たんぱく質が足りません
来ていただいてありがとうございます!
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アリスの不満
どうして?
どうしてあの方は私の方を見てくれないの?
シルヴァン・ウィスティリア・スフェーン様。
せっかく留学を切り上げて帰って来てくださったのに。もしかして私のため?なんちゃって。実は子どもの頃から憧れてたのよね。貴族の子ども達を集めた王室でのお茶会で一度だけお会いした時から。エルドレット様もユーイン様もクリストファ様もジェフ様もグラントリー様も、私がいいなって思った殿方はみんな私を好きになってくださったのに。
私を他の女の子達と同じみたいに扱うなんておかしいわ!私は聖なる乙女なのよ?しかもこのままだったらゆくゆくはティアラ持ちになれるの!女の子達に囲まれて楽しそうに会話していたから、私、近づいてみたの。いつもなら、どんな男性でも私を見るとたとえ他の女の子が隣にいても放って私の方へ来てくれる。特に昨年私が流行り病を食い止めてからは。たとえそれが婚約者のご令嬢でもよ?私ってとても魅力的なんだと思うの。それなのに……。
薄暗い豪華な寝室で、アリスは今日の学園でのことを思い返していた。
スフェーン王国王立学園
ある日の放課後
花の園庭
「シルヴァン様!」
私が声をかけると、彼の周りにいた女の子達が一斉に振り向いた。女の子達には驚いた顔、嫌そうな顔をされたけど気にせず近づいて行ったの。みんな道を開けてくれて嬉しいわ!
「やあ、ローザリア伯爵令嬢。何かご用?」
「え?」
何?用事が無いと話しかけてはいけないの?話題は男性が探すものでしょう?
「えっと、とても楽しそうでいらしたので……。それにシルヴァン様とはこれまであまり交流が無かったので、ぜひ仲良くしていただきたいですわ」
「ああ!そうだよね。みんな仲良くするのは大事だよね」
輝く銀色の髪、優し気な紫色の瞳でにっこりと微笑まれるとどんなことを言われても許してしまいそう。
この人も私のお友達になっていただきたいわ!そうだ!もしかしたら婚約者はエルドレット様よりもこの方の方がいいかも。だって王子妃って結構勉強が大変だもの。
「じゃあ、僕はそろそろ行くから、みんなで仲良くしてね」
「え?あの!お待ちくださいませ!」
「ん?どうかした?ローザリア伯爵令嬢」
「それ!私のことはどうぞアリスとお呼びください!皆様そう呼んでくださっていますわ」
私はとびきりの笑顔でそうお願いした。誰?今小さな声で図々しいとか仰ったのは。私は聖なる乙女なのよ?候補止まりの貴女方とは違うの!ああ、そんなことはどうでもいいわ!今はシルヴァン様よ。
「ごめんね。ローザリア伯爵令嬢、僕には他の人の婚約者のご令嬢を名前で呼ぶことはできないよ。エルに申し訳ないからね。それにみんなの事も同じように呼ばせてもらってるから」
周囲の女の子達を見回しながらにっこり微笑むシルヴァン様。……拒否された。誰?いまクスッと笑ったのは?あ!行っちゃった……。一体どういうことなのよ!
「今日はあまり時間が無くて、私の事をよくご覧になってなかったんだわ。明日はもっとゆっくりお話しすればきっと」
アリスはイライラしながらふかふかのベッドの上で寝がえりをうった。
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「たんぱく質が足りないと思うの」
「何を言ってるんだ、ノーラ?」
魔の森の小屋の中、暖炉の中で魔法の炎が燃えてる。春になったとはいえ、まだ夜は寒いこともあるから時々暖炉に火を入れてる。……薪、入って無いけど。私の知ってる暖炉と違う……。ヴァイスが言うにはこの小屋の中では魔力があれば大体快適に暮らせるようになってるらしい。でたらめな魔法小屋よね。
ヴァイスに教えてもらいながら魔法の勉強を始めた私は、今切実に思ってることを打ち明けた。
魔法の勉強といっても学園で習う事とは違って、主にヴァイスのお師匠様の研究成果をなぞってる。小屋の周囲の木の実の活用方法や転移門の使い方。生活するのに必要な魔法の習得。木の実は食用以外に薬になるものもあって、それらを調合してヴァイスのお師匠様は回復薬とか治療薬なんかも作ってたそう。とりあえず、この前焼いたパンとかフルーツ系の実を使ってジャムとか、お菓子系の食べものはそれなりに充実してきた。
食べられる野草をヴァイスが教えてくれたから、ビタミンも何とか採れてると思う。ちなみにヴァイスの助言で小屋の周囲に畑を作って一度植えなおしてから、若葉を食べるようにした。毒素が残ってるかもしれないから。
「要するに肉や魚が食べたいってことか」
「あと卵も!だからもう一度町へ行こうと思います。師匠!」
「お金はあるのか?」
「…………無いです」
「じゃあ駄目じゃないか?」
呆れたように暖炉の前で腕を組むヴァイス。体の半分がオレンジ色に染まってる。
「これを売ろうと思うの」
私は持ってきたカバンの中からレースのリボンをいくつか取り出した。
「へえ、これは……!繊細なつくりだな。かなり値打ちがありそうだ」
お母様の形見のリボン。お金や宝石は持ち出させてもらえなかったけど、これは見逃してもらえた。
「形見か。そんな大切な物を売ってしまっていいのか?」
「…………本当は嫌だけど、そうも言っていられないわ。他にも生活に必要なものが欲しいし。あ、そうだ!」
私は立ち上がって小屋にあった道具箱の中から大きなはさみを取り出した。
「どうするんだ?そんなはさみ持ち出して……っおいっ!何を!」
シャキンッ!
小気味いい音を立てて床に青みがかった銀色の髪が散らばった。腰に届くほどだった髪が肩までになり、頭が軽くなる。
「あああああっ!そんな!なんてことを!綺麗なサラサラの髪だったのに!」
悲鳴をあげるヴァイスを横目に私はちょっと後悔してた。
「しまった……」
「そうだよ!切りすぎだ!なんてもったいないことを!」
「外で切れば良かった……。掃除が面倒だわ」
「そこか?!」
「だって持ってきた洗髪剤、もうあんまり残ってないんだもの」
長い髪を維持するのはお金も時間もかかるのよ。前世でもせいぜいセミロングだったし、髪を結いあげてドレスを着ることもないし、要らないわよね、うん。というわけで、私はそのまま髪を短く切り揃えた。といっても上手くできなかったから、一つだけ残すことにした一番お気に入りのリボンでしばって誤魔化しちゃった。
「掃除は私がするよ」
ヴァイスはずっと悲しそうな痛ましそうな顔で見ていたけど、私は妙にさっぱりした気持ちになった。
翌日の午前中、私は以前は怖くて行けなかった最寄りの町を訪れていた。
「あ、市が立ってる!人がたくさんいる!賑やかだわ!」
「そうか?ああ、まあ市が立つ日はいつもよりは人が多いか。この町では十日に一度、市が立つんだったな。今日はちょうどその日か」
頭から被ったショールの中から声がする。変装というには弱いけど、とりあえず顔があまり見えないようにしてみたんだ。髪色も私のは目立つしね。
転移門がある墓場の小屋は町の西側。東と南北に延びる街道の途中にこの町はある。東へ行けば王都。北は海と山脈。南は隣国とその先に海。この町はあちこちから王都へ向かう人達が中継地点にする町なんだ。
「リボン、高値で売れて良かったな」
「うん。全部を売らなくてもすんでホッとした」
ヴァイスと小声で会話する。ヴァイスの案内で町の古物商へ行き、箱に入れたリボンを一つ見せて買い取りを依頼した。カウンターにいたおじいさんは怪しむことなく、今の私にとってはかなりの大金を提示してくれた。
「うーん、もっと高値で売れたと思うんだが、足元を見られたな」
ヴァイスは苦々しい声でそう言っていたけど、私にはこのリボンの価値が良くわからない。もしそうでも今は仕方ないって諦めた。
「干し肉や魚が買えて良かった。卵やソーセージも手に入ったし、洗髪剤も買えたし、今日はこれで十分だわ」
「少し市を見て回るか?」
「うん。見たい!」
買い物ができて、少し気分が上がってた私は気が大きくなってたのかもしれない。ショールで頭も隠してたし、何より一人じゃなかったから。
「この町は色々なものが集まるのね」
市ではお店がたくさん並んでて、フリーマーケットみたい。見たことが無いものがたくさん並んでた。見たことがない食べ物や道具、楽器なんかもあった。ヴァイスが時々品物について説明してくれて楽しかった。
「私も小さい頃、ケーキ屋さんとかやりたかったなぁ」
「店を出せばいいんじゃないか?」
「え?市に?」
「ああ。お師匠様に頼まれて薬とか売ってたから、私も出店許可証を持ってるぞ」
「そうなの?!……そっか、私も薬を作れるようになればもうリボンを売らなくても良くなるかもしれない……」
「うーん、薬は初心者には難しいぞ?」
「……やっぱりそうかぁ……」
「諦めるのはまだ早いぞ。ノーラの作ったパンやケーキは美味しいから、とりあえずそれを売ってみたらどうだ?」
「……できるかな……。やってみたい!」
自立への第一歩になるかもしれない。どのみちお金は必要だもの。頑張ってみよう。
「そうと決まれば明日から特訓と商品開発ね!」
私はひとしきり市を楽しんだ後、来た時と同じように一度南の街道に出てから墓場の小屋の転移門を通って森へ帰った。
あれ?これって今世での初めてのお使いなんじゃない?なんて考えて、夜ベッドに入ってから一人で笑っちゃった。油断しちゃいけないってわかってる。けど、それでも買い物や町歩きはとても楽しかったんだ。
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