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ピンクブロンドヒロインがまともだった

そのヒロイン、接近不可!

作者: 藍田ひびき

「ベリンダ・ファレル!お前との婚約を破棄する!」


 王立学院の創立記念パーティに、場違いな大声が響き渡った。参列していた生徒たちはなんだなんだと声の主に注目する。

 そこにいたのは、チェスター・ウィッカム侯爵令息だ。隣にピンクブロンドの髪を持つ小柄な女生徒を伴い、目の前にいるもう一人の女生徒を睨みつけている。


「お前、俺の大切なジャスミンを虐めていたそうだな。おおかた、美しい彼女に嫉妬したのだろう。見た目のみならず中身も醜いとは。そのような女を妻にすることなど出来ない!」


 ああ、なるほど。これが断罪劇とやらか。

 観衆たちは納得した。

 最近、隣国ではパーティや夜会で婚約破棄を言い渡す行為が流行っているらしい。真実の愛とか何とかほざいてるんだっけ?まさかうちの国でもやらかす奴がいるとは。

 あとベリンダ嬢は醜くないよな。むしろ美少女だよな。


「私は虐めなどしておりません」

「ふん、シラを切るつもりか?さあ、ジャスミン。ベリンダにされたことを話してくれ。彼女の悪行を、皆に知らしめるのだ!」


 巻き込まれた観衆はいい迷惑である。

 ……と言いたいところだが、そうでもなかった。生徒たちは興味津々の様子で耳を澄ませている。迷惑どころか、聞きたくて仕方ないらしい。

 

 涙ながらにベリンダ嬢にされたというあれやこれやを訴えるのか?それとも勝ち誇った顔で断罪された令嬢を貶すのか?


 観衆たちの興奮が最高潮になったところで、ピンクブロンド令嬢ジャスミンが口を開いた。



「チェスター様。貴方、バカなんですか?」


「……は?」

「私、虐められてませんって何度も言いましたよね?」

「いや、だって……。ベリンダに厭味を言われたって言ってたじゃないか。だから俺は奴の悪事をだな」


「そりゃ婚約者が他の女にべたべたしてたら、厭味のひとつも言いたくなるでしょ。私が同じ立場なら、厭味どころか鉄拳制裁しますけど。そもそも浮気したのはチェスター様の方ですよね。何でそんなに偉そうなんです?」

「う、浮気ではない!俺はお前と出会い、真実の愛に目覚めたのだ」


「浮気は浮気でしょ。だいたい婚約解消するにしても、なんでこんな公衆の面前でやる必要があるんですか?両家の親で話し合いの場を設けるべきですよね。そんなこと、平民の私でも分かるのに……ああ、バカだから分からないんですね。失礼しました」

「な……な……な……」


 羞恥に顔を赤らめてぶるぶる震え出すチェスターと、ポカンとする生徒たち。

 但しジャスミンを良く知っている一部の生徒は、あ~やっぱりね~という顔である。


「お前、平民の分際でよくもっ」

「はいはーい、そこまで!」

「えっ、王太子殿下!?」


 観衆を掻き分けて近づいてくるのは、王太子アレックスと二人の護衛騎士だ。先ほどの声はアレックスのものだったらしい。

 しかもいつの間にか、騎士によりチェスターは簀巻き状態にされている。早業過ぎて誰も気づかなかった。

 

「騒ぎを起こして済まなかったね。彼には俺から()()()注意しておく。皆はこのまま、パーティを楽しんでくれ」


 口も塞がれ、芋虫のようにジタバタと暴れるチェスター。むーむーと叫び声らしきものが聞こえるが、王太子も騎士たちも一向に気にしない。侯爵令息入り簀巻きを引きずって去っていく王太子一行を、生徒たちは呆然と眺めていた。



「ウィッカム侯爵令息とファレル伯爵令嬢は、無事に婚約を解消できたそうだよ」

「良かったわ。ベリンダ様、ずっと前から婚約を解消したがっていたから」


 ところ変わって、ここは学院の貴賓室。どこもかしこも重厚な作りの王立学院だが、この部屋はさらに凄い。ふかふかの絨毯に分厚いカーテン。ぴかぴかに磨き上げられた家具類まで設えてある。


 その真ん中に置かれたテーブルで優雅にお茶を楽しんでいるのはアレックス王太子とその婚約者、ビアトリス・クラルティ侯爵令嬢。そしてジャスミンだ。


 ちなみに側近や護衛騎士もいるが、壁の花になっているのでここではカウントしない。


「だったらあんな面倒くさい手順踏まずに、とっとと別れればいいんですよ」

「そう簡単にはいかないのよ。政略結婚なのだもの」

「お貴族様は面倒くさいですねえ……あ、このクッキー美味しい!」

「王都に新しくできたスイーツの店から取り寄せたのよ。こっちのマフィンもどうぞ」


 ジャスミンは目を輝かせて焼き菓子をもむもむと口にした。食べている間だけはその毒舌も鳴りを潜めるので、ただの美少女である。口いっぱいにお菓子をほおばっている様子は、令嬢というよりハムスターに近いかもしれない。


 その様子を、ビアトリスは母のように慈愛に満ちた微笑みで眺めている。ちょっと複雑そうな顔をしているアレックスのことは気にも留めていない。

 

「元々、ウィッカム侯爵令息は女癖が悪くて有名でね。ファレル伯爵令嬢は何度も双方の両親に訴えていたのだが、学生時代の火遊びだろうと聞き流されたらしい。だが先日の騒ぎは、生徒たちの親を通して社交界中に知れ渡ってしまったからね。流石に両家も動かざるを得なかったようだ」


「ベリンダ様もしばらくは噂に晒されるでしょうけれど。我がクラルティ侯爵家で、責任もって新しい縁談をお世話致しますわ」

「そっちは頼んだよ、ビア。ウィッカム侯爵へは王家から苦情を入れておいた。チェスターは廃嫡になるだろうね」

「アレックス殿下の思惑通りってわけですか」

「ああ。今回も君のおかげで助かったよ、ジャスミン」


 アレックスは金色に輝く瞳でジャスミンを見つめ、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。




 事の起こりは、王立学院が取り入れた新制度であった。

 

 この学院は貴族階級の令息令嬢に対して、より高い教育を施すために創立されたもの。

 だが昨今は、優秀な者であれば身分を問わず取り上げるべきという風潮になりつつある。教育機関だって、いつまでも旧態依然としていて良いわけではない。


 そこで平民の学校から成績優秀な生徒を選び、特待生として編入させる試みが実施された。その栄えある一人目として選ばれたのがジャスミン・オランドである。


 実は貴族の隠し子とかそういうことはいっさい無い。根っからの平民である。ちなみに実家は小さな雑貨店だ。


 一つだけ特筆すべきところを上げるならば――彼女は非常に人目を引く容姿の持ち主だった。


 ピンクブロンドのふわふわの髪、くりっとした大きな眼、小さくて華奢な身体。


 突然現れた美少女に令息たちは色めき立ち、何とか彼女と親しくなろうとした。そこに平民の娘なら火遊びの相手に丁度いい、という良からぬ思惑があったことは否定しない。


「はあ、デート?私、忙しいんで。帰って弟と妹の子守りをしなきゃならないんです」

「プレゼント?お断りします。貴方から頂く謂れは無いので」

「学校って勉強しにくる所ですよね?女漁りをしたいんなら、娼館にでも行かれたら如何ですか?」


 見た目からは想像もつかぬ荒っぽい物言いにぶった切られ、令息たちは撃沈した。ちなみにそれを眺めていた令嬢たちは内心、拍手喝采だった。


 とある伯爵令嬢が、ジャスミンへ嫌がらせを試みたこともある。彼女の婚約者が、ジャスミンに色目を使ったのが気に喰わなかったらしい。

 令嬢は自分の取り巻きに命じて、ぽてぽてと廊下を歩いていたジャスミンへ泥水を掛けさせた。

 

 そこで大人しく引き下がるジャスミンでないことは、賢明な読者ならばお分かりだろう。


 彼女は実行犯の令嬢をその場で捕まえ、なぜこんな事をしたのか尋問。黒幕を聞き出すと、その足で件の伯爵令嬢へバケツの水をぶっかけに行った。


「きゃあっ、冷たい!何をしますの、貴方!!」

「やられたことをやり返しただけですが?泥水でなかっただけ、感謝して欲しいですね」

「平民の分際で、私にこんなことをしてただで済むと思ってるの!?お父様に言って、貴方の家を潰してやるから!」


「お貴族様は、親の力を借りないとケンカも出来ないんですか?だいたい、嫌がらせするにしたって人にやらせるのはどうなんですか。一人じゃなぁんにもできないお子様でちゅか~?初等学院へ通った方がいいんじゃないでちゅかあ?

 ……貴方の婚約者とやらがどなたか知りませんが、悪いのはその男でしょうに。私に八つ当たりせず、その彼に文句を言えばいいじゃないですか」


 表面はあくまでニコヤカに穏やかに振る舞いつつ、チクチクと嫌みを言うのが貴族の常識。

 つまり面と向かって罵倒される機会など今までになかった伯爵令嬢は、あまりの屈辱にギャン泣きした。自分の悪行は棚に上げて。


 その後父親へ涙ながらに訴えた令嬢だったが、逆に諫められてしまった。

 なにせ今回の特待生は、王家の肝いりで入学したのだ。その相手と揉めるということは、王家の方針に反すると公言したようなもの。その特待生にはもう近寄るなと。


 ジャスミンの性格が周知されるにつれ、物珍しさで近づいてくる令息は減った。


 「喋らなければ美少女」「残念ヒロイン」などと揶揄されていることを、知らぬのは本人ばかりなり。


 やっとこれで落ち着いたかと思えば、そうでもなかった。


 「婚約者はこんなに厳しく叱責してくれたことはない」「君だけが俺を分かってくれる。君こそが真実の愛だ」などと、えらく勘違いした数人の男子生徒が相変わらず付き纏ってくるのだ。中には「あのキツい罵倒にぞくぞくする……」という特殊性癖の持ち主もいたが。


 もはやダメ男引き寄せマシーンと化したジャスミン。


 そこに目を付けたのが、アレックス王太子であった。



「君は今のまま、ダメお……令息を引きつけてくれないか。後始末はこちらでする」


 自分の身分や立場を忘れて一時の恋に溺れるような者は、いずれまた同じトラブルを起こすだろう。

 今は学生だから小さい火傷で済んでいるだろうが、成人した貴族がそんなことをすれば、その家にとって取り返しのつかない痛手になる。そのようなリスクを抱えている貴族令息は、学生のうちに排除するべきだ。


 というのがアレックスの主張だ。

 

「膿は早いうちに出しておくべきだろう?」


 つまり、ジャスミンは釣り餌である。

 

 当初、彼女は断ろうとした。これ以上面倒ごとに巻き込まれたくなかったからだ。

 

 だが「君が貴族相手にあれだけ暴れ回っても無事でいられるのは、王家の後ろ盾のおかげなんだよ?」と言われれば、黙るしかない。更に「褒美に就職先を斡旋してもいい」と言葉巧みに騙され、いや説得され、アレックスの依頼を引き受けることとなったのだ。

 

 そうして彼女に付き纏う令息たちは、王太子により一人一人、始末されていった。

 婚約破棄される者、廃嫡される者、強制的に他国へ留学させられる者……。


 

 時折、貴賓室では秘密のお茶会が開かれる。それはジャスミンを使った罠の、進捗報告の場でもあるのだ。

 

「これで、厄介な令息はほぼ駆逐されたのじゃありません?」

「そうだといいんですけど。いい加減、真実の愛アレルギーになりそうですよ」

「本当に困った物ねえ。……あら、ジャスミンったら。口にクッキーのカスが付いてますわよ」


 ビアトリスがジャスミンの口を拭いてあげる様子に、アレックスが羨ましそうな視線を向けている。


 最初にアレックスがジャスミンを連れてきた時は、すわ浮気か、愛妾候補か?と扇を振り上げかけたビアトリス。誤解が解けた後はすっかり仲良くなった。仲良し過ぎてアレックスが嫉妬するほどだ。

 

「俺だって、ビアにそんなことしてもらったことないのに……」

「そこにナプキンがありますわよ。ご自分でお拭きなさいませ」

「扱いに差が有り過ぎない??……まあいいや。ジャスミン、実はもう一件、頼みたい件がある」

「まだチェスター様のようなアホ令息が存在したんですか」

「いや。俺も良く知っている奴だから、そこまで酷くない……と思う。そもそも、今回の依頼は彼の側からでね」




 アレックスが連れてきた男子生徒はレナード・アンダーソン子爵令息と名乗った。

 背丈はアレックスと同じくらいか。茶色の長髪を後ろで束ねている。色のついた眼鏡の奥にある瞳が、ジャスミンを興味津々で見つめていた。


 貴族にアンダーソンという名前は多い。確か、その筆頭はアンダーソン公爵家のはずだ。おそらく、彼の家はその親戚筋なのだろう。


「話は聞いているかな?」

「はい。婚約者のブリトニー・アルドリッド伯爵令嬢と別れたいので、私に恋人のフリをして欲しいと」

「うん。大体そんな感じだ」


 それから休み時間になるたび、レナードがジャスミンを迎えにくるようになった。昼食は共にとり、その後は中庭で語り合う。仲睦まじい恋人同士のように。


「こないだの創立記念パーティは俺も参加していたんだ。君がウィッカム侯爵令息を遣り込めるのは、見ていて気持ちよかったな」

「できるだけ煽るようにと、王太子殿下からの指示だったんですよ。まあ、溜め込んでいたことを一気に吐き出したのもあるんですけどね」

「ははは。君も損な役回りだな。依頼した俺が言うのもなんだが」


 今まで接してきた令息達たちは、いつだって必死にジャスミンを口説いてきた。

 彼らと違って、レナードはとても紳士的に接してくる。それに俺が俺がと自分のことばかり喋る奴らと違って、彼とは会話のやり取りが楽しい。ジャスミンはレナードと過ごす時間を、心地良いと感じ始めていた。



「レナード様はなんでブリトニー様と別れたいのですか?」


 ジャスミンが見る限り、ブリトニーはごく普通の令嬢である。実は他人が知らない、とんでもない欠点があるのかもしれない。

 

「別に不満はないよ。貞淑で聡明、気立てもいい。文句のない淑女だ」

「じゃあ、何で別れたいんです?」

「んー。彼女とは幼い頃からずっと一緒にいたからね。飽きたってところかな。学院へ入って色々な女性と接してから、余計にそう感じるようになってね」


 レナードは首を傾げてしばらく考えた後、そう答えた。

 その軽薄な口調にジャスミンは苛立ちを覚える。

 

 結局、他の女を知って目移りしたということか。まともな人だと思っていたのに、とんだ勘違いだった。

 この男も、アレックスの言う『膿』の一つなんだろう。

 とっとと別れさせた方が、ブリトニー嬢の為になるというものだ。


 しばらくすると、二人の仲が人の口の端へ上るようになった。

 やんわりとジャスミンを諫める同級生もいたが、ほとんどの者は愉悦を込めた眼で眺めているだけだ。また婚約破棄騒動が見られるかもと期待しているのかもしれない。



「貴方がジャスミン様?」

「はい、そうですけど」

「私はブリトニー・アルドリッド。レナード様の婚約者よ」


 ついに、ブリトニーの方からジャスミンへ接触してきた。

 傍らには彼女の同級生らしき生徒数人がいて、ブリトニーを心配そうに見守っている。

 

「貴方、レナード様とどういうご関係なのかしら?」

「ただの友人です」

「その割には、ずいぶん親しくなさっているようですけど」

「そう見えるのなら、そうなんでしょう。私なんかに聞かず、()()()()に聞いてみたら如何ですか?」


 婚約者を呼び捨てにされたのが不快だったのだろう。ブリトニーは眉を顰めたが、何も言わず踵を返した。

 

 不躾な事を言ってごめんなさい、ブリトニー様。でも、これは貴方の為なんです。


 去っていくブリトニーを見つめながら、ジャスミンは心の中で謝罪する。

 

 同伴者たちが、彼女へ気遣わしげに話し掛けていた。その中には一人だけ、男子生徒もいる。彼がブリトニーへ向ける眼差しが、ジャスミンはひどく気になった。



  ◇ ◇



「面白い娘だなあ」


 最初に彼女を見たときからそう思っていた。

 あの創立記念パーティの婚約破棄騒動。乱暴な喋り方だったけれど、彼女の言い分はどれも正しくて。


 恋人のフリをするようになって、ますますそう思うようになった。

 童顔でくるくると表情がよく変わる様は、とても魅力的だ。頭の回転が早いのか、話し掛ければぽんぽんと答えが返ってくる。そのギャップが堪らない。


 これは、男共が寄ってくるのも無理はない。


「赤点?君が?それはまた……調子でも悪かったのかい?」

「行儀作法とダンスだけは、どうも慣れなくて。座学なら自信あるんですけど」

「なら、放課後に勉強会をやろうか?どちらもそれなりには教えられると思うよ」

「お気持ちは有難いですけど、そこまでして頂くわけには」

「今回の件の礼だと思ってくれ」



「えっ法律を専攻されているんですか?弁護士を目指してるとか?」

「いや、そこまでじゃないんだけど。法律に関係する仕事をしてみたいなとは思ってる」

「実は私も、法律関係にちょっと興味があるんです」

「へえ。女性には珍しいんじゃないか?まあでも、君らしいと言えば君らしいか」


 今ではジャスミンへ会いに行くのが楽しみで仕方ない。


 恋人同士のフリをするには、もっと共通の話題を作らなきゃとジャスミンを説き伏せて、デートへ連れ出したこともあった。制服じゃない彼女はとても新鮮だったし、ケーキをほおばるときの幸せそうな顔を見るとこっちまで嬉しくなる。



「最近、ジャスミン嬢と仲がよろしいようですわね」


 月に一度の、婚約者との交流。

 向かいに座るブリトニーの表情は固い。


「ああ。ジャスミンはとても魅力的だ。彼女と話すのは楽しくて、つい時間を忘れてしまう」

「ご自分の立場をよく分かっておられるレナード様ですもの。過ちなど犯さないと信じております。ですが、もう少し行動を控えて下さいませんか」


 やるなら人目に付かないところでやれと言っているのだ。

 感情的にならず、また無闇に別れろとも言わないブリトニーに、レナードは内心感嘆する。貴族令嬢として、実に正しい対応だ。


「俺に指図する気か?婿入りするからって、俺を低く見ているんだろう!」

「そんなことは……」


 わざと怒気を含んだ声を出して、目の前の婚約者を睨み付ける。今までこんな態度をブリトニーに対して取った事は無い。

 彼女は驚いた後、小さな声で「申し訳ございません」と答えた。

 ぎゅっと握ったブリトニーの手が震えているのを、レナードは黙って見つめていた。



  ◇ ◇



「先日、ブリトニー様が私へ聞きに来られました。レナード様とはどういうご関係なのかって」

「俺も、先週会った時に釘を刺されたよ。だいぶ噂が広がっているようだね」


 いつものように、中庭でレナードと語らっているジャスミン。

 傍から見れば、とても仲睦まじい様子だろう。実際、彼と過ごす時間は楽しい。だけどこの関係もそろそろ終わるだろうという予感が、ジャスミンにはある。多分、レナードの方にも。



「レナード様」


 固く震えた声に、顔を上げる。ブリトニーだ。その顔には、意を決したような表情が浮かんでいる。

 

「ジャスミン様とのことが、両親の耳にも届いたようです。どうか、自制ある振舞いをして下さいませ」

「指図するなと言ったはずだが」


 冷たく答えるレナード。だがブリトニーも今回ばかりは引き下がらなかった。


「このままでは、私どもの婚約が続けられなくなってしまいます。それでも良いのですか?」

「構わないよ。俺はジャスミンに会い、真実の愛を見つけたのだ」

「……本気で仰っていますの?」

「ああ。元々、親が決めただけの婚約だ。愛は無かっただろう?君の方も」


 一瞬、ブリトニーの顔に怒りが広がる。だが彼女は大きく息を吐くと、見事に感情を抑え込んだ。


「金獅子の血を引くお方が、まさかそのように愚かな言葉をお吐きになるとは思いませんでしたわ。ええ。婚約解消、承知致しました。両親には私から説明しておきます」

「分かって貰えて助かる」

「それではごきげんよう、レナード様。もう二度と、お話しすることもないでしょう」


 見事なカーテシーをして、振り返りもせずに立ち去るブリトニー。その隣にはあの男子生徒が寄り添っている。


 ジャスミンは気づいた。

 眼鏡の隙間からのぞくレナードの眼。それが、ひどく寂しそうな色を浮かべていることに。


「……レナード様」

「これで今回の依頼は完了だ。君のおかげで助かった。ありがとう」

「レナード様。飽きたというのは嘘でしょう?彼女のために、身を引いたのではないですか?」


 ◇ ◇


 彼女のことを、大切に思っていた。


 自分を無邪気に慕ってくる娘は、妹のように愛らしい。

 それは恋愛感情ではなかったとしても。いずれ彼女と家族になることに、何の不満もなかった。

 

 だけど気付いてしまったのだ。


 彼女の瞳に、自分以外の男が映っていることを。

 彼女がその男を見つめる視線に、今まで目にしたことが無いほどの熱量が宿っていることを。

 そして男が彼女へ向ける視線もまた、同じくらいの熱量を持っていることも。


 浮気をしているわけではない。

 彼女がそのように愚かな女性ではないことくらい、知っている。

 きっと学生時代の恋は胸に秘め、いずれは自分と結婚するつもりなのだろう。


 彼のことは調べた。問題のある男であれば、このまま諦めさせればいいだけだと思っていた。

 だが彼は優秀な人物だった。今まで浮いた噂ひとつなく、身持ちも固そうだ。しかも子爵家の次男で、伯爵家の婿とするには申し分ない。

 

 ◇ ◇


「こうでもしなけりゃ、ブリトニーは婚約解消に踏み切れなかっただろう。彼女はいずれ女伯爵となる身だ。真に彼女を愛し、支えてくれる夫が必要だ」

「だから自分が悪者になろうと?貴方、バカなんですか?」

「……酷い言われようだな」

「バカじゃなけりゃ、自己犠牲に酔ったヘタレです。伝えるべきことも伝えずに、そうやって自己完結して。その寂しそうな顔は何です?偉そうに言ってる割に、独占欲を全然抑えられてないじゃないですか」


 なんだかひどく腹が立つ。

 ジャスミンはその理由が分からずに、ただただ言いたいことをレナードへぶつけた。


「独占欲か。確かにそうだね。幼い頃からずっと共に過ごしてきたんだ。それが奪われるのだから……寂しい気持ちはある」

「いま追いかければ、間に合うんじゃないですか?」

「いや。本当に、恋愛感情があったわけじゃないんだ。あの男のように熱を持って彼女へ接することは、俺にはできない。彼こそがブリトニーに相応しい」


「ああ、もう、じれったい!行きますよ、レナード様!」

「え?ちょ、ちょっと待ってくれ、ジャスミン……」


 レナードの手を引いて、ジャスミンは駆け出した。




 その後、ブリトニーとレナードの婚約は円満に解消となった。

 二人は本音を話し合ったうえで、互いに異なる道を歩むことを選択したのだ。双方の両親は渋ったが、王太子からの働きかけもあり了承せざるを得なかったらしい。


「やれやれ。これですっきりしたよ」

「また強がり言ってますね」


 いつもの、貴賓室のお茶会。今日はなぜかレナードも同席している。

 

 ジャスミンはこっそりと彼の横顔を見た。そこに寂しそうな様子がなくて、少しだけほっとする。


「レナードはこの先どうするつもりですの?婿入り先が無くなったのだから、新しい婚約相手を探さなければならないのではなくて?」

「うーん、別に婿入りじゃなくてもいいかな。爵位が欲しいわけでも無いし。まあそうなると、改めて就職先を考えなきゃならないけど」

「しかし爵位が無いと、貴族令嬢から結婚相手を探すのは厳しくなるんじゃないか?」

「それは構わない。結婚したい女性は、もう見つけたからね」


 もう新しい相手がいるのか。

 その変わり身の早さに、ジャスミンは呆れる。心配して損した。

 

 こっそりと溜め息をつくジャスミンの手を、大きな手が包み込んだ。

 え、と思って顔を上げると。レナードが彼女の手を握り、真正面から見つめていた。

 

「ジャスミン。俺と結婚してくれないか」

「え、え……?」

 

 触れた手の平から伝わってくる熱さに、なぜか自分の頬まで熱くなる。


「レナード!貴方なんかにジャスミンは渡しませんわ!」

「うん、俺も困るな。ジャスミン嬢にはもう少し手伝って欲しいからね」

「ええ……。ビアトリスはともかく、アレックスに反対されるとは思わなかったよ。ノリノリで彼女を紹介してきたのはお前の方じゃないか」


 王太子をお前呼ばわり?しかも名前を呼び捨てにしている。

 ジャスミンは首を傾げた。


「あの、アレックス殿下とレナード様はずいぶん親しそうに見えますけど」

「あー。言ってなかったっけ。幼馴染みなんだ」

「レナードはね、本当はアンダーソン公爵家の令息なのよ」


 ジャスミンは驚愕した。

 現アンダーソン公爵といえば、王弟ではなかったか?


 レナードが眼鏡を外した。

 初めて見る、彼の瞳。それは、アレックスと同じ金の色をしていた。


 そういえば、ブリトニーが『金獅子の血』がどうとか言っていたような……。


 金獅子。

 ジャスミンは知らなかったが、それは貴族が王家とそれに連なる一族を指すときに使う言葉なのだ。


「つつつつまり、レナード様はアレックス殿下の従兄弟で、国王陛下の甥……?」

「そうだよ。いろいろ面倒だから、学院では寄子のアンダーソン子爵家の令息ってことにしてあるんだ」

「冗談じゃないですよ。私、お貴族様に嫁ぐ気なんてないですから!」

「俺は三男だから爵位なんてない。平民みたいなものだ。だから安心してくれ」

「全く安心できませんよ!これ以上の面倒事はごめんですってば」


 ジャスミンは手を振り払おうとしたが、レナードは離そうとしない。それどころか、身体を近づけてきて「ジャスミン。逃げないで?」と囁く。その艶のある声に背中がぞくりとした。


「レナードはこうと決めたらしつこいからなあ。ジャスミン、がんばって逃げろよ」

「逃がさないけどね」

「ぜっ、た、い、嫌ーー!!」


 レナードとはこの先長い付き合いになることを、今のジャスミンは知る由もなかった。




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面白いんだが、正論ぶった切り楽しむ作品で味方陣営が王太子権限超える越権する ダブルスタンダードに見えるのはモヤる。 > 王家の後ろ盾のおかげなんだよ?」と言われれば、黙るしかない。 そこは間違いじゃ…
[一言] 壁の花は着飾った淑女が壁際で暇をしている様で、男性の場合は"壁のシミ"という表現もありますね。 王族の護衛騎士や側近なら華やいだ見目でもありそう。 などと妄想にふけってしまうくらいに情景描…
[気になる点] 王様が優秀だから引き立てた人物を、王子が磨り潰してませんかね? (事実で正論だとしてもダメ貴族の親族からの反感は買ってそう)
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