王子の苦悩
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エルドレットは彼の執務室で悩んでいた。
今や深刻な流行り病はスフェーン王国全土に広がっており、政を司る者達は対策に苦慮していた。
期待されていた聖なる乙女であるアリス・ローザリアの力は精彩を欠き、婚約者であるエルドレットも父である国王や異母兄である王太子から冷ややかな目で見られている。エルドレットはエリノーラを捨ててアリスを婚約者に選んだことで国民の人気が上がり、貴族たちの間でも彼を王太子に推す派閥が勢力を強めていた。その矢先での今回の件だった。
「何故だ。昨年の流行り病はあっという間に沈静化したのに、どうして今年は……」
執務室の机の上で一人頭を抱えるエルドレットの元へ王国各地へ調査に向かわせていた側近が報告にやって来た。
「魔法王国では新薬が開発されて、病の流行が抑えられていると?!」
エルドレットの脳裏にあの生意気な黒髪の少年の姿が浮かぶ。こちらを憐れんだような王太子の顔も。
「背に腹は代えられないか……」
悔しさに歯噛みしながら、国王と王太子に相談し魔法王国へ使者を送ることを決めた。
「また父上と兄上に何と言われてしまうか……」
(恐らくあの魔法王国への招待は、アリスの能力を見極めるためだった。そして能力不足と判断されたため、あの高位魔法使いの不興を買ったのだろう)
「そのせいで、新薬の処方を教えるに値しないと思われたんだな……」
エルドレットの考えは半分正解だった。あの黒髪の魔法使いは魔法王国の王太子からアリスの見極めを依頼されていた。そして期待を裏切られて心底がっかりしただけだった。彼は才能を持つ者を好むが、もっと愛するのは努力する者だったから。しかしそれをエルドレットが今知る由もない。そして新薬がただの回復薬だという事も。
「殿下、もう一つご報告がございます」
「何だ!」
どうせまた民の陳情か苦情だろうとエルドレットはうんざりした。
「我が王国内でも病の感染がかなり抑えられてる地域があります」
「え……?」
「抑えられているというよりは、ほとんど感染者がいないと言った方が正しいかと」
「どこだ、それは!」
エルドレットは闇に光明を見た気がした。その奇跡の土地の食べ物や水を調べれば、病に打ち勝つ道が見つかるかもしれない。こちらを見下してきた魔法王国にも頼らないで済むのだから。
しかし、側近の報告を聞いたエルドレットは首を傾げた。
「あんな街道の中継地点の町が?」
特に何の変哲も無い普通の町だった。特産品も無く、農業地帯でも無い。しかしその近隣の町では流行り病の深刻な被害が報告されている。確かに不自然だった。
「特徴があるとすれば、荒野が広がっていること、そして魔の森に一番近いというところか……」
(魔の森……彼女が放置された場所……)
エルドレットの胸がずきりと痛んだ。エルドレットはエリノーラに謝罪こそしていないものの、エリノーラを冤罪で裁いてしまった事を悔いていた。シルヴァンがいなければ彼女は確実に死んでいたのだ。それはエルドレットの命じたことでは無かったが、兵士達の暴走を招いたのは間違いなくエルドレットの調査不足だったと自覚していた。
「…………とにかく、その町の調査を続行してくれ」
「かしこまりました」
一礼して側近は退出していった。
「失礼いたします。殿下」
「今度は何だ?」
別の側近があわただしく入室してきた。
「ローザリア伯爵令嬢様が……」
「…………またか」
「はい。癇癪を起され、治療院の仕事をボイコットされております」
「……わかった。すぐに行く」
エルドレットは深くため息をつくと立ち上がって上着を身につけた。
(一体何をどこで間違えてしまったんだ……)
いくら考えても分からない事を頭から追い出して、愛しい婚約者のもとへ向かった。
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「なんでいらっしゃるんですか?サンドライト様」
「お菓子貰いに来ました!」
「帰れ」
「冗談ですよ、殿下!回復薬を売ってもらいに来たんです!そんな怖い顔しないでください~」
いつものように魔の森で作業をした後、昼食をとるためにシル様のお屋敷に戻るとアレックスがいた。応接室でくつろいでいた。
「回復薬ですか?もうなくなってしまったんですか?お屋敷で誰か感染者が?」
「いやいや違います。ウチはみんな元気です。ただ、領地の方でちらほら感染者が出始めてて。ウチは田舎の方だから人口密度も低くてそこまで広がってないんだけど、家族単位で病気にかかると厄介だから早めに回復薬を配ろうと思って」
「隣同士の距離が離れている上に、治療院が遠いということか。助け合いも厳しいということだね」
「そうそう!一応ウチの回復薬を回して今は軽症の病人だけで済んでるけど、この先は一家に一瓶、常備薬って感じにしたいんです。よろしくお願いします」
アレックスにしては丁寧に頭を下げてきた。
「そういうことなら、今日出来立ての高回復薬があるから持っていってください」
今日作った回復薬をお屋敷の人達にサンドライト様の馬車に運んでもらった。
「へえ!これが高回復薬……ハイポーションか!ハイポーション!お世話になってたなぁ……」
それはどのゲームの事なの?アレックス……。シル様が怪訝そうな顔で見てるからやめて欲しい。
「にしても、この高回復薬って綺麗だなぁ。星がいくつも浮かんでるみたいだ」
アレックスは小瓶に入った回復薬を振りながら見つめてる。
「なかなか詩人だね。うん。本当に美しい薬だよね。まるでリノーそのものだ」
シル様に髪を撫でられて、そのまま一房掬い取られて口づけられた。上目遣いの菫色の瞳は妙に色っぽい。
「シ、シル様……!」
最近は夜寝る前にキスをされることが多い。昨夜のちょっと長いキスを思い出しちゃって恥ずかしくなったけど、シル様から目が離せない。
「あ!確かに!その不思議な髪色とおんなじ色ですね。魔力って髪色とおんなじ色なんですかね。俺も炎の魔法とか得意なんですよ」
私達の雰囲気には全く気が付かないアレックスは無邪気に会話を続ける。……アレックスって炎の魔法が得意なんだ……。なんかそれっぽい。
「そういえば今までに作った回復薬ってどうしてるんですか?」
「売ったり孤児院へ配ったりだね。大量に買ってくれるお客がいるんだ」
「できれば必要な所で聖なる乙女達の手が回らない所へもっと配りたいんですけど、私の作った回復薬を信用してもらえるかどうかわからなくて……」
シル様の顔が利く場所なら回復薬を使ってもらえるだろうけど、貴族とはいえ知らない人がいきなり家を訪問して薬ありますっ!なんてやったら、ただの怪しい人だもんね。私なら絶対飲まない。
「明日にでも僕がエルに話しに行こうと思ってるんだ」
「手も薬も足りてるならそれでいいんですけど」
むしろその方が安心だし、私の薬なんて出番が無い方がいい。
「あっちこっちに治療院があって、今は聖なる乙女達が各所に派遣されてるって父上が言ってたなぁ。ウチの領地には無いってボヤいてたけど。でもなぁ……」
「どうかなさったのですか?サンドライト様」
「うーん、親父が言ってたんだけど、どこも病人が溢れてて民の不満が溜まってるらしいんだ……。結構亡くなる人も増えてるみたいなんだよ」
「…………」
「そうなのですか?私の周りではまだそこまでではないみたいなんですけど」
そんな……亡くなる人が出てるなんて……。確かにリオン様の時はとても辛そうだったっけ。でも治療院に行けば聖なる乙女達がすぐに癒してくれるはず。昨年の時も聖なる乙女達がすごく頑張ってたって聞いてる。その中でも群を抜いてすごかったのがアリスだったって。今年も頑張ってるはずだよね。
「大丈夫だよ、リノー。明日にでも城へ行ってくるから」
知らないうちに強く握りしめていた両手をシル様の手が包んでくれた。
「リノーの回復薬があれば、すぐに病の流行を抑えられるよ」
さすがに私の回復薬じゃそんな大それたことはできないだろうけど、少しでも役に立てれば嬉しい。
「はい。お願いします」
「それで今日はお菓子は焼いてないんですか?」
「…………」
「貴方ねぇ……」
やっぱりこいつそれも目的か!ああ、シル様!ちょっと目が怖いですっ!
アレックスの子犬のような目に負けて、私は回復薬の合間に焼いておいたキャラメル風味のクッキーをあげた。
「やったー!この前のパウンドケーキがウチの家族にも好評で、またなんか貰ったら食べさせろって言われたんだよな」
「え?ご家族にも?」
そんなの聞いてないよ。少ししか渡してないのに。喜んでもらえたなら嬉しいけど。
「うん。じゃあ、今日は帰ります。回復薬ありがとうございました!」
アレックスはクッキーの袋を持って回復薬と一緒に帰って行った。
「…………シル様、私」
「駄目だよ。ちゃんと昼食をとって、昼寝もすること!」
バレてた。すぐに森へ戻ろうと思ってたのに。
「でも」
「駄目。じゃあ今日は強制的に僕が添い寝をするから」
「シル様……」
冗談かと思ったら、本当に抱きしめられたまま一緒に眠ることになってしまった。こんなの、眠るなんて無理だよ!
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