34,これでもまだ平穏
特別な蟻の王は憤怒していた。
顎をカチカチと鳴らし、崩落した巣の中で目の前の蟻たちを睨む。
女王を守る為に近衛蟻が行手を塞いでいるのだ。
魔蟻の世界では巣が違えば敵である。
たとえ親と子の関係でもコロニーが違えば敵となる。
襲ってこないのは女王の指示だろう。
カチカチカチ
苛立ちを表すように蟻の王は顎を鳴らす。
通常の個体より少しは強いようだが、蟻の王からすれば所詮量産品。
自分たちの王すら守れない無能は必要ない。
いっそ殺してしまうか……。
【道を開けなさい】
考えを実行しようとした時、頭に声が響く。
その声は他の蟻にも聞こえていたようで、王蟻を止めようとしていた蟻たちが道を開ける。
その道を通り、女王の居る広間まで歩く。
【王よ。そなたに頼みがある】
女王は疲弊していた。
その大きな体にはいくつもの傷跡があり、今も血が流れている。
崩落に巻き込まれたのだ。
【私の為、時間を稼いでほしい】
王は女王の前に来ると膝をつき頭を下げる。
【頼む必要は無い。命令しろ。それが我の意味になる】
【……王よ、外の外敵を一掃しろ】
【了解した】
――――――――――――――――――――
魔蟻が国境を越えたというアラームが鳴り、国境付近の町には避難勧告、ある程度大きな街になると防衛の為にハンターへ協力要請が出された。
国境を越える魔蟻の数は数千から1万匹。これらが4つの街へ進行する事となる。
その進行ルートにある1つの街に日本のハンターは滞在していた。
今から逃げるには後味が悪く、街の混乱具合から逃げるのも無理だろう。
すでに国境を越えている事から街に到着するのは1時間後だろうとの事。
そして、それまでにいくつかの街で防衛線を作る必要がある。
そう話し終えたイリーナさんが頭を下げ日本のハンターに協力を仰いだ。
「一つ聞きたい。国からの支援はあるのか?」
「……上は駐屯軍とその街いるハンター、あとは私たちで対応するよう言われてるわ」
「……なるほど、理解した」
松岡ハンターが質問して納得する。
おそらく援軍はすぐには来ない。あるいは来る予定が無いのかもしれない。
それほど現場が信用されているのかと思ったが、どうやら違うらしい。
松岡ハンターの表情からよくない事だと判断する。
そのタイミングでもう一人の男性が前にでて何かを話はじめ、翻訳の人がそれを翻訳する。
どうやらお偉い人らしい。
「―――まず、街を防衛するために戦力を4つに別ける。ここにはAランクのハンターが3人いるので、それぞれがチームを率いて1つの街を守る。私は駐屯軍を纏めて最後の街を守る」
「おいおい、戦力を分散して大丈夫かよ」
「―――問題はある……が、国民の為に協力してほしい」
魔蟻の数が1万匹と仮定して4つの街に分散した場合1つの街あたり2500匹。これはここ1週間で狩った蟻の数の倍近い数だ。
それを戦力が分散した状態で抑えなければならない。
それに均等に分かれる保証も無い。進路を変え街を囲むように攻めてきたら、戦力を分散させるのは悪手になる。
もちろん、こちら側もロマノフ聖国のハンターが協力してくれるだろうけど、魔蟻と戦うなら魔法使いがどれだけいるかが肝になる。
そしてロマノフ聖国のハンターでは魔法使いが少ない。
これは政府が魔法の技能書を規制しているからだ。
居ない訳ではないが、魔法の技能を持つと自動的に軍にも所属させられる為、売る人が多い。
「これだけで防衛だとか舐めすぎだろ」
「でも逃げる気は無いんでしょ?なんだかんだ言って優しいわね」
「黙れババア」
「はいはい。参加するなら早く移動した方がよさそうね。逃げたい子は逃げて良いわよ」
「俺のチームは強制参加だ。たかが蟻数千匹にビビる奴はいねぇよな?」
Aランクの2人は参加を表明し、チームを連れて違う街の防衛に行くようだ。
ただ、他の企業のハンターは乗り気ではなく、アラームを聞いた直後に逃げたハンターもいる。
「ナツキは私のチームね」
「参加表明してないんだけど」
「あ、トライデントも強制参加っす。大企業のチームにいる弊害っすね。まぁ日本から明人さんが援軍にくるんで、それまで踏ん張る感じっすね」
どうやら桐島ハンターはAランクのゲートを攻略してこちらに向かっている途中のようだ。
すでにSランクの称号を手にした桐島ハンター。これで日本は世界に認められるSランクハンターが2人になった。
「トライデントのメンバーは欠けてるのでそれぞれにって感じっすね。俺は松岡先輩と行ってくるっす」
「西ハンター、そんな独断……。まあいいです。私も魔女のところに付いて行きます」
「私、トライデントのメンバーと行動するよう契約書にサインしたんだけど……」
「えっマジっすか?なら全員一緒に―――」
「ナツキは私のチームよ」
いつの間にか私はイリーナさんのチームに決まっていたらしい。
「……それじゃあ全員でこの街の防衛っすね」
―――――――――――――――――――――
街の外で防衛線を作る。
土の魔法で作られた堀と壁は人間から見れば頑丈に見えなくも無いが、蟻なら普通に登って来れる大きさだ。登ってきた蟻を倒すのが私たちの役割だが、全体をカバーできる程の人数は居ない。
危なくなれば壁を捨てて街に逃げる事になる。
参加したハンターは60人。でもそのほとんどがCランク以下。
ロマノフ側から参加したハンターは8割が魔法系の技能を持っている。
これはイリーナさんの要望だ。
Dランク以下の前衛は蟻の津波にはあまり意味がなく、街の中で防衛をしてもらう事になった。
魔法系技能はイリーナさんのとある技能でさらに強化できるらしい。
「それなりにベテランの西ハンター、イリーナの技能に心当たりある?」
近くにいた西ハンターに聞いてみる。
それなりにベテランな西ハンターなら知っていると思ったからだ。
「それなりにベテランって……かなりベテランな方なんすけどね」
「それで?」
「まぁたぶん支配者系の技能っすね。人の技能を強制発動させる技能っす」
支配者系技能。
どこかのSランクハンターが水の支配者と呼ばれていた。
それと同じ技能だとすれば、彼女のポテンシャルはSランクハンター並と言う事だろうか?
「魔法系の技能って人によって威力が変わるっすよね。ゲーム的に言うならステータスっす。支配者系の技能を使うと、他人の魔力で自分のステータスの魔法を使えるっす」
「なるほど。属性付き魔力タンクね」
「作戦は最初に削ってあとは持久戦って感じっす」
蟻の数が分からない以上、守りに入るしかない。
もし数が少なければ他の都市に応援に行く。多い場合は耐えて援軍を待つ。
数が多い魔蟻に対しての防衛は市街戦を避けられないだろう。
4つの都市に戦力分散したが、一番危険なのは駐屯軍が守る第一都市だ。
駐屯軍は軍人でありハンターじゃない。もちろん技能を持っている人も中にはいるだろうけど、主要な武器が銃器だ。機関銃では魔蟻に対してあまり威力が期待できない。
戦車や戦闘機、ミサイルで対抗するにしても近づかれれば命はない。
それに蟻には羽の生えた戦闘蟻と近衛蟻がいる。
戦闘機だって墜落させられる恐れがあるのだ。
ちなみに次に危険な防衛都市はここである。
何せ後方には攻略途中の巣があるのだから。もし巣が刺激されて氾濫でも起きれば二方面から攻められることになる。
その時、遠くの空から砲撃音が響く。
「……始まったみたいね」
「もうすぐ来るっすよ」
地平線の奥がだんだんと黒く染まっていく。
数で見れば数千なんだろうが、地面が染められていく光景の絶望感がヤバい。まるで終末世界だ。
肉眼では黒い津波にしか見えない蟻がどんどんと広がっていく。
まだ距離がある。
魔法はまだ撃たない。
「あれが到達したら壁が壊れないかしら?」
「あはは、壁ごと飲み込まれそうっすね」
「笑い事じゃ無いわよ。できるだけ数を減らしてもらわないと防衛にならないわ。こんな事なら遠距離技能を取っとくんだった」
今更遅いが魔法系技能があったら私の魔力も有効活用できるのに。
それにあの津波を盾で受け止められる想像ができない。突っ込んでも飲み込まれる光景がありありと思い浮かぶ。
市街戦になっても街ごと蟻の軍勢に飲み込まれそうだ。
「まぁ実際以上に怖がる必要は無いっすよ。魔物も生物な以上、移動で消耗しているっす。仕掛けも用意してあるっすから大丈夫っすよ」
「その仕掛けだって、地面に穴を掘っただけじゃん」
「案外シンプルな罠の方が効果があるんすよ」
蟻が肉眼でも分かる距離に入る。
だいたい距離にして1km。罠があるのは500m先だ。
「これ、壁の長さより広がってるわね」
「仕掛けの位置に入ったら魔法が飛ぶっす。あと3……2……1……」
先頭の蟻が仕掛けの穴に足をはめ、速度が落ちる。
一定の距離を保っていた蟻たちの統率が乱れ始めた。
前が詰まり密集して、それを超えようと背中を上る。
そんな団子状態の蟻たちに魔法が飛んでいく。
「……罠が役に立ったわね」
「だから言ったっすよね?シンプルが一番っす」
先頭が仕掛けに引っか狩らなくても、後続が引っ掛かりいくつもの場所で団子ができ始める。
それをイリーナさんが魔法で薙ぎ払っていく。
「さてと、ここからはこっちの仕事っすよ。何匹か抜けたんで壁に取りついたら攻撃っす!」
そう言って駆けていく西ハンターを他のメンバーも追いかけていく。
この戦場にはまだ異変は起きていなかった。




