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深淵のルシオール  作者: 三木 カイタ
第一巻 黄金の髪の魔王
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第1話 平穏 2

 それから、家族全員暗く沈んだ日々を過ごした。

 一番深く傷つき、苦しんだのが蛍太郎だった。

 二週間ほどは学校も休み、部屋に引き籠っていた。それ以降は学校へは行くようになったが、部活もやめ、友達とつるんだりする事もなくなった。笑顔も見られなくなっていた。

 学校へ行き、帰る。ただそれだけの繰り返しの日々だった。


 しばらくすると、それにも変化が出てきた。学校が終わると、そのまま街を目的もなくうろうろ彷徨さまよって、夜遅く眠る頃になって帰って来る生活になった。

 蛍太郎にとって、家にいる時間が苦痛だった。

 両親とも、蛍太郎を責めるような事は一言も言わなかった。自分たち以上に苦しんでいる蛍太郎を心配して、なにくれとなく気を掛けてくれている。

 だが、責められても、責められていなくても、家にいる事自体が耐えられなかった。寝るためだけにでも帰るのは、せめてもの両親への気遣いのようなものだった。


 やがて、両親は転居を決心した。

 ほたるとの思い出の残った家。惨劇が起こった家の前の道。これらから離れて、新しい環境で、家族みんなが新しい人生を送ろう。それをほたるも望んでいるだろうという事だった。

 蛍太郎は、反対も賛成もしなかった。ただ、無気力に「そう」と答えただけだった。


 父の仕事の都合で、転居は今年の六月になったが、思い切って遠い土地に移り住んだのだ。


    ◇     ◇


 あれから一年半が過ぎていたが、蛍太郎の気は、全く晴れていなかった。

 遠く離れた町の新しい家は、父が言うように、ほたるとの思い出の残った前の家よりはいくらか気が楽になった。しかし、それでもあまり家にいたくはなかった。


 だから、時間をつぶせる所を探し、この喫茶店「ルシオール」を見つけたのだ。

 洒落ていて、静かなクラシックが流れていてぼんやり過ごすのに邪魔にならない。ラジオやポップスだと、つい耳がそちらに向いてしまうので、読書や、ぼんやりと夢想するのには不向きだった。

 沈み込むような、フカフカのシングルソファーは、長時間でも座っていられる。そのうえ値段が安く、バイトもしていない高校生の経済事情にもマッチしていた。

 店主は五十代後半あたりだろうか、だいぶ髪に灰色のものが混じり始めていたが、いつも背筋を伸ばして、白いシャツに身を包んでいた。整えられた口髭に、蝶ネクタイが様になっていた。

 必要以上の事を話しかけてきたりせず、いつも黙々と自分の仕事をこなしていた。

 とは言え、あまり流行っている喫茶店ではないので、夏休みの日中でも、あまり客はいなかった。


 そんな店主が、一度話しかけて来た時、この店の名前の由来を教えてくれた。

 店主は、以前東京にいて、写真家をしていたそうだ。その時に撮影した自分の写真が店内にさりげなく数点飾ってあった。

 赤い頭に黒い体。そしてお尻に儚くも美しい光を放つ小さな虫、「蛍」の写真であった。

 その蛍の写真は、みな東京で撮ったのだという。店主が子どもの時に、普通に見られていた蛍が、大人になった頃にはすっかり姿を消していた。

 それが、この頃環境を整備して、再び蛍が見られるようにと、そういった運動が盛んになり、東京都内でもあちこちで蛍が見られるようになったのだ。

 その蛍の復活に感動して、昔から夢だった喫茶店を営もうと、この地に移り住み、店を構えたのだという。

 そのため、この店は、蛍の学名「ルシオール」にしたのだという。

 つまり、妹の名前がついた店だったのだ。

 

 蛍太郎は妹から逃げたかったのではなかった。自分自身から逃げたかったのだ。

 だから、妹の名前が付いているこの店に入り浸っていたと知った時には、驚きと共に、少し救われたような気がした。

 自分はまだ、妹と僅かでも繋がりが感じられるもの(例え名前だけでも)に接触する事だけで、妹自身とのつながりも持てているような気になれたからだ。

 そのため、蛍太郎はよくこの店に通うようになっていた。

夏休みに入ると、週三回以上はここで過ごすようになった。

 宿題も早々にここで終わらせてしまっていた。だから、夏休みも後半の現在は、適当な小説を図書館で借りてきて読むようになっている。



 1999年7月に、地球が滅亡するなどと言う預言に戦々恐々していた頃から、すでに4年が過ぎていたが、世の中は平和そのものだった。

 いや、世界的に見れば、衝撃的な事件もあったし、戦争は相も変わらず続いている。

だが、蛍太郎の住む日本としては、2003年の夏は、穏やかな日常が続いている。



 夕日が、西の山に隠れ、空一面が鮮やかな赤紫に染まった。蛍太郎は小説を鞄にしまい立ち上がり、支払いを済ませて店から出た。

 店から左手には国道が通っており、その向こうには壁が続いている。国道と言っても、それほど車通りがあるわけではなく、信号もパラパラとしか設置されていない。

 灰色の壁の向こうに大きな建物の連なりが見える。そこは漁港になっており、海からの潮の香りは店から出るとすぐに鼻を刺激した。

 灰色の壁は、しばらく行くと途切れ、そこから先は防波堤が続き、湾内の海と、その先に広がる太平洋を眺める事ができた。

家に帰るには少し遠回りだが、国道沿いに歩いて、海でも眺めながら帰ろうと歩きだした時だった。


「おお!山里じゃん。おおい、こっちこっち」

 見ると、クラスメイトのと藤原が自転車を止めて手を振っていた。

 蛍太郎が手をあげると、自転車をこちらに向けて、満面の笑みでやって来た。

「よお、元気か?」

 多田が盛大に肩を叩いた。蛍太郎は「まあね」と短く答えて笑顔を見せる。

 多田は、沈みがちで、なかなかクラスメイトと打ち解けられないでいる蛍太郎に対して、いつも話し掛けて来てくれていた。

 最初は東京の人間が珍しいという、周りの連中と同じ理由だったのかもしれないが、いつも片言しか返さない蛍太郎に辛抱強く、強引に関わって来た。

 そんな多田に戸惑いつつも、少しずつ気持がほぐれていくような気がして、思えば救われていたような気がしていた。

 試験休み中の補習でも一緒になっていたが、蛍太郎と違い、多田はその補修に最後までお世話になったそうだ。


 多田は、蛍太郎と話すときには、いつも「じゃん」と語尾に付けて話していた。

 どうやら、東京では、語尾に「じゃん」を付けて話すものだと思い込んでいるようだった。いつも蛍太郎に話しかけては、やたらと「じゃん」を繰り返すので、少々耳についたものだった。

 そこで、ある時「東京の人は、あんまり『じゃん』って使わないんだよ」と指摘した。すると多田は、正に鳩が豆鉄砲食らったような顔で目をパチパチさせて絶句してしまった。その様子に、蛍太郎は思わず声を立てて笑った。

 あの、妹を亡くした事故以来、一年半ぶりに蛍太郎は笑った。


 それから、蛍太郎は徐々にクラスの中で打ち解けていけるようになったのだ。

 

 そしてなじみ切る事が出来ないでいるうちに夏休みに入ってしまったのだ。



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