アリスの使命
「陸が見えなくなりましたね、マスター」
「ああ、馬車の外に足場が氷だけってのは少し不安だけど、でも潮風が気持ちいい」
二人は言う。
今馬を走らせているのはアルス。
本物の馬は動かせないが、性格や気分などで操作のし易さが変わる様な事がない、天馬は操作がしやすいと、かれこれ五時間。
疲れも溜まるだろうし変わろうと言っても、一向に操縦を辞めようとしないのだ。
「アルスちゃん、ずっとやってると腰にも良くないし、変わろ」
「いえ、大丈夫です! 魔法で常時回復しておりますので!」
ヴァイオレットは心配するが、アルスはよほど、はじめての馬が楽しい様だ。
「まあアルス―――途中怪我たけど、腰の回復で魔力切れなんて事になったら困るし、一旦休もう。まだまだ馬を走らせる時間なんて、嫌になる程ある」
「レイ様まで…………了解しました」
アルス自身以外の心配も込めたレイの言葉に、アルスは残念がりながらも操縦席を離れる。
代わりにレイが乗り込もうとすると、片手でそれを止めて、ヴァイオレットが出てしまった。
「片腕なんだから愛弟子は座ってなさい」
「いや、手綱で首真っ直ぐに固定するだけですし…………疲れも苦労もしませんよ」
「まあまあ、いいのいいの」
言って、ヴァイオレットはレイに操縦席を譲らない。
アリスとアルスとヴァイオレットに操縦を任せっきりな事に、若干の居心地の悪さを感じながらも、諦めて馬車内へと戻ろうとすると、レイはとある違和感に気がつく。
「――――――師匠」
「そうだね、この程度なら…………まあ任せるよ」
「了解です」
言って、レイは馬車から飛び出して、足元からの炎噴射で浮上―――即座に詠唱を行い、天天羅蘇を発動。
ヴァイオレットは一度、馬車を止めた。
「どうしましたか、マスター!」
「ちょっと敵。最近寝てばっかだったから、体が錆びちゃいそうでね…………少し動くよ」
少しずつ、水面が波立ち始め、水底から黒い何かが浮上しているのが見えた。
「アリス、見える?」
「ええ、これは…………蛸、ですか?」
「そう、巨大な蛸。海の魔物、クラーケンだの」
レイが言うとほぼ同時、水面から茶色い職種が飛び出した。
「師匠、思ったより大きい。防護を」
「もう使ったよ。氷も馬車にも、天馬にもね。反射の準備も出来てる」
安心したレイは、ヴァイオレットから水面へと視線を移す。
「愛弟子、出るよ」
「はいっ!」
瞬間、無数の触手と共に、巨大客船を超える様な大きさのクラーケンが現れた。
「茹で蛸にしてやる」
言って、海に大量に炎の玉を放り込む。
戦闘で他の海洋生物に被害を与えない様にと、ヴァイオレットが海の一部をバリアーで区切ったので、他の魚などには特に被害は無い。
クラーケンは触手による攻撃をいくつも繰り出すが、レイは全て空中で紙一重の回避。
一撃も炎をクラーケンには当てずに、全て海に投じる。
次第に海は熱されて、その熱に抵抗する様に、クラーケンは動きを活発に。
しかしそれも一時的で、もう少し海が熱くなると、今度は動きが鈍くなる。
レイが飛ぶ高さまで触手が伸びなくなって、ヴァイオレットの作った氷の道に縋り付くが、自分の体重によって崩れ落ちて。
海が沸騰した頃に、最後の力を振り絞る様派手に暴れたが、それも全て回避。
軈て、完全に力尽きて活動を停止。
一撃もクラーケンに攻撃を当てずに、討伐してしまった。
「アリス、収納お願い! いい食料だ」
「はい、マスター!」
言って、アリスは氷の足場へと降りる。
どうやら氷の上に立つのは初めての様で、未経験の感覚に少し楽しそうだ。
レイも天天羅蘇を解いて着地。
薄氷の足場に不安を少し感じたが、ヴァイオレットの魔法なので大丈夫だろうと考える。
アリスがクラーケンの収納を終えたら、馬車に乗り込み、移動を再開した。
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「マスター、なんでしょうか、アレは」
「ん…………なんだろう。千里眼とかじゃ見えない?」
「はい―――試しはしましたが、霧がかっていまして」
朝方、ヴァイオレットとアルスが眠る中アリスは言った。
アレとは、少し離れた位置にある大きな影の事。
霧が出る前にはそんな影見当たらず、本当に突然現れた、正体不明の影だ。
レイはイルマーニなどの前例があるので、霧の中にある影に少し敏感になって、いつでも魔法を発動出来るよう身構えた。
「アリス、師匠起こして」
「はい、マスター」
応えて、アリスはヴァイオレットの肩を揺する。
馬車の中、海の上など、最悪の寝床だろうに服を脱いで寝ていたヴァイオレットは、中々目を覚さなかったので、仕方なく海水を掬って、顔にかけた。
「………………っ! なっ、沈むっ!」
「お師匠様、少しお静かに」
溺れたのかと思ったのか、慌ててヴァイオレットは目を覚ます。
静かにと声が聞こえたので安心して、一つ溜息を溢してから馬車後方から身を乗り出して、辺りを見渡す。
「師匠、前です」
「ああ、前ね。何かあったのかい? 愛弟子」
「いえ、あの影。何か分かりますか?」
影は―――距離が近づいたせいか、先程よりも大きく見える。
「んっと…………なんだっけ。えーっと、あれだ、あれ」
「知ってるんですか、師匠」
「うん。でもね、まだ寝ぼけてるのかな。ちょっと思い出せなくてね…………」
そう言ってる間にも、馬車は進む。
警戒の為に一度天馬を止めて、ヴァイオレットが影の正体を思い出すのを待つ。
何故か―――アリスも少し悩んでおり、レイは何か心当たりがあるのかと思った。
「ん…………あ、そうだ」
「師匠、何か思い出したんですか?」
「ああ、完全に思い出した。多分アリスちゃんも、因縁深いよ」
やはりと、アリスは少し気づいていた様な反応をした。
「あれは、神竜であり、ドラゴンの長である、ドラゴンの遺体、鉤爪だよ」
ヴァイオレットは言った。
とてもおかしな、名前を。
「ドラゴンの長の名前が、ドラゴン?」
「マスター、それについては私から」
「ん? アリスが?」
尋ねると、アリスは小さく頷いてから話す。
「ドラゴンとは元々、ただ一体の魔物を指す名前でした。その魔物は多くの眷属を作り、自分と似た姿に。その種族に、自分の名を、ドラゴンと名付けたのです」
「じゃあアレは、その最初のドラゴンの爪…………!」
「ええ、そうです。あの大きさ、間違いありません。本来私が倒す筈でしたが、倒したのですね…………」
感慨深そうに、アリスは言う。
レイはアリスの事情を察して、三十分ほど、馬車を止めていた。




