第25話 嵐の前
ぐるる、と唸る声が響き渡る。
マリの目の前には犬型のヘイムダルがいた。
四本足なので高さはないが、頭からしっぽまでの長さはケルベロスとほぼ同じ——約十メートルの巨体。
背中から刺々しい触手が生え、うねうねと動いている。
しかしその半数はまるで喰い千切られたかのように傷つき短くなっていた。
ヘイムダルの回復力ならば瞬時に治るはずの傷。
マリはその傷をつけた大鎌を見ながら息を切らす。
「はあ、はあ。
やったわ、ちゃんとインフィニティが使えた」
「うん、いいね。
その調子でどんどん使って慣れていこう。
実戦を積んで精霊であるベルと馴染んでいけば、いずれきみ自身のインフィニティも獲得できる。
そうすればきみはもっと強くなる」
コックピットの中にはふよふよと浮かぶ法眼とベルゼブブ。
法眼がマリの指南役としてインフィニティの使い方・デジャイヴァーでの戦い方を教えていた。
マリ自身には未だインフィニティは発現していない。
だがマリはインフィニティを発動することができた。
それはなぜか?
答えは、ベルゼブブと魂が繋がっているユウキのおかげだった。
ユウキがベルゼブブと魂でつながったとき、ユウキは自身のインフィニティを獲得した。
魂の回廊を通じてユウキともつながっているマリは、このインフィニティを自身のもののように使うことができたのだ。
偶然にしては、あまりにもできすぎている。
ベルゼブブの予想では、ユウキが狙ってこの事態を引き起こした可能性が高いらしい。
「パパの、可能性を喰らうインフィニティ、必ず使いこなしてみせる!」
「ぱちぱち。
使えたのは僥倖ですが、最初の介入のようにボロボロにならないでださいよ。
死んだら終わりです」
「わかってる」
マリが法眼のインフィニティによって介入した世界間戦争はこれが五つ目。
一回目に介入した戦いでは、ヘイムダルたちに囲まれ機体は大破。
もう死ぬ、と思ったときに法眼がインフィニティを使って元の世界に戻ることができた。
それが昨日の夜の話。
昨日はその一回で疲労困憊し、再び狭間の世界に行くことはできなかった。
今日は朝ご飯を食べたあとすぐに自分の部屋にこもり狭間の世界に入っていた。
そしていま、通算で五回目の介入でようやくインフィニティを発動することができた。
マリは一歩前に進んだことに喜び、その後もインフィニティの発動と実戦訓練を繰り返した。
時は流れ二週間後、十二月二十五日。
この間、世界線γとの接触はなかった。
精霊がいる世界は基本的に強い力を持っているため、世界線γとの接触は稀らしい。
はじめてマリが世界間戦争に巻き込まれたときは一日に二回も世界線γと接触したが、異例中の異例だったそうな。
マリは通算で百回以上の介入を行い、世界間戦争を経験した。むろん、見違えるように強くなった。
ただし未だ自分自身のインフィニティは発現していない。
それでも、ユウキのインフィニティは自在に使えるまで成長していた。
加えて、新たにもう一つインフィニティを発動できるようになっていた。
法眼のインフィニティである。
魂の回廊を通じて、法眼が持つ二つのインフィニティのうち、一つを使えるようになっていた。
二つのインフィニティを使いこなせるようになったマリは、総司に一泡吹かせることを楽しみにしていた。
そしてきょうが決行のとき。
時間は朝七時。
マリは総司に訓練を申し入ようと、緋月兄妹の部屋の前に立った。
「ふっふっふ。絶対に驚くわ。
わたしが勝っちゃうかもしれないしね」
マリはドアの前でニヤけていた。
自分が勝ったらなんていってやろう。
わたしの訓練にならないわね。このセリフは絶対だ。
マリがほくそ笑みながらドアをノックしようとしたとき、廊下についていたスピーカーが大音量で鳴り響いた。
「世界線γガンマとの接触が予測されました。
接触は二時間後。総員、第一種観測配置。
パイロット三名、および精霊は直ちに戦闘準備へ入ってください」
タイミングがわるい。
でも、久しぶりの世界線γとの接触。
マリにとっては、訓練の成果を見せる機会だ。
とはいっても以前の様に甘い考えはない。
焦らず冷静に戦うこと。
法眼に嫌というほど叩き込まれた心構えだ。
よし、いこう。
マリはノックをせずに整備ハンガーへ向かった。
デジャイヴァーに乗り込むために整備ハンガーに向かう途中、通路の反対側から歩いてくる白衣の女性がいた。
「おはようございます。桐原先生。めずらしいですね」
「おはよう、神喰さん。今日はなんだか早起きしたい気分だったのよね」
「わたし、二週間前とは違いますから。きょうの戦い頑張りますね」
「ええ、頼りにしてるわ」
桐原はあくびをして、ひらひらと手を振りながらマリが来た方向に進んでいった。
本当にめずらしいな。
朝早く起きていることもそうだけど、こっちの区画は個室しかないのに、誰かに用があるのかな?
恋人でもいるのかもしれない、と邪推してみたが、プライベートを探るのはよくない。
マリは余計な詮索をせず、整備ハンガーに向かうことにした。
整備ハンガーでパイロット三人は各々準備をしていた。
シュピーゲルはマリを気にかけ、しきりに話しかけていた。
「マリさん。
訓練を頑張っているのは知っているが、無理をしないように。
私と総司くんでなんとかするさ」
「ありがとうございます。わたしもがんばります」
シュピーゲルがいう訓練というのはあくまでも訓練室で行っているシミュレータ訓練に過ぎない。
マリが世界戦αに介入しているのは秘密だ。
シュピーゲルだけに秘密なわけではない。誰にも話していないのだ。
二週間のあいだ献身的に協力してくれたパートナーのクララにでさえ。
話せば法眼の存在が知られてしまうからだ。
この二週間のあいだにベルゼブブと法眼から様々な話を聞いた。
世界の成り立ちとルール、デジャイヴァーとはなにか、早川守——法眼とは何者でベルゼブブとどんな関係にあるか。
二人がどれほどの時間と想いをかけてこの場に立っているかを知ったマリは、その意思を尊重している。
もっとも、ベルゼブブの厳しさを履き違えた嫌味に対して腹が立つのは変わらないが。
マリはコックピットに乗り込み、モニター越しに三体のデジャイヴァーを確認する。
右にいるのは、総司が操るアインホーン。
紅蓮色を基調とした、一本角と大きな翼が特徴的な機体。
全長はケルベロスとほぼ同じ、約十メートル。
空中戦や、遠距離攻撃に秀でている。神殺しの槍も、本来の用途は投擲用らしい。
左側にはシュピーゲルの機体があった。
彼が操る機体の名前はドワーフ。
名前の通り、背は低く七メートルほどしかない。
その代わりに横幅が大きく重厚な装甲をつけている。
この分厚い装甲に加え、機体修復能力の高さは群を抜いている。
頭には闘牛のような角がついた兜がついており、口から伸びる装甲が髭のように見える。
機体より長い、約十メートルの戦斧を使って戦うらしい。
最後にマリはケルベロスに目を向けた。
二週間前とは細部が異なる機体。
漆黒をベースとして全身に青く光るラインが幾何学的模様のように這っている。
頭部から背中にかけては刺々しい鬣が生えているが、身体はスリムになっていた。
膝や肘、足には爪のような攻撃的な刃が生えている。
しかし、それら要所以外は最低限の装甲しかなく、遠距離用の機体であるアインホーンと同等、下手したらそれ以下の装甲しかなかった。
「うーん。シュピーゲルさんのドワーフと並ぶと装甲の薄さが目立つな」
マリの独りごとに、珍しくベルゼブブが答えた。
「いいんですよ。デジャイヴァーはお互いを補い合えなければ意味がない。
それにマリさんの使うインフィニティを考えれば理想的ともいえるスタイルです」
「べ、ベルさんが嫌味なしに褒めた……」
「下手したらこの戦いで死んでしまいますからね。
最後くらい優しくすべきでしょう」
「うわっ。そういう感じで攻めてくるのね。
やめてよね、縁起が悪いったらないじゃない」
「いえ、冗談ではないのですよ。
今回の世界線γにはルシファーを感じます」
「ルシファー?」
「ええ。私とは違って性格が悪い精霊です」
性格が悪いのはベルさんもでしょ。
そういいたくなったが、それより気になることがある。
相手の世界に精霊がいる。
それはすなわち、相手側にもデジャイヴァーがいるということだ。
二週間前に比べたら、はるかに前進しているのは間違いない。
戦うことは怖くない。
けど、デジャイヴァーと戦うということは、ヘイムダルという化け物を殺すのとは違う。
正真正銘、別の世界に生きている人間と殺しあうのだ。
この二週間で覚悟はできているつもりだ。だけど……。
マリは一抹の不安を抱えたまま、カウントダウンを聞いていた。
「世界線γガンマとの接触まで、残り十秒、九、八、七、六、五、四、三、二、一、接触!」
”接触”という言葉とともに、マリは世界間戦争の舞台——狭間の世界へと転移した。
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