33,氾濫って
「―――氾濫ってどういう事?」
「……」
ホテルに戻り事情を知らないイリーナが情報の共有をしようと仲間を集めた。
会議室に集まったのは5人と政府から送られてきた情報分析官が1人だ。
この情報分析官は高官の1人で情報分析室次長ゲルマンという。
氾濫が起きたと聞いて急いで街に戻ってきたが混乱が起きておらず、イリーナは情報が誤りだったのかとゲルマンに聞いている。だが、遠回しな言い方が伝わらなかったのかゲルマンは何も語らない。
その態度が気にくわないイリーナの機嫌がどんどん下がり、それを察知した部下2人が間に入る。
「落ち着いてください。氾濫はあの国で起こった事です。ただ、その方向がこちらへと向いただけで……」
「そちらの状況も確認したい。かなりの被害が出たと聞いている」
少し冷静を取り戻し、巣の中で起きた事を話す。
話を聞いている間もゲルマンは無言だ。何を考えているのか、イリーナの中で不信感が募る。
話は進み蟻の巣が爆発し崩落、カミラが重傷を負いその後の対応を少し溜めを作って話す。
溜めを作ったのはゲルマンがこの話にどう反応するか見る為だ。
「かなりの重症だった。……それで聖樹の実を使ったわ」
「ッ……聖樹の実を使ったんですか!?」
聖樹の実。
それは聖国が持つ聖樹から生る実だ。
そしてこの聖樹を聖国は隠している。
聖樹はそれが植えられた一体に豊穣の効果をもたらし、木に触れる者の傷を少しずつ治す。そして年に数個の実を生やすのだ。
この聖樹の実には超級ポーション並の回復能力、状態異常を解除する効果、魔力回復量を激増させ身体能力を上げる効果まで持つ。
まさにドーピングアイテム。ドーピング検査にも引っ掛からないのでスポーツで使えば世界記録を塗り替えられる。
この実は食べれば連続で発動できない大技を何度も使用でき、どんな大怪我も一瞬で治す。
若返る効果まであるなんて言われており、この存在を知られれば聖樹の奪い合いで戦争になるだろう。
故に使用には細心の注意が必要であり、そもそも使用が許されるのは軍の一級戦力で一級作戦のみだ。
「仕方なかったのよ。そうしないと助からなかった」
「ですが……いえ、なんでもありません」
聖樹の実は貴重な物だ。
その価値は軍人1人の命よりも重い。
だが、聖樹の実を使用した事について政府から送られてきたゲルマンは何も言わない。それどころか何の反応も見せない。
このチームで聖樹の実の仕様が許されるのはイリーナのみ。そのイリーナが判断して使ったのだから、ゲルマンが口を挟む問題ではないのだろう。それでも何の反応も見せないのはおかしい。
やはり何か企んでいるのか……。
「本来の目的とは違うけど、もともと3つ渡されている。問題ないわ」
「……助けてくれてありがとう」
「私たちは仲間よ気にしないで。それで何が起こったか教えてくれる?」
一通りの情報を話し終えたので、今度は氾濫の情報を出していく。
ここでようやくゲルマンの口が開く。
「―――まず、こちらの映像を見てもらいたい。これは他国の衛生をハッキングした映像だ。これが4時間前、その30分後の映像がこれだ」
「……」
「ここは北中国の研究都市という触れ込みだった。我々も内部情報を盗もうといろいろしていたが防御が固く、一部しか情報を奪えていなかった。その一部の中に魔物の使役を可能にしているという情報がある」
「へー、そんな情報、軍には来てないんだけど?」
「……不確かな情報だった為、情報が固まり次第報告する予定だった。見ての通り蟻以外にも多くの魔物を何らかの手段で使役していた事になる。そしてその制御を失い暴れ出した。魔物同士で争っているところもあるが、基本的に四方へ散らばっている。被害は相当なものだろう」
数分事の映像が切り替わり、都市が崩壊していく。
そして黒い津波が聖国の方へ移動しているのが分かる。
「この規模は巣と言って間違いない。つまり5つ目の巣、あるいは4つ目の巣というべきでしょう。情報をまとめた結果、おそらく4つ目の巣は1年前からできており、その蟻がここ周辺で目撃されていた。それを北中国が捕まえ研究都市で使役、次世代の女王蟻や王蟻はすでに生まれていたか、北中国の策略で我が国に巣を作ったと判断します」
「つまり、巣ができたのは偶然ではなく、お前たちはその情報を知らなかった訳だ。お前たち情報分析官の落ち度だ、違うか?」
「……それは結果論でしかないかと。そもそも4つ目の巣も我が国にできていた可能性があります。あちらが回収して自爆したならむしろ良かったと思いますが?」
「それこそ論点が違う。そもそもあの国が最初に蟻の氾濫を隠していた事も、我が国で蟻が巣を作ろうとしていた事も、それを使役する為に敵が活動していた事も後になって分かったのだろう?」
「……」
イリーナの言う事は正しい。
それはゲルマンも認める事だ。だが、その責任のすべてが情報分析室にあるとは認めがたい。
ゲルマンはこの仕事に誇りを持っているし、その中で最善を尽くしてきたと自覚している。これからもそしてこの瞬間も変わらない事実だ。
これ以上何を言っても言訳にしかならないが、原因があるとするなら聖国には敵が多くスパイの人材が不足しており、なにより北中国が広すぎた。
何もかもが足りておらず、それ故に優先順位が低い北中国を後回しにしてしまった。
「貴様らの怠慢が招いた事だ。そして、その尻拭い……いえ、その責任を押し付けられたのね。ここが死地になる事を知っていてあなたは送られてきた」
「……その通りだよ。イリーナ・アダモヴィッチ特務少佐殿。私は権力争いに負け、責任を取らされた。そして、君たちに言わねばならぬ事がある。……ここに、援軍は来ない」
「……でしょうね。北中国が動けず、聖国は魔物に攻められている。他の国が動かない訳ないもの。この機に合併を迫って来るはずよ」
「軍本体は動かせない。民間武装組織と駐屯軍、日本のハンター、そして君たちで4つの都市を守る必要がある。日本には支援を要請しているが、間に合うかどうか……暴動を防ぐため、この情報は規制され蟻の到達30分前に避難勧告が出される。蟻との接触時には都市で混乱が起きるだろう」
「……ッ。あなた本気で言ってるの!?すぐにこの情報を公開して避難させるべきよ!」
国民に避難勧告を出さない。それはつまり、ゲルマンは国民を犠牲にすると言っているのだ。
しかも民間武装に頼る?
聖国にもハンターはいるが、そのほとんどがCランク以下。それは国が暴力を恐れ抑えた結果だ。
軍以外で魔物に対して戦える人材が足りない。
だから外の国、日本に援助を求めたのだ。
だが、それ故にゲルマンの言う事も正しい。
もし事前に情報を公開すれば、多くのハンターが逃げてしまうから。戦力の低下を防ぐなら確かにこの作戦は正しいのだろう。
「もう遅い……それに、これは政治なのだ。聖国は北中国が犯した蛮行を知らず、蟻により国土を侵される。そこへ助けに来た日本のハンターと手を取り、蟻を撃退する。北中国は蟻の氾濫を隠蔽したため情報が遅れた聖国の軍は動かせず、民間人に多くの被害が出る。北中国を非難する国際情勢を形成する」
「……その為なら民間人に被害が出ても構わないと!」
「そのための君たちだ。そして―――そのための犠牲が私だ。もし民間人に被害が出るなら、その1人目は私でなくてはならない。……これは上からの命令だよ」
会議室に息を呑む音がする。
その顔は覚悟の決まった軍人の顔だった。
イリーナはその言葉を聞いて、その覚悟を感じた。
「……先ほどまでの失礼をお詫びする」
「気にする事は無い。ここの会話も元から無かった事だ。―――蟻の襲来後、私は最前線に立ち国民に避難を促す。どうか、1人でも多くの国民が逃げる時間を稼いでくれ。私もこの命をかけて時間を稼ごう」
「我々も全力を尽くす」
――――――――――――――――――――
―――ロマノフの会議が終わった同時刻。
日本の3つのギルドも集まり会議を始めた。
「―――氾濫ってどういう事?」
会議室には数名のハンターが集まっている。
『トライデント』からは陽子さんと西ハンター、そして私が参加している。他の2人はまだ意識が戻っていない。
『ドラゴンハント』からは松岡ハンターともう1人。『魔女の茶会』からは立華ハンターが参加し、計6人で情報の共有を行っている。
「聞いた話だと北中国の方で反乱が起きたらしいわ。ただ、それ以上の事が分かっていないの。どうも情報が錯綜していて……」
「じゃあ氾濫はデマって事っすか?」
「いいえ、おそらく氾濫は起きているわ。だってこれ、情報が規制されているもの」
立華さん曰く、最初の30分くらいはかなりの数と速度で拡散されていたのに、今はまるで沈静化したように静かになっている。
それに北中国の異様に早い対応。北中国政府はすでに反乱はデマであると発表している。
「問題はどこが氾濫したかね。場所によってはこっちにも被害が出るかもしれないわ」
「どこだろうと関係ねぇよ。俺が全部倒す」
「リーダー、いったん黙ってて」
松岡ハンターが口を挟むが、立華ハンターは無視して話し続ける。
「ロマノフ側は氾濫場所を知っていると思うの。日本に支援要請が届いているし……ただ、その割にはこっちも情報が無い。……まさか、こっちでも情報を規制している?」
「何の為っすか?」
「……考えすぎね。単に情報不足とか、情報精査中ってところかも」
「イリーナに聞いてみる?」
「……教えてくれるとは思えないけど」
という事で先日交換したイリーナの連絡先に文字を送る。
夏輝:
イリーナ、そっちの会議終わった?
夏輝:
氾濫の情報欲しい
夏輝:
何か情報あったら教えて
イリーナ:
情報斉射中
「情報斉射中らしい」
スマホの画面を見せて言う。
「情報精査ね。斉射って何よ」
「むこうも混乱してるって事っすかね」
「……考えすぎ……考えすぎよね?」
何か思い悩んでいる立華さんを置いて、話を進める西ハンター。
北中国の氾濫は置いておいて、攻略中の巣の地図を出す。
「今回の探索で夏輝ちゃんがやらかしたんで、いろいろと地図が変わったっす」
「やらかしてないわよ。あれは事故だったの」
「まぁ事故でもなんでもいいんすけど、怪我人が出たっすから……正直メディアが騒ぐのは防げないっすね。正直、今明人さんのイメージが下がるのは避けたいとこっすけど、本人が騒ぐだろうし……ほんと面倒事ばっかっす」
西ハンターの話を聞いていると、ふと疑問に思う。
なぜ参加してない桐島ハンターのイメージが下がるのだろうか?
その事を聞こうとしたが、松岡ハンターが話に入ってきて聞けなくなる。
「西、戻って来る気はねえのか?お前なら俺のチームに即入れる。腕も上がってるし、そっちで最前線に立てないなら……」
「戻る気はないっすよ。明人さんに憧れてチームを離れて、まだ何もできてないっすから。Sランクくらいに上がったら戻るかもっす」
「そうかよ」
「まぁ、今回みたいに臨時でチームを組むことはあるっすから、その時はまたよろしくお願いするっす」
口を挟める雰囲気ではなく、私は黙って見守る。
2人がもともと同じチームで活動していたのは知っているけど、それ以外は知らない。
洞窟の中で一緒に行動していた時は普通に話していたし、険悪の中という訳ではないのだろう。
もしくは、もう解決して過去の事になったのかもしれない。
ただ私には、松岡ハンターが少し寂しそうに見えた。
「ま、話を戻して夏輝ちゃんがやらかしたんで地図が少し複雑になったって話っす」
「やらかしてないわよ。あれは事故だったの」
「そこまで話を戻さなくてもいいっす。……情報を合わせて再度地図を作ったんで、まずこの地図とコレを見てほしいっす」
そう言って出てきたのが箱だった。
なにこれ?と思っていると松岡ハンターが箱の正体を教えてくれる。
「立体地図を作れる奴がいるのか」
「早乙女ちゃんっす」
「夏輝ちゃんのせいで作り直しになりましたけどね」
「全部事故のせいなんです」
箱にはいろいろな穴が開いていて、この穴が道のようだ。
それを地図の上に置いて説明を始める。
「まず立体地図はここの部分を作ってもらったっす。全部で8層っすね」
「なるほどな。で、この大穴がそいつが壊した穴ってわけか」
「なんか私が壊したことにされてるんですが……」
「立体地図がなんでこの部分かって事なんすけど、たぶん壊れたこの大穴近くが最奥なんすよね。夏輝ちゃんがもともといた階層って覚えているっすか?」
そう聞かれて地図と立体地図を見る。
記憶では登って行ったけど、実際の階層は不明だった。もともと居たのが多分4層くらいだろうと予想して、イリーナが4層落ちたって言っていた気がする。それで崩落した土も考えると6層付近に落ちたんだと思っていたけど―――。
松岡ハンターたちは最下層、つまり8層を攻略していたわけで……。
そうなると……まだ下に2層ある?
「……元々は4層付近を攻略していて、イリーナが4層落ちたって言っていたわ。崩落した土も合わせて6層付近だと思っていたの。でも、松岡ハンター達と合流した。まだ下に2層あるって事?」
「たぶん違います。話を統合した結果、予想ですがここは卵を孵化させる場所で、もともと穴があったと考えます。魔蟻は性質で卵を設置する際、平らな場所ではなくお椀のような凹んだ場所に並べて設置するんです。そして、崩落した際、たまたま卵のあるここが崩落に巻き込まれたと考えています」
わざわざ茶碗と米を用意して陽子さんが説明してくれる。
茶碗の面に付いた米を蟻の卵に例えられると、何とも言えない気持ち悪さが……。
本人は真剣に説明しているんだろうけど、正直あまり見たくない。
「つまり蟻の幼虫もろとも潰れた訳か。謎の2層がそれで埋まるか?」
「8層の下にさらに2層あると考えるよりは合理的かと。また、この予想が正しい場合、魔蟻の次世代がほとんど生き埋めになり死んだと予想されます」
「怪我の功名ってやつか?」
「もし、女王蟻が次世代の女王蟻と王蟻を産んでいると仮定した場合、現在蟻が増える事はありません。倒すなら今です」
倒すなら今と力説する陽子さん。
その話を聞いて真剣に地図を睨みつける松岡ハンター。
西ハンターがその場を一歩下がった位置で見ているのでさっき聞きそびれた桐島ハンターの事について聞こうと私も一歩下がる。
だが、気候と話しかけた瞬間、部屋の扉が開けられ遮られる。
「あの、さっき―――」
「た、大変です、リーダー!」
そう言って入ってきたのは『ドラゴンハント』のメンバーだった。
全力で走ってきたのか、息切れして言葉も覚束ない。
「休みたいから休ませてやったのに、要件は何だ?」
「あ、蟻の、大群が、こっちに……向かってます!」
その言葉と共にホテルの緊急アラームが鳴った。
会議室は騒然となる。




