第28話 失踪
メディカルセンターの一角に小さな休憩室がある。
自動販売機のボタンをシュピーゲルが押すと、がこんっと缶が落ちる音が響いた。
「マリさん、どうぞ」
「ありがとうございます……」
マリは顔を伏せながら缶を受け取った。
温かいミルクティーで手は熱を帯びるが、心の中は冷たいままだった。
「総司くんは軽い脳震盪で気絶しただけだ。すぐに良くなるさ」
「でも、わたしのせいであんなことになってしまいました。
二人は危険だといっていたのに。調子に……のっていました」
「間違いは誰にでもある。
それにあの時は時間がなかった。マリさんの選択が間違っていたとも限らない。
大事なことはこれからどうするかじゃないかい?」
マリはその言葉に懐かしさを覚え、顔をあげた。
視界に入ったシュピーゲルの口元は優しげに微笑んでいた。
「本当にシュピーゲルさんはパパに似ています。
大事なことは、これからどうするか。パパの口癖です」
「そうか。神喰主任のそばにいたから影響を受けたのかもしれないな」
「めそめそしてるわけにはいきませんもんね。
これからどうするか、ちゃんと考えます。いえ、一緒に考えてください」
振り返ってみれば、この二週間はひとりで突っ走っていた。
二週間前、デジャイヴァーのパイロットとなった。
ユウキと二人で暮らしていた生活から、ラボでの一人暮らしに変わった。
その寂しさを埋めるように、なにか熱中できるものが必要だった。
それが狭間の世界への介入だった。
最初はただ強くならなきゃという思いだった。
慣れてき始めてからは違った。
徐々に強くなっていることを実感して楽しくなっていた。
寂しさを埋めるにはちょうどよかった。戦っているときは、一人であることを忘れられる。
それどころか、大傷を負ったときにはケルベロスを介してユウキの存在を感じることさえできた。
だから、シュピーゲルから提案されていた連携訓練を断ってしまった。
建前では総司とコミュニケーションが取れるようになるまで待ってほしいといった。
本音では、実戦をしたかったからだ。ただのシミュレーションでは大きな傷など負うことはない。
完全に自分の世界だけで閉じていた二週間だった。
独りよがりの時間はもう終わらせなければいけない。
不意にシュピーゲルがわざとらしく、こんっと音を立てて飲んでいたコーヒー缶をベンチに置いた。
「ではまず教えてくれないか。
なぜ私達は狭間の世界から帰ってくることができたのか」
マリは逡巡した。
シュピーゲルはマリが原因であることに確信をもっているようだ。
当然といえば当然だった。
あの場には三人しかおらず、総司やシュピーゲルにそんな芸当はできない。
マリがやったという結論にしかならない。
だがマリ自身のインフィニティではないし、うかつに法眼の話をすることはできない。
マリがどう返答するべきか悩んでいると、ベルゼブブが現れベンチの上にちょこんと立った。
彼はそのままシュピーゲルの方を向き口を開いた。
「インフィニティですよ」
「インフィニティ……。
たしかにそれしか可能性は考えられないがマリさんはインフィニティに目覚めていないはずでは?」
「ええ。
マリさんのインフィニティではありませんから」
「ベル、どういうことだ? わかるように説明してくれ」
「インフィニティは精霊と魂の回廊で繋がれた人間が得られるその人間自身の魂の可能性です。
私の中にはマリさん以外の人間の魂があります。ならばおのずと答えは出ませんか?」
「それは……そういうことなのか? ベルと混ざっている状態でも意思があると?」
「条件反射のようなもので、完全に意思があるとは限りませんがね」
「そうか……」
マリは感心しながらベルゼブブをみていた。
ベルゼブブは嘘をいっていない。しかし真実も語っていない。
シュピーゲルはベルゼブブの中にユウキの魂が入っていることを知っている。それを利用して誤認させた。
その行為自体の善し悪しはともかく、マリはベルゼブブに心の中で感謝した。
マリではこんな風に話すことはできなかった。
「そうなると、総司くんへの説明が難しいな」
シュピーゲルは天を仰いだ。
たしかに説明することは難しい。
シュピーゲルはユウキのことを覚えているが、他の人はそうではない。
ベルゼブブの中に他の人の魂があることを伝えたら、それが誰かの追及は免れない。
「主任、桐原さん知らないっすか?」
唐突に、男の研究員が休憩室に顔を出した。
「いや。そういえば見ていないな。コールしてみてくれないか?」
「何回かしてるけどでないんすよね」
「妙だな? 見つけたら連絡をくれ」
男の研究員は「了解っす」といって仕事に戻っていった。
入れ替わりに今度は女性の研究員が休憩室に入ってくる。
「主任、雪乃ちゃん知りませんか?
総司くんのこと連絡しようと思ったんですけど。コールにもでないんですよね」
「なんだと?」
「あの、関係ないと思うんですけど、出撃前に桐原先生と会いました。
雪乃ちゃんの個室の近くで……」
「ひとまず、緋月兄妹の部屋にいってみよう」
メディカルセンターの出口に向かう途中、総司が横たわったカプセルの前を通った。
戦闘終了から一時間たっても目覚めない姿をみて、マリの心には不安が浸っていった。




