花粉症によく見られる症状ですね
真っ白な部屋。検索エンジンで「診察室 フリー画像」と検索すれば出てきそうな、無機質でありきたりな部屋だ。壁際に設置されたデスクの前には、つやつやとした光沢のある黒髪マッシュルームカットの中年男性が、シワ一つない白衣を着て座っている。
ゲーミングチェアに座る中肉中背の男、顔にできものはなく皮脂によるてかりもない。しかし、赤いメガネによりどことなくねっとりとした印象の男は、自分の側に立つ若い看護師に小さく頷きかける。看護師はそれを見て、小さく「はい」と言うと診察室のドアを開けて待合室に声をかけた。
「次の方どうぞー」
春が花粉を従えにじり寄る三月初頭、こうして今日も診察が始まる。
「どうされましたか?」
「昨日、酒を飲みすぎたみたいで」
マッシュルームカットの問いかけに答えるのは、グレーのスウェット上下を着た若い男だ。顔は青白く誰が見ても二日酔いだとわかる。
「お酒を飲みすぎたんですね」
「はい、そのせいなのか朝から吐き気がして頭も痛いです」
「吐き気がして頭が痛いんですね」
「あと、体がだるくてしんどいんです。本当は今日、仕事なんですが体調不良ということで休みました」
「体がだるくてしんどいんですね」
「はい、そうなんです。なんとかならないですかね?」
「花粉症の初期症状によく見られる反応ですね。点鼻薬を処方しますので処方箋を持って向かいの薬局でお薬をもらってください」
「あ、花粉症なんですね」
「はい、花粉症によく見られる症状ですね」
「わかりました、ありがとうございます」
スウェット男は自分が花粉症で点鼻薬を差せば治ると思ったのか、どことなく満足そうに診察室を後にした。
スウェット男が診察室を出るのを見届けると、マッシュルームカットは、側に立つ若い看護師に頷きかける。看護師はそれを見て小さく「はい」と言うと診察室のドアを開けて待合室に声をかけた。
「次の方どうぞー」
「どうされましたか?」
「旦那に浮気をされたんです」
白いハンカチを目に当てながら、涙声で話すのはダメージヘアが目立つ四十代女性。お洒落に気を使う余裕もないことがよれよれの服装から見受けられる。
「旦那さんに浮気をされたんですね」
「はい、もともとそんなに口数の多い人じゃなかったんですが、最近は夫婦間の会話はほぼありません。家にいてもあの人、いつもスマホばかり見てるんです」
「夫婦間での会話がないんですね」
「はい、もうびっくりするぐらいありません。うちの旦那、私には仕事だとか言っておきながら浮気相手と遊びに行ってるんです。バレてないと思ってるみたいですけど、あの人ったら私が掃除をしながら後ろを通っても、気にせずメッセージのやり取りをしてるんです。間抜け過ぎますよね」
「旦那さんは仕事だと言って浮気相手と遊びに行ってるんですね」
「そうなんです。最初はショックでしたが見て見ぬふりをして我慢してたんです。でも、最近はどうして私だけこんなに我慢しなきゃいけないんだろうと思うと、もう辛くて辛くて」
「我慢するのが辛いんですね」
「はい、もう限界です。なんとかなりませんか?」
「花粉症によく見られる症状ですね。点鼻薬を処方しますので処方箋を持って向かいの薬局でお薬をもらってください」
「私、花粉症なんですか?」
「はい、花粉症によく見られる症状ですね」
「旦那の浮気が辛いのも?」
「花粉症によく見られる症状ですね」
「そうなんですね! わかりました、ありがとうございます」
花粉症と言われて最初は戸惑いを見せたものの、二回も力強く断言されて納得したのか、女性は入室時よりも若干明るい顔色をして診察室を後にした。
女性が退室するのを確認すると、マッシュルームカットは、側に立つ若い看護師に頷きかける。看護師はそれを見て、小さく「はい」と言うと診察室のドアを開けて待合室に声をかけた。
「次の方どうぞー」
「どうされましたか?」
「SNSが気になるんです」
スマートフォンを右手に握りしめた若い女は、右手の親指を振るわせながら言った。彼女の親指の震えはかなり部分的なもので、寒さや恐怖からくるものではなく、スマートフォンの操作をし過ぎたことが原因で、親指に過度な負担がかかっていることが伺える。目の下には大きなくまを作り、血色も良くない。
「SNSが気になるんですね」
「はい、気がつけば無意識のうちにアプリを起動していて、一日中見てしまうんです。別に見なくてもいいのにすぐ気になって、それでいつの間にかどんどん時間を無駄にしちゃって」
「一日中見てしまうんですね」
「そうなんです。夜もそれでついつい夜更かししちゃうし、朝起きるのが辛いし、日中は眠たいし。悪いことばかりなのに、何か面白い話題や動画がないか気になって見ちゃうんです」
「何か面白い話題や動画がないか気になるんですね」
「はい。でも、日中眠たくて仕事に支障が出ているのでどうにかしたいんです。どうにかなりません?」
「花粉症によく見られる症状ですね。点鼻薬を処方しますので処方箋を持って向かいの薬局でお薬もらってください」
「え、花粉症なんですか?」
「はい、花粉症によく見られる症状ですね」
「SNS依存症とかじゃなく?」
「花粉症によく見られる症状ですね」
「なんだ、そうだったんだ。SNS依存症だったらどうしよう、って思っていたので安心しました。ありがとうございます!」
何が直接的な理由かはわからないが、いつの頃からか自分で物事を考えること面倒だと思う人が爆発的に増えた世界。何か困り事があると、「とりあえず病院に行こう」という思考が人々の中で蔓延していた。
テレビリモコンの電池切れ、入れ歯を無くした、好きな漫画の打ち切り、推しバンドの解散、洗濯物の生乾き臭など、どう考えても病院の管轄外の相談が激増。その結果、医者不足が大きな問題となり政府の悩みの種となる。
「こんな低レベルなお悩み相談に、医者が真剣に対応しなくてもいいのでは?」
度重なる失言により炎上を繰り返すことで有名となった、時の厚生労働大臣、多田野實現の思いつきによる発言がきっかけとなり、政府は医者の代わりとなるアンドロイドを作って病院に配備することにした。
低予算で作ったため、このアンドロイドの性能はそれほど高くない。基本的には患者の発言をおうむ返しすることと、予め設定された診察内容と処方箋を案内することしかできない。
診察内容は、風邪、花粉症、五月病、夏風邪、九月病、秋風邪があり、処方箋は風邪薬、点鼻薬、ビタミン剤が登録されていて、アンドロイドは診察の時期によって適切な内容を患者に告げる。
アンドロイドの見た目は皆、中肉中背で赤メガネのマッシュルームカットで統一されている。この容姿が採用された理由は色々と噂されているが、一番有力な説は「多田野大臣が通うスナックのママの好み」なのだが、真偽は定かではない。
アンドロイドを送り込まれた病院は、受付時に患者に軽くヒアリングを行う。そして、ちゃんとした診察が不要と感じる患者がいると、アンドロイドがいる診察室へ患者を回すことで業務の効率化を行うようになった。アンドロイドによる業務効率化は目に見えて成果を上げ、全国の病院の無駄な残業を65%もカットしたとまで言われている。
国民に「高性能アンドロイドを病院に配備することで、医者不足を解決する」と説明して始まったこの政策は、開始当初は非難や反対運動があったが、国民はすぐに考えることを放棄し、アンドロイドによる診察に抵抗を持たなくなった。
この政策が始まって五年、アンドロイドの稼働率は右肩上がりで増加した。それに伴い一部製薬メーカーの売り上げも伸びて、株価が上昇。事前にこの流れを予測した人間は懐を肥やしたのだが、このことが明るみに出て大きな政治スキャンダルとなるのは、さらに三年後のことである。