復学と女子寮
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「制服を着るのも久しぶりだわ」
私は鏡の前で髪や制服のしわを整えた。王立学園の女子寮の一人部屋は広さは無いものの、森の中の魔法使いの小屋を思わせるような木造りの素朴な、でも温かい空気があった。机と椅子と本棚とベッド、そして小さなクローゼット。今はほんのりお茶の香りがする。それだけの部屋だけど私には十分。アストリアの家には帰りたくない。でもシル様のお屋敷へ滞在するのも良くない。そう考えた私は寮生活を選んだ。王立学園は優秀な平民の生徒も受け入れていて、寮も用意されている。私は勉強に集中したいという理由で入寮を申請した。
「まさか寮費まで免除してもらえるとは思わなかった。助かっちゃった」
今日から勉強する魔法学の教科書を見て思わず笑顔になる。独学で勉強をしていたけれど、やっぱり学園で先生に教わるのは違うはず。うまくいけば色々な魔法を学ぶだけじゃなくて、聖なる乙女として治療院なんかで働くこともできるかもしれない。そうなれば、自立への道がもっと楽になる。私は今日からの授業が楽しみで仕方なかった。
開いていた窓を閉じようとして、寮の裏庭が目に入る。寮の裏側はあまり手入れのされてない林が広がっていて、その目立たないところに私の転移門を移設しておいた。シル様のお屋敷から。少しだけ憂鬱な気分になってしまう。
実はここへ来る前にはちょっと大変なことがあった。
復学に際して、お父様に書類にサインをいただかなくてはいけなかったから、私は一度だけアストリア侯爵家へ戻った。予想に反して両親はにこやかに私を出迎えた。弟のティモシーはいなかった。
「エリノーラ、帰ったか。無事で何よりだ」
「シルヴァン殿下が貴女の冤罪を晴らしてくださったのよ。本当に良かったわね」
「ああ、殿下!改めて御礼を申し上げます」
なんだこれ?お父様もお母様も見事な手のひら返しで呆れちゃう。だって全然私の方を見てないもの。私に向かって話してるように見えて、視線はシル様の方を向いてる。わかりやすい……。
「それで、殿下、我が娘、エリノーラとのことなのですが……」
お父様が言わんとしてることはすぐにわかった。お父様は王家とのつながりができれば、エルドレット殿下でもシルヴァン殿下でもどっちでもいいのね。でも残念ながらお父様の思い通りにはならないわ。私は結婚なんてするつもりないんだから。ここへ来る前にもうすでに私はシル様に婚約の話を断っていた。
「お父様!わたしは……」
「待って、リノー」
シル様は私の肩を抱き寄せて耳元で囁いた。顔が近い!くすぐったい!羞恥で顔が赤くなったのが自分でもわかった。
「シ、シル様っ?」
「おおっ!」
「まあっ!」
喜びの声を上げるお父様とお母様。
「アストリア侯爵、そのお話はまた次の機会に。エリノーラ嬢は今回の事で深く深く傷ついていらっしゃいます。僕が保護している間もそれは憔悴なさっておいででしたから」
優し気な顔を曇らせて、簡単に嘘をついたわこの人……。私はシル様に保護されてない。森で元気に暮らしてたんだもの。シル様って優しいだけの人じゃないのかもしれない。そんな疑念が沸いた瞬間だった。
「何しろ、無実の罪を着せられて誰にも信じてもらえずに懲罰のように北の塔に閉じ込められていたのですからね」
「……っ」
「……」
お父様もお母様も黙っちゃった。ふーん、わたしのことはそういう事になったのね。そうよね、冤罪で処刑まがいのことをしたんだもの、知られれば外聞が悪いわよね。実際わたしは死ぬところだったんだけどね。
「とにかく、今はエリノーラ嬢が静かに学園生活を再開されることが一番大切なことだと思いますよ」
シル様はその言葉と微笑みで私の両親を黙らせてしまった。
「え?寮に入るの?」
シル様は意外そうな顔を見せた。復学の手続きの書類にサインしながら、私はシル様のお屋敷から出ることを告げた。学園の事務室で書類を受け取った時に学生寮について聞いておいたんだ。
「はい。こちらにずっとお世話になるわけにもいきませんので」
「……どうしても、僕との婚約は受け入れてくれないの?」
「シル様にはたくさん助けて頂きました。もう十分です。アストリア家へもご同行頂きましたし」
「…………」
あ、シル様が悲しそうな顔をしてる。でも騙されないんだから。シル様にはきっと何か思惑があるに違いないわ。
「シル様、どうしてわたしとの婚約にこだわられるのでしょう」
「どうして……って」
「何かご事情がおありなのでは?」
「…………そうなんだ」
意を決したようにシル様は話し始めた。
「実はね……」
シル様の話は実によくあるやつだった。わたしに「隠れ蓑」になって欲しいってこと。良く知りもしない、好きでもない令嬢と婚約、結婚するのが嫌だったらしい。それなら、幼馴染のわたしの方がマシなんだって。ちょっと失礼だとは思ったけど、気持ちはわかる。わたしだってエルドレット殿下のことはそんなに好きじゃなかった。でも貴族の娘として生まれたからには仕方がないって諦めてたから。
「シル様のお気持ちはわかりました」
「わかってくれたの?じゃあ……」
シル様の顔がパァッと輝いた。待って待って、違うから。婚約はしないから。
「婚約の匂わせだったら大丈夫ですよ」
「におわせ……?」
「はい。今にも婚約が発表されそうだって感じに見られていればいいと思うんです」
今、復学する私は二年生の夏。王立学園高等部は三年制だから、あと一年半くらいならそれで誤魔化せると思うんだ。
「なるほど、じゃあ恋人同士のように振舞うってことでいいんだね」
「……そう、でしょうか……?」
あれ?それでいいんだっけ?他のご令嬢よりも親密にするってことだから、いいのか。でも、わたしが婚約をしてなければお父様が黙ってない。絶対別の縁談を持ってくるわよね。だったらシル様にもわたしの「隠れ蓑」になってもらえばいいのか……な?
「わかった!今はそれでいいよ」
シル様は満面の笑みで頷いた。なんだ、やっぱりわたしと婚約がしたい訳じゃなかったんだ。
あれ?私なんでちょっとがっかりしてるんだろう……。シル様に助けてもらったことは嬉しかったからかな。唯一わたしを信じてくれた人だものね。でも。勘違いしちゃダメだ。シル様はみんなに優しい人なんだから。
そんなこんなで私は王立学園に復学を果たし、女子寮に入ることができた。
「さあ、行こう!」
私は窓を閉めて、もう一度鏡の前で身だしなみを整えて教科書を持った。机の上の紙袋からお茶の香りのするクッキーを取り出して一つ口に入れた。今度お菓子屋さんで売ってもらう焼き菓子の試作品をヴァイスと一緒に作ったんだ。
「うん。美味しい!爽やかな香りと糖分が頭を冴えさせてくれる感じ」
私は気合を入れて教室へ向かうべく、初夏の日差しの下を走った。
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