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深淵のルシオール  作者: 三木 カイタ
蘇る狂気
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第5話 罪 1

 私には名前はなかった。

 

 地面の泥をなめていたのが最も古い記憶だった。

 それまでどうやって生きてきたのかは分からないが、少なくとも親の顔も存在すら覚えていなかった。

 目に見えるのは茶色い地面ばかりで、そこで、少しでも口に出来そうな物を探す事ばかり考えていた。


 私を取り囲む世界には、自分を害そうとする巨大な動くモノたちばかりがいた。

 たまに口に出来そうな物を投げ与えてくれるが、たいていは素通りしていく。

 そして、何かを与えてくれるモノよりも頻繁に、巨大なモノたちは私に痛みをもたらした。

 

 最初の記憶も、地面の泥をなめていた時に、巨大な何かが、大きな音を出して自分に痛みを与えて吹き飛ばされた事だった。

 その時に見た「空」が、いつも見ている地面と違い、茶色ではない事を覚えている。その驚きがあまりにも鮮明であり、私にとって初めて残る記憶となったのだろう。

 しかし、再び「空」を仰ぎ見た記憶は、それ以降しばらくの後の事であった。



 ある時、地面を見て、細い物が落ちているのに気が付き、急いで拾って口に入れようとした。

 いつもは素通りするか、痛みを与える巨大なモノが、私の手を掴んだ。

 「痛みが来る」と、身構えていたが、痛みは来なかった。代わりに暖かいぬくもりと、不快ではない音が耳に入って来た。

「大丈夫。私たちの家に来なさい」

 そうして、自分は高く持ち上げられた。その時に見た空が、とても「青」かった。



 その頃の私は、「人間」という物の認識もなく、自分という認識もなかった。

 男も女もなく言葉も何一つ知らなかった。

 手を握ったのは人間の女で、神殿の神官をしていた。

 その神殿には、親のいない子どもたちが保護され育てられていた。


 自分が人間であるのを知ったのは、彼女に拾われてからかなり経ってからの事だった。

 まず、自分が生きて来れていたのは奇跡に等しいと言う事。何せ拾われた時、やせ細っていて、通常の発達とはかなり遅れていた。推定でだが、二歳半前後の乳児だったそうだ。

 言葉も、世界の認識もないまま泥をすすって、自分を不快がる人間に暴力をふるわれてきた。また、怪我や腹痛や熱などで動けなくなる事も、記憶にはないがきっと多かっただろう。

 誰も助けてくれる大人がいないので、どうやって助かってきたのか、今となっては自分でも不思議としか言いようがなかった。


 次に自分の性別。男だ。それを知っても、特に何も感じるところはなかった。知った時もまだ幼く、性差が特に意味をなさなかったのだ。

 

 そして、名前。これは特別な意味を持つ物だと知っていたから、初めて名前をもらった時の事はよく覚えている。

 自分がここに「ある」証こそが名前なのだと感じた。



 私は、我が事ながら、とても物覚えが良かった。言葉も文字も、すぐに覚えた。

 名前と共にもらった誕生日からすると、四歳の頃には、エレス公用語と、地元のナーレ語をすっかり覚えて読み書き出来るようになっていた。

 生活面でも掃除、洗濯、料理も出来、畑仕事の手伝いも当然こなしていた。

 力仕事では大人にかなわないので、邪魔にならないようにしならがらも、その技術を手にしようと観察していた。

 生存本能がそうさせたのだろう。知識と技術、そして大人に好感触を与える事が、自分にとって有利になるとわかっていた。


 神殿の仕事も手伝い、同年代の子どもたちの中ではリーダー的な存在となっていたし、年長者にも頼られる事が多くなる。

 早く・・・・・・出来るだけ早く自分は大人になりたかった。

 だから、生きていくために必要な事はもちろんだが、自分の人生の支配者となるべく、ありとあらゆる事を吸収して力をつけたかった。


 私は、神殿に感謝している。しかし、私はきっと歪んでいるのだろう。

 拾ってくれた女にも、育ててくれた者たちにも、周りにいる「仲間たち」にも、愛情という物を感じる事が出来ないでいる。人間と物との境界が、知識ではわかっていても、心では区別が付かない。

 十歳になった頃に、自分のその歪みに気づいた。

 しかし、それに対する失望感も焦燥感も劣等感もなかった。私の歪みは、世界の歪みそのものであるとしか受け止められなかった。


 愛など必要ない。あるのは生きていく為に、いや、自分がのし上がっていく為に利用出来るか出来ないかなのだ。

 そう、「のし上がる」。

 これが私の生きていく目標なのだ。

 野心。だが、「大それた野心」などではない。私にはそれが可能なだけの才能がある。私は私の人生の支配者となるのだ。


 その為に、私は自分を演じている。上手に周囲を利用する為に、愛情などは持っていないが、愛情があるが如く全ての人に接している。

 時には喜び、怒り、悲しみ、同情し、慰め、褒め、照れ、声を出して笑い、激しく涙する事も、私は状況に合わせて見事に演じきってきた。

 それにより、私は周囲の信頼を得る事に成功し、私のために力を尽くしてくれる者を、多く手に入れる事が出来た。

 

 仕事も重要なものを任されるようになってきた。

 神殿という事で神への祈りや奉仕、伝道、説法も行うが、もちろん神など信用していない。神が私を助けたのではない。たまたま私が生き延びて、たまたま拾われただけだ。

 それも神ではなく、人間にだ。

 神などあては出来ない事を、身を以て知っている。

 それでも、神官たちを満足させるだけの仕事をこなしてきた。


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