鵺に追われた話
夏のホラー2024参加作品
小雨が降ってきた。
木々が遮ってくれているので、まだ大きな支障はないが、直に地面はぬかるみ、滑りやすくなるだろう。
疲労が溜まってきた自覚もある。用心の為、私は走る速度を落とした。一旦弾むような動きになり、リュックの中の食器類がカチャカチャと音を立てた。その音を減らすように意識して上下動を抑え、ランニングフォームを安定させていく。次第に足も呼吸も楽になってきた。
(このペースなら下山まであと1時間半ぐらいかな)
私は腕時計をチラリと見て確認した。予定より少し押している。本当なら暗くなる前に帰りたいが、転倒、滑落の危険を考えればスピードは上げない方が良い。
(ちょっと頂上でくつろぎすぎたな)
山頂ではお湯を沸かし、インスタントラーメンを作った。その際に極太のウインナーに串を刺して鍋の横で炙った。それをラーメンに乗せて食べるのである。そして食後のコーヒーを飲み休憩を取った。
その休憩が予定より1時間程度長引いた。
理由は3つ、一つは思いのほかウインナーが腹にたまったこと。
一つは随分汗をかいたので水分と塩分を体に吸収させたかったこと。ランナーにとってラーメンは水分と塩分とカロリーのサプリメントである。
最後は良い休憩スポットを見つけたこと。程よい木陰で風があり、虫が少なく纏わりつかれない格好の位置があったのだ。なによりも景色が良かった。予報では天気が崩れることは知っていたのだが、あまりの晴天に(ホントかな?持つんじゃないかな)と油断してしまった。
しかし予報は正しかった。
少しずつ雨脚が強くなっていく。
急な横風が吹きつけた。それに揺られた樹々が、葉に蓄えた雨水を一気に落とし、私は頭から水をかぶったようになる。
日没にはまだ時間はあるが、雨雲のせいで随分薄暗い。人工の明かりが無い山中では、空の明るさが直接視界に影響する。
ヒーー ヒーー
雨音の合間に、微かな鳥の声が聞こえた。
「あの山はさ、鵺が出るらしいぞ。気をつけろよ」
悪友Aの言葉が頭を過った。Aは登山仲間であり、山岳マラソンではライバルだ。悪い奴ではないのだが、人を茶化して楽しむようなところがあるのがイケ好かない。
ヒーー ヒーー
一旦、耳のチューニングが合うと、微かだった声が良く聞こえるようになる。
「トラツグミのことか?別に害はないだろ」
話を聞いた時、私はAに言い返した。この声の主の鳥の名だ。別名を鵺と言う。
「いや、妖怪の方」
「んなアホな」
妖怪の鵺は、頭がサルで体が狸、尻尾が虎だったか?いや、蛇だったかな。とにかく色々なものを合成した類のもので、雷獣でもあるという。さすがにそれを真顔で言われても反応に困る。
「実際に被害も出ているんだ。鵺に襲われ、命からがら生還したものの数日後に死亡した例が」
シラける私に対し、最初ニヤニヤしていたAは次第に真顔になってきた。
ヒーー ヒーー
声が大きくなった。
耳の慣れの問題だけでは無い。声の主に近づいたような気がする。
そして、雨音、風で葉がすれる音、私自身が発するジャリジャリと地面を踏む音がヤケに響き渡る。
「くだらない!」
私は、あえて声を出して吐き捨てた。
やはりスピードを落とさず、もう少し走り切れば良かっただろうか。ゆっくり走っていると、体も脳も余裕が出来るので、余計なことを考えてしまっていけない。
しかし、雨脚が強くなり、地面がぬかるみはじめ、視界が暗くなった今はこれ以上スピードを上げるわけにはいかない。
雷鳴が聞こえた。遠くを見ると、雲を貫くような稲光がチラチラと見える。
私は走りながら帽子を脱ぎ、髪をかき上げ、水気を切ってからまたかぶり直した。
「くだらない!」
私はもう一度声に出した。
ガサガサガサッ
私の声に反応するように近くの草むらが鳴った。
風音ではない、何か獣の類が走り抜けたような音。
「目撃例もあるんだよ」
またAの言葉を思い出す。
「鵺のか?」
「ああ。それも1件、2件じゃない」
「それならニュースにもなるだろ」
「なってるよ」
「えっ?」
ガサガサガサッ
再び音がした。時折枝を踏み折るようなメキメキという音も混ざる。
(私を追っているのか?)
そんな気がした。いや、さっきと同じ獣とは限らない。急な天候の崩れに動物たちもざわめいているのではないか。
第一、移動を続けている私を追う理由が無い。最初に音がしてからは随分、移動している。巣の近くを通り過ぎたとしても、こんなに追われる筋合いはない。
筋合いがあるとしたら・・・捕食対象??
(いや、奴らにとって人間は捕食対象じゃないはずだ)
私はさっきまで、あんなに否定していたAの言葉に縋りついた。
「まぁ、本当に妖怪かどうかは定かではないがな」
Aは一旦表情を崩し、崩した表情をまた固めた。
「しかし、妖怪じゃない方が厄介だ。一説には、この山の鵺の正体はアライグマなんじゃないかって言われてるんだ。ちょっと、それっぽいだろ」
Aはタブレットで鵺の絵とアライグマの写真を交互に見せた。
言われて見れば似てなくもないが、強引だなと思った。ただ、今の私の状況のように暗かったり荒天だったり、疲れてたりしたら、そう見えるのかも。
「アイツら、見た目は可愛いが気性が荒いだろ。ペットとして飼ったはいいが、持て余した飼い主が捨てて随分問題になったことがある。ニュースにも一時かなり取り上げてたよ」
アライグマは、今では特定外来種生物に指定され飼うことが禁止されているが、平成16年まではペットとして飼うことが出来た。その時に捨てられ、野生化したアライグマがこの山には多いのだという。
アライグマは気性が荒いだけではなく、カンピロバクターやエキノコックッスという細菌や寄生虫の宿主でもある。一番怖いのは狂犬病だ。
そんなことをAはとうとうと説明した。
アイツの言うことは、冷静に考えると筋が通っていない部分があるのだが、所々をやけに詳細に話すので聞く人を不安にさせる。
草むらは相変わらず鳴り続けている。ただし、風雨、雷鳴が酷くなってきたので、それが獣が発するものなのか、風なのか、私の心からくる幻聴なのかはもはや判断が出来なくなっていた。
寒い。
私は長袖のTシャツに、下はロングタイツの上から短パンを履くという格好だった。そこにリュックを背負い、帽子をかぶっている。それらは全て浸したように水を含んでいる。
吹き付ける風が頬や首、手といった露出した部分から体温を奪って行った。
寒さを自覚して間もなく、ぬかるみに足を取られた。寒さと焦りから、いつの間にか走るスピードが上がっていたようだ。
一瞬、当たりの景色から色が消える。
無理に耐えると足首や膝を捻ってしまう。転ぶしかない。ならば、どこに転ぶ?裂傷を起こすような枝や石が無く、滑落の危険が無い方向は?
スローモーションになる景色の中でそれらを判断し、空中で体を捻り、尻と背中のリュックで着地し、うまく受け身は取れたと思う。
立ち上がってみる。大丈夫そうだ。
歩いてみる。大丈夫そうだ。
しかし、走り出せない。。。
走ろうとする命令を体が断固拒否している。最悪だ。この症状は経験がある。
(脱水か・・・)
雨で全身濡れていると自身の発汗に気付きにくい。実際、下山を開始してからは給水を怠っていた。しかし、山頂では明らかに発汗が多い自覚はあったのだ。もっと細目に水分補給をするべきだった。
後悔してもしょうがないので、リュックからハイドレーション(飲用のチューブがついた水袋)で給水をしようとする。
悪いことは重なるもので、袋は破れていた。先ほど転んだ時だろう。
(なに、水なら大量にある)
私はリュックからコップを取り出し、そこに雨水を少量貯めては口に含むを繰り返しながら歩いた。
気持ちはどこかで休みたいところだが、動かなければ体温が保てない気がしたのだ。
雨音や風の音、雷鳴は聞こえなくなった。ただ『ザーーー』という一つの雑音だけが断続的に聞こえている。
右足が痙攣した。
私はたまらず、近くの樹に手を付いてもたれ掛かる。
このまま座ってしまいたい。しかし、座ったら二度と立てない気もする。
ガサガサガサッ
また、ヤツの足音がした。
(まだ追っているのか?)
私はリュックから安全ピンを取り出した。
マラソン大会に出場する際に、ナンバーカードをつける為に使うものだ。
これを痙攣した腿に突き刺す。
古いマラソンランナーには有名な方法だが、医学的に正しいのかどうかは分からない。
しかし、この時はこれで歩き出すことが出来た。
ガサッガサッガサッ
音が近くなった気がする。
(弱るのを待ってるのか?!)
私は意を決して再度両足にピンを刺し、走りはじめた。
しばらく、歩きつつ、雨水で給水したせいか、わずかに体が動くようになっていた。
早歩きに毛が生えたようなスピードだが、歩くよりは随分とマシだ。
ガサガサガサッ!ガサッガサッガサッ!
「うるせぇな!もうオレは弱ってるぞ!来るなら来い!」
私は叫んだ。もう、なるようになれという気になっていた。
それに呼応するように、またヤツは音を立てる。
ガサガサガサッ
「うるせぇ!」
ガサガサガサッ
「しつけぇ!」
ガサガサガサッ
「うるせぇ!しつけぇ!」
私は自らを鼓舞する為に声を出し続けた。半ばヤケにもなっていた。
それをからかうように、ヤツも挑発をして来る。
ガサガサガサッ
「何なんだよ!まったく!」
ガサガサガサッ
「アンタも暇だな・・・」
ガサッ!ガサッ!ガサッ!
「何だよ?」
ガサガサガサガサガサガサガサガサッ
「?!」
気が付くと、駐車場の明かりが見えた。
私は安堵のあまり、その場に座り込んだ。
ガサガサガサッ
「・・・・・」
ガサガサガサッ
「もういいだろ」
ガサガサガサッ
「分かったよ・・・」
私は最後の気力を振り絞って立ち上がると、停めてある車に向かった。
そして、ドアを開けると、一度、山を振り返って手を合わせ、頭を下げた。
雨は益々強くなり、気温は更に下がっている。あそこで立ち止まっていたら、無事では無かっただろう。。。
翌日は嘘のような快晴だった。
私は、旅館の女将に訊ね、やはり存在したその場所に向かった。
それから毎年私はそこーー鵺を御社にする神社ーーを訪れて、助けてもらったお礼と挨拶をするようにしている。
ーー了ーー
全てフィクションですので、京都に実在する鵺大明神とは一切関係ありません。




