幼少期の一時【透琉と歌恋】
その頃の彼らは、日々一緒にいるのが楽しくて。ただ、楽しかったのだ。自分達の民の生きる世界の狭さなんて、知らなかった。
◇◇◇
「と。お。る……!」
齢3歳の幼い女の子は、幼馴染みの名前を練習していた。何度も、何度も。
隣りにいる同い年の男の子は、子供向けの本を手に取って読んでいた。
性別の違う2人の幼い子供は、その頃から学力に違いがあった。
後に、学問の天才だと思われるようになる男の子、透琉は、歌恋と呼ばれる女の子の学力が自分と違う事をその幼い年齢で何となくで理解しながらも、それでも彼女から離れる事はなかった。
学問の天才と、同じ民の女の子は幼馴染みとして共に育つのである。
数日が経ち、歌恋はお手本の文字を見ずに透琉の名前を平仮名で書く。その時、「じょうずにかけるようになったね」と透琉に言われた言葉が嬉しくて堪らないという、可憐な幼馴染みの笑顔を、透琉はきっと忘れないだろう。
いつだって、彼女の一生懸命で、感情豊かな可愛さが、透琉の宝だったのだから。
歌恋は女の子だった。子供だった。歌も、花も、子供の女の子が好きそうなモノは大体好きだった。
「とおる! この花なんていうの?」
「薔薇だよ」
齢6歳になる頃には、透琉はある程度漢字も読み書きが出来るようになっていた。もっと情報量の多い場所で育ったなら、薔薇の細かい名称まで覚えていただろう。
「ばら?」
「棘があるから触っちゃダメだよ」
「とげ? ほんとにある!」
「歌恋、触らない」
ツンツンと突っつこうと手を伸ばす歌恋に、もう一度そう口にする透琉。
「触るなら牡丹百合にして」
牡丹百合。別名チューリップ、鬱金香と呼ばれる花である。
「なんで? ばらはダメなの?」
「怪我するからね。痛いのが好きなの?」
歌恋の疑問に、透琉はそう返す。
「すき……じゃない……」
「じゃあ薔薇は触っちゃダメ。棘がない花ならいくらでも触ればいいんだから」
歌恋は透琉の言葉に頷き、そして2人は歩く。いつものように遊んで、いつものよう日々を過ごす。――この世界の狭さに気付いても、彼女を置いて行く選択肢が透琉の中にはなかったから。