師匠
あれから三日が過ぎたが、ヴァイオレットは目を覚さない。
ルークとニーライナが足止めをすると言った―――つまり、倒しきれないと言った。
そんな相手にどこまで逃げれば良いのかと分からず、馬車を止めずにどこまでも走る。
今はケルニスト端の山脈を、天馬を仕舞って移動中。
足場が不安定で、天馬を使った高速の移動はかえって危険と判断したのだ。
「少し休もうか………アリス、盾お願い」
「はい、マスター」
砂漠に近く、高低差の激しいこの山では風が激しく、休むにはアリスの持つ巨大な盾、対岸の盾で砂と風を防ぐ必要がある。
あれ以来、アリスの表情は暗いまま。
今まで時間をかけて芽生えていた目に見える感情が、まるで消え失せた様に。
薪に火を焚べて、鍋で湯を沸かす。
盾のすぐ側で沸騰する湯を見ながら一つ溜息を。
夜の睡眠は代わり代わり、昼間は歩きながらも、アステラの襲来に警戒していない瞬間などない。
そんな精神をすり減らす状況で、唯一の精神安定剤は回復する魔力のみ。
次第に自分の体が戦える状態へと戻るのが、手元に武器が増える様で心地よかった。
「マスターは………私が先代マスター、アステラ様の元に戻れば私を破壊しますか………?」
「破壊…………分からないよ。敵対するなら無力化するだろうし、それが無理なら殺すかも知れない」
「それは恐ろしいですね…………では、残ります」
「そう、助かるよ。今仲間が減っちゃ困る」
殺すと言われたアリスは、残ろうと決意した。
今まで元々のマスターの元に道具として戻るか少し脳裏に考えが残っていたアリスだが、その考えを完全に捨て去る。
それからさらに三日程山を歩くと、少しずつアリスの表情は明るく。
そして、ヴァイオレットが目を覚ました。
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「魔法が使えない?!」
ヴァイオレットの話を聞いて、レイは思わず声を上げた。
目覚めて軽く腹に食べ物を入れてから、ヴァイオレットは話した。
転移させられて、巨大なトロールが居て、倒したら突然アステラが現れて、どんな攻撃をしようと防がれて、どんな防御をしようと破壊されて、手も足も出ずに敗北した。
手足の腱を斬られ、骨を折られたヴァイオレットは首根っこを掴まれた。
そして何かを吸われたという。
その時意識が朦朧とし始め、気づけば今だ。
ヴァイオレット曰く、そのとき首から吸われていたのは、ヴァイオレットの魔法だという。
「使えないというより、持ってない。持ってかれたよ―――不甲斐ない」
ヴァイオレットは申し訳なさそうに言う。
今やか弱い、ただの長生きする女となったヴァイオレットが。
「弱い魔物程度なら戦えるが、今までのように強敵と戦うのはもう無理だ。私の事は、どこか適当な場所に置いて行って欲しい」
「置いて行ってって…………何言ってるんですか師匠」
「解決案を言ってるんだよ、愛弟子。今や私は立派な足手纏い―――連れる利益が無い」
「…………何を、言ってるんですか師匠」
少し驚きながら、レイは返す。
今までで最も残酷なことを言うヴァイオレットは、今までで最も弱々しいのだ。
レイは信じられない、認められない、理解出来ない。
何故あれ程に強い師匠が負けたのか。
何故あれ程に強い師匠がここまで弱っているのか。
何故あれ程に輝いていた師匠の表情が、ここまで曇っているのか。
「ひとまずお師匠様を安全な場所に連れて行く必要がありますね」
「あ、ああ―――取られたっていうんなら、いい場所がある」
アリスの言葉を聞いてレイは落ち着きを取り戻す。
いい場所とは、魔法の貸し借り、つまり魔法を人から奪う魔法を持つ男がギルド長を務める街。
そして、レイとアリスが出会った国。
「行こう、リルラントに」
そろそろ100話ですね




