第19話 混乱
階段を下りきると、やけに寒い薄暗い部屋に到着した。
学校の教室と同じくらいの大きさの部屋。
部屋全体が薄暗いのは、ライトが一つの方向を向いているからだった。
ライトが照らす先は壁だった。
壁にはハチの巣状の切れ目が入っている。
一辺五十センチはあるだろう大きな正六角形で作られたハニカム構造の切れ目。
正六角形の中心には手をかけるための輪がつけられていた。
マリは不安を覚えながらも、必死で部屋の中を見渡した。
——パパがいない……。
マリとシュピーゲル以外に人がいるような気配はまるでない。
シュピーゲルがマリに嘘をついたかあるいは……。
不気味に照らされたハニカム構造がやけに気になった。
シュピーゲルは無言のまま、ライトが照らす壁に近づいた。
隠し階段を出現させたときと同様に、壁の中から現れたパネルに手をあわせる。
がしゃん。
音とともに一つの正六角形の切れ目から、もわっと霧が立ち込める。
マリは心臓の鼓動が早くなるのを感じた。胸が締めつけられて痛い。
シュピーゲルはその正六角形の中心にある輪に手をかけ、手前に引き出した。
「……神喰主任だよ。そばにきてあげてくれ」
マリは無言のまま引きだされたものに近づいた。
足がおぼつかない。感覚がまるでない、足がなくなっったかのような錯覚をおぼえる。
なんとか引き出された正六角柱のガラス張りのケースのようなもののそばにいけた。
ガラスケースを挟んでシュピーゲルと向かいあうように立つ。
マリは引き出されたそれをのぞいた。
ガラスケースの中に裸の男性が横たわっていた。
間違いなくユウキだった。
瞼は閉じられ、身動き一つしない。
唇が震え、歯がぶつかりあってカタカタと音が鳴る。
視界が滲み、気づいたら大声を出していた。
「嫌、いやいやいや!
パパ……なんで……パパァ……パパァ」
マリはガラスケースにすがりついた。
「マリさん、話を——」
「パパが死んじゃったのに、なんでこんなときに聞かなきゃいけないのよ!」
マリの目からぼとぼとと涙がこぼれ、呼吸が荒く速くなっっていく。
シュピーゲルはマリに憤ることなく、むしろ穏やかに語りかけた。
「落ち着いて、ゆっくり息を吸うんだ。
……そう、それでいい。
聞いてくれ、神喰主任は死んでいない。いまは植物状態なだけだ」
マリはしばし固まった。
ついで、ガラスケースに横たわるユウキを見て、シュピーゲルに視線を戻す。
「植物状態……? 生きてるの?」
「ああ、かなり特殊な状態だが間違いなく生きている。
よく見てほしい。腕のところにチューブが繋がっているだろう。
あれを通して栄養を送っているんだ。
自発呼吸はできても、食べることができないからね」
促されてユウキの腕を見ると確かにチューブがついていた。
よく見れば、鼻もわずかに動いている。
「ホントだ……生きてる」
安心して、また涙が出てきた。
たとえ植物状態だったとしても、この世界にちゃんと生きている。
それがうれしい。
まったく手がかりもなかったことを思えば、だいぶましになった。
一歩前進した。
マリはシュピーゲルに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい、取り乱しました」
「気にしなくていいよ」
マリは制服の袖で涙を拭う。
「どうしてパパはこんなことになったんですか?」
「わからない。私も知りたいんだ。だからここにきてもらった」
「どういうことですか?」
「なぜ神喰主任がこうなったのか。マリさんのパートナーならわかると思ってね。
なあベルゼブブ、いるんだろ?」
その瞬間、シュピーゲルとマリの間——ガラスケースの上——に光の粒子が集まる。
それが約三十センチの人型となり、ガラスケースの上に立つベルゼブブが現れた。
ベルゼブブは現れると同時にシュピーゲルに向かって口を開いた。
「ええ、ユウキが植物状態になった原因ならわかります。
ただし、なぜ他者の記憶から消えたのかはわかりません。
なぜあなたにしわ寄せがいったのかもね。
もっとも後者は推測くらいはできます、あなたもわかっているでしょう」
シュピーゲルは顔を動かして、まじまじとベルゼブブを観察していた。
一方、マリは眉をひそめた。
ベルさん、たしかにいまパパのことをユウキっていったよね……。
マリが口を開こうとしたとき、一足早くシュピーゲルが口を開いた。
「ベル……それが君の姿か。
こうして初めて話すと、なんだか感慨深いものがあるな」
「ま、あなたからみればそうでしょうか」
「それで神喰主任が——」
「ちょっと待って!」
話を進めようとする二人をマリが遮った。
「あの、え、どういうこと。
二人は知り合いなの?
それにベルさんパパのこと知ってるの? ならなんで黙って——」
ベルゼブブは呆れたように「ふう」と息を吐き、
「私、すべてを知っているわけではありませんので。
それにここに来るまでユウキがどんな状態にあるか確証もありませんでした。
少し黙って、最後まで話を聞いたらどうですか?」
今度はシュピーゲルがため息をついた。
「ベル、君はけっこう冷たいな。
そんな言い方をしたらマリさんが可哀想だろう」
「いえ、マリさんにだけなんで」
マリもシュピーゲルもその場に固まった。
やがてマリはわなわなと身体をふるわせた。
「やっぱり! サタンさんが、ベルさん人間好きっていってたのにおかしいと思ったのよ。
わざとなのね!? なんでわたしだけそんな差別されなきゃいけないのよ!」
「約束ですからね」
「約束? 誰と!?」
「いまは秘密です。話してしまうとうるさくなりますからね」
「話さないともっとうるさくしますけど?」
「貴方のことじゃないんで」
マリが「じゃあ誰が?」と聞いても、ベルゼブブはまったく取り合わなかった。
この話についてはもう終わりだといわんばかりの態度だ。
シュピーゲルはしびれを切らして話しだした。
「まあいい、では私から説明させてもらうよ?
まずベルゼブブは昔からラボにいたんだ。
だから私だけでなく、ラボの人間は全員ベルゼブブを知っている。
ただ、いまみたいな人の姿ではなく、光る玉のような状態でね。
当然、話すこともできなかった。サタンの話では魂が弱っていたらしい」
マリは混乱していた。
昔からラボにいた?
パパもラボで働いていたってことは、かなり前からパパとベルさんは知り合いだった?
ベルさんが約束した相手ってもしかして——。
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