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深淵のルシオール  作者: 三木 カイタ
蘇る狂気
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第7話 虚構 2

 ルシオールはもどかしい思いをしている。たくさん食べたいし、長く味わって楽しみたいのに、口に入る量も少なく、食べられる量も少ない。

 この大きな皿に並べられているお菓子を全部食べられたら、どんなに良いかとつくづく思う。

 僅かに三つの焼き菓子を食べ、促されて拳大のパンを一つ食べると、もう食べられなくなってしまう。

 シュンとして「ごちそうさま」とつぶやく。

 メイドは、そんなルシオールの思いには気付かずに「もう少し召し上がればよろしいですのにねぇ」と笑う。メイドには悪意はないのだが、ルシオールは何かがちくりと胸に刺さる。

 このやりとりはもう一月ひとつきばかり続いている。

 胸に何かが刺さったとしても、どうせすぐに忘れてしまうのだから、あまり気にしないようにする。


 しかし、毎日確認しても、これだけは忘れてはいけない事がある。

「ケータローは?」

 この質問だけは、習慣の様に毎日何度も尋ねる。

 メイドはクスクス笑う。

「もうすぐ見える頃だと思いますよ」

 ルシオールは促されて、広い個室の一角にある大きな緑のビロードのソファーに腰を下ろす。ソファーの前に置かれたテーブルにも果物が置かれているが、今はおなかが膨らんでいて食べられそうもない。メイドはティーセットだけ運ぶと、再び紅茶を入れ始める。


 そこへノックの音がして、返事を待たずしてドアが開けられた。

「おはよう。ルシオール。ご機嫌はいかがかな?」

 若い男が、明るい調子でしゃべりながら入ってきた。肩まで伸びた赤茶色の髪を指先でいじる。

 長いまつげに切れ長の目。血色の良い肌からは活力が感じられる。

 背はやや高いぐらいだが、均整の取れた体格である。

 かなりの美男子であるが、ルシオールは見た目では何とも感じない。

 この一月ひとつきの間、毎日会って長い時間共に過ごしているのだが、誰だったかも、よく思い出せない。そのうち思い出すのかも知れないが、自ら覚えようとする気持ちはない。

 しかし、この男を見ると、胸がザワザワした。何か不快な事を耳に入れるだろうと、何となく分かっている。


「おやおや、姫はまだ寝ぼけているのかな?朝食は食べたかい?」

 男はちらりとメイドに視線を送る。

「それが、いつも通り、パンを一つと、お菓子をちょっとだけです。」

 メイドは頬を赤らめながらモゴモゴと報告する。

「う~ん。ルシオール。君が食べたいものを用意させているんだけど、口には合わなかったのかい?」

 男は心配げに顔を近づけて、ルシオールの青い瞳をのぞき込む。

 この男は、よくルシオールの瞳をじっと見つめようとするのだが、自分からのぞき込んでおいて、慌てて視線をそらせる事が度々あったのを思い出してきた。

 思い出してきたので、ついでに質問してみる。

「ケータローは?」

 問うておいて、その刹那ルシオールは後悔した。その質問に対する不快な回答を思い出したのだ。

「ハッハッハッ!姫はやっぱり寝ぼけているね。僕がケータローだよ。ヤマザト・ケータロー。グラーダからずっと一緒だったじゃないか」

「違う」

 小さくつぶやく。鼻の上に小さなしわを寄せている。

 蛍太郎が見れば、相当に不快な思いをしている時の表情とわかるが、この男はそうとは気付かない。


「違う事ないよ。まあ、焦らなくても、そのうちちゃんと覚えるさ」

 男はにっこりと微笑むと、対面のソファーに腰を下ろす。メイドがお茶を入れると、カップを受け取り、気さくな感じでメイドにも座るように促す。

 メイドがルシオールの隣に腰を下ろすと、親しげに声を掛ける。

「リザリエ。この姫は何を拗ねておいでかな?」

「ケータロー様が来てくださったので照れておいでなんですわ、きっと」

 メイドと男が声を立てて笑う。実に親しげで、暖かみのあるやりとりだが、ルシオールには強い違和感があった。この二人が、「ケータロー」「リザリエ」とさえ名乗らなければ、このやりとりの中で満足出来るのだろうか・・・・・・。


「違う」

 小さくつぶやく声は、日を追う毎に小さく、弱々しくなっていく。

 次第に、何が違うのかもぼんやりとした靄の中に紛れ込んでいってしまいそうで、それがたまらなく嫌だった。

 最初ははっきりと違っていたはずの「ケータロー」が、だんだんどこが違うのか思い出せなくなりつつある。

 確か、大切な事のはずだったのに、それが薄れているのが悲しい。

 「違う」とつぶやく事が、唯一の抵抗手段だった。

「リザリエ」に関しては、さらにぼんやりとしか思い出せない。


「さて、今日は何して遊ぼうか、姫?」

 男の問いかけに気が逸れた瞬間に、そんな焦燥感が靄の中に紛れて行ってしまった。

 男の無邪気そうな笑顔がルシオールの思考を途切れさせる。

「よし!今日はボートに乗りに行こう!」

 男の提案に、メイドが手を叩く。

「それは良いですね、ケータロー様。お弁当を用意いたしますわ」

「いいね。・・・・・・そうだ、僕が大物を釣り上げて見せよう!今夜はおいしい焼き魚を料理してもらおうかな、リザリエ」

「腕が鳴りますわ」

 二人の楽しそうな雰囲気が、ルシオールに移って、ルシオールもワクワクしてくる。

 ボートは怖いが、釣りをしているのを見るのが楽しかった事を思い出す。

 確か、前回は小さい魚が一匹しか釣れず、この男がガックリと肩を落とす姿を見て、それが楽しかったのだ。

 でも、そのルシオールを見て、この男はため息をついて「姫はがっかりしておられる」と言った。蛍太郎だったら「笑うなよ、ルシィ」と言って照れて頬をポリポリと掻くような気がする。

 ルシオールはそうしてくれた方が嬉しい。

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