。

 上々の滑り出しだ!


 残った2体の魔族は仲間の突然の消失と断末魔に、明らかに動揺した様子を見せた。

 警戒心を最大限に高めてキョロキョロと周囲を見回している。

 特に巨体の魔族は苛立ちを隠せないように鼻息を荒くし、地面をドシン! と強く踏み鳴らした。


「グルオオオオオオオオオッ!」


 地響きを伴うような凄まじい咆哮を上げ、巨体の魔族が、落とし穴があった方向とは逆、俺たちが隠れている茂みに近い方向へと、怒りに任せて突進を開始した!

 だが、その進路上には、俺が巧妙に仕掛けた第二の罠、麻のロープが待ち構えている!

 予想通り、巨体は猛進する勢いのまま、地面に隠されたロープに足を引っ掛けた!


「グォッ⁉」


 巨躯がバランスを崩して、前のめりに倒れ込もうとする。

 ただでさえぬかるんだ地面だ、一度崩した体勢を立て直すのは容易ではないはず!


(かかった! 計算通り! 今が好機だ!)


「ガレス! ルシアン! ヴィンス、手配した騎士たちを投入しろ! 総員、攻撃開始だ!」


 俺は茂みから勢いよく飛び出し、事前に打ち合わせておいた仲間たちと、ヴィンスに潜ませておいた騎士団に向けて、最大限の声量で合図を送った。


「待ってたぜ、アレクシス! うおおおおお、でっけえ魔物だな! だが、俺の敵じゃねえ! 大地割断(ガイア・ブレイカー)』 !」


 俺の合図とほぼ同時に、近くの茂みから赤毛の猪武者、ガレスが雄叫びを上げながら飛び出してきた。

 その手には、彼の身長ほどもある巨大な両手剣が握られている。

 狙うは体勢を崩して無防備に近い状態の巨体の魔族だ!


 大剣が夕闇を切り裂き、巨体の肩口から腕にかけて叩き込まれる!

 ガギンッ! という硬い鱗を砕く音と、骨が軋む鈍い音が重なって響き渡った。


「計画通りです、アレクシス殿下。

 よし、皆のもの、打ち合わせた通りに散開! 転倒した巨体を最優先で無力化するぞ!

 騎士は側面から牽制しつつ、ガレスの攻撃を援護! ルシアン、回復準備を怠るな!

 発動せよ! 『盤上の支配タクティカル・ドミネイト』!」


 黒髪メガネのヴィンスも、別の茂みから冷静沈着に現れて固有スキル『指揮能力アップ』で的確な指示を飛ばす。

 その声に応じて周囲の闇に溶け込むように待機していた騎士団の『精鋭』数名が、軽装ながらも統率の取れた動きで姿を現した。

 彼らはヴィンスの指示に従い、巨体を囲むように素早く散開し、剣や槍で牽制攻撃を開始する。

 ヴィンスが選んだだけあって、その動きには無駄がなく連携も取れている。さすがは『精鋭』だ。


(よしよし、いいぞ! 罠は完璧に機能し、奇襲も成功! 騎士団もちゃんと動いてる!

 フハハ! 『炎獄の裁きインフェルノ・ジャッジメント』がなくても大丈夫じゃねえか!

 このまま押し切れ! 俺の作戦は完璧だ!)


 俺は内心で喝采を送り、勝利を確信しかけていた。

 罠と奇襲、仲間と騎士団の連携。

 俺の作戦は寸分の狂いもなく機能しているように見えた。


 ……だが、現実はクソゲーよりも、さらにタチが悪かった。


 まだ無傷で残っていた最後の1体の細身の魔族が、俺たちの想像を絶するスピードで動いたのだ。

 それはまるで黒い閃光だった。

 ヴィンスたちが展開した包囲網の隙間を、信じられないほどの機敏さですり抜けやがった!

 側面から巨体を攻撃しようとしていた騎士の1人の、まさに死角となる背後に音もなく回り込むと、毒針のついた尾を鞭のようにしならせ、鎧の隙間の首筋の急所に深々と突き刺した!


「ぐっ……かはっ……」


 襲われた騎士は、短い、信じられないといった呻き声を上げると、顔をみるみるうちに毒々しい紫色に変え、口から白い泡を吹きながら崩れるようにその場に倒れ伏した。


 ……完全に即死だ。


「なっ……⁉ 馬鹿な⁉」

 

 そのあまりにもあっけない、残酷な光景は夕闇に染まる森の中で、強烈な衝撃となって俺たちの目に焼き付いた。

 俺は思わず息を呑み、背筋が凍るのを感じた。


「い、いかん! ルシアン、回復を急げ!」


 ヴィンスが叫ぶ。

 

「は、はいっ! 聖なる光よ、その命を癒したまえ! 『癒しのそよ風(ヒーリング・ブリーズ)』!」


 青髪のルシアンが震える声で詠唱し、回復魔法の光を倒れた騎士に向ける。

 だが既に手遅れだ。騎士はピクリとも動かない。

 

 その一瞬の隙を、細身の魔族が見逃すはずがなかった。

 回復魔法に集中していたルシアンに向かって、鋭い骨の爪を振りかざし、猛然と襲いかかった!


「危ねえっ!」

 

 間一髪、ガレスが負傷した腕の痛みを堪えながらルシアンを突き飛ばし、代わりに魔族の爪撃を受けた!

 ザシュッ! という肉が裂ける生々しい音と共に、ガレスの肩口から再び鮮血が噴き出す。


「ぐおおおっ! この野郎おおお!」

 

 ガレスは激痛に顔を歪めながらも、根性で大剣を振るうが、出血と痛みで明らかに動きが鈍っている。


 さらに悪いことに、事態は最悪の方向へと転がり落ちた。

 ガレスに斬られ、騎士団に囲まれて倒れていたはずの巨体の魔族が、信じられないほどの生命力で怒りの咆哮と共にむくりと立ち上がったのだ!

 その肩口からは未だに黒い血が流れているが、致命傷には至らなかったらしい!


(嘘だろ⁉ あの攻撃を受けてまだ動けるのか⁉ ゲームじゃあのクラスの攻撃で死んだはずだぞ⁉)


 思考が追いつかない! 目の前の光景が信じられない!


 立ち上がった巨体の魔族は、怒りに燃える赤い瞳で周囲を薙ぎ見ると、近くで牽制していた騎士団員たちに向かって、その岩石のような剛腕を振るった!

 

「ぐわあっ!」

「ぎゃああ!」

 

 騎士たちは懸命に盾で防御しようとしたり、回避しようとしたりしたが、その圧倒的なパワーの前には無力だった。

 分厚い金属鎧が紙屑のように引き裂かれ、骨の砕ける鈍い音と共に、数名の騎士たちがまるで虫けらのように宙を舞い、地面に叩きつけられる。

 断末魔の叫びが、森の闇に虚しく響き渡った。


 戦場は、ほんの数分前までの有利な状況が嘘のように、一瞬にして地獄のような混乱の坩堝と化した。


 俺の考え出した罠も、ヴィンスが手配したはずの『精鋭』騎士団も、魔族の予想を遥かに超えるタフネスと凶暴性と狡猾な連携の前に、脆く崩れ去ろうとしていた。


(クソッ……! クソッ! クソッ! 罠も奇襲も成功したはずだ! なのに、なんでこうなる⁉

 こいつら、ゲームの時より明らかに強い! 硬すぎるし、しぶとすぎる!)


 俺は茂みの中で、もはや隠しようのない恐怖と焦りで、全身がガタガタと震えるのを感じていた。

 背後でカイルが息を呑み、俺の袖を掴む気配がする。


 俺の完璧なはずだった他人任せの安全作戦は、開始わずか数分で致命的な綻びを見せ、崩壊し始めていた。


 俺の貧弱な火花では、この状況を打開する術など何一つありはしなかった。

 

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