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第10話 なにかがおかしい

 桐原は叱責(しっせき)した。


「ちょっと! ここは保健室よ。もっと丁寧に開けなさい」


 ドアを開けた少女は、


「こわっ。すいませ~ん」


 返事も適当に、マリへと近づく。


 親友の少女——石山あずさはベッド側の椅子に座り、安心したようにため息をもらした。


「よかった~、起きて。もう心配したんだからね……あっ、眼も普通だ。

 いや~ほんとビビったわ。マリの眼さ、紫色に充血してたんだよ? ちょっと疼いちゃったわ」


 マリはあずさをみて口を尖らせ、


「も~。人が大変な思いをしているときに疼くだなんて。あずさは、アニメの見すぎだよ」


 にこりと破顔した。


「でも、心配してくれてありがと」


 あずさはすっ、と立ち上がり拳を握って、寝ているマリの頭をぐりぐりとはさんだ。



「なんか、可愛くてムカつくわ。

 あのまま、完全に邪眼覚醒していればよかったのに」


 マリは「やめてよ」といいながらも、笑いながらあずさとじゃれていた。


(キーとしては覚醒したんですがね)


 心に声が響いたとたん、マリは固まったようにぴたりと静止した。

 

(ちょっと、いきなり話しかけてこないで)


(状況把握したいんじゃなかったですか?)


(いまはやめてよ。あずさと話してるでしょ)


 虚空を見つめているマリを見て、あずさは心配のいろをうかべた。


「……ごめっ。まだ調子わるかった? なんか平気そうだから思わずやっちった。痛む?」


 マリは慌てて首を横に振った。


「ちがうのっ。……これは、えっと……寝起きでちょっと、ぼーっとしてただけ」

「ほんとに?」

「うんうん、ほんと」


 あずさは、「焦ったわ~」といいながら顔を手であおぐ。そして思い出したように口を開いた。


「そういえば、叔母(おば)さんに電話しちゃったよ。マリが倒れたって。

 心配してるだろうから、マリから電話しといて?」


 マリは首を傾げた。


叔母(おば)さん? 仲よかったっけ? それにどうしてパパじゃないの?」


 マリは立て続けに質問をした。

 あずさはそれを聞いて、凍りついたように固まった。


 たっぷり3秒ほど固まったあと、あずさは口を開いた。


「あ~っと。やっぱ治ってないね。混乱してるみたい。もうちょっと休みな」

「混乱? なんのこと?」

「えっと、だから……パパじゃないのって……」

「……なに?」

「いやだって、マリにもパパはいるんだろうけど、あたしどころかマリだって知らないのに。

 気絶しているときに、夢でも見たのかな~って……」

「はい? なにいってるのあずさ? パパと仲良いじゃない」

「……マリ。いい、あたしはマリのパパと会ったことはないし、そもそも名前も知らない……」


 ふいにマリは寝ていた身体を起こし、あずさをまっすぐ見つめた。

 我慢しきれなくなり、眉間にしわをよせ声を荒げた。


「いくらあずさでも怒るよ! いい加減にして!」


 あずさは憐れむような眼でマリをみた。


「うん。なんか、ごめん。まだ起きたばっかりなのに……あたしから電話しておくね。

 じゃ、あたし帰るから。マリはゆっくり休んでから帰りなよ」


 あずさは困ったような笑顔で「お大事に」といって保健室から出ていった。


 呆然とするマリに、桐原がたずねた。


「喧嘩? 石山さん、呼んだのまずかったかしら」

「わかりません……」


 つぶやくように返したマリを、桐原はどうやらそっとしておくことにしたらしい。

 カーテンを閉めて「帰る気になったら声かけてね~」と高い声でいった。


 マリはわけがわからず、体育座りをして自分の膝に顔をうずめた。


『マリさん。ちょっといいですか』


(……うるさい)


『あの人間、嘘いってないですよ。私、嘘つきません』


(……あずさがパパを知らないって? 冗談じゃないわ。パパの手料理食べたことだってあるのよ。

あなた、いつも人を馬鹿にしたように話すから精霊の力みたいなのも馬鹿になったんじゃない?)


 マリは八つ当たりだと自覚しながらも、思ったことを変えることはできなかった。


『手料理を食べた? なるほど興味深い。なら記憶が消えてるんじゃないですか』


 マリは顔を上げ、目を丸くしてベルゼブブをみた。


(どういうこと?)


『あの人間は嘘をいっていない。私も嘘をいっていない。マリさんも嘘をいっていない。

 なら、マリさんの父親とあの人間は会ったことがある。けど記憶を失くしてしまった。

 こう考えるのが自然でしょう』


 マリは目の前を漂っていたベルゼブブを両手で掴んだ。

 すり抜けるかとも思ったが、ふつうに掴むことができた。


 マリは鼻息を荒くしながらベルゼブブを睨み、心の中で大声をあげた。


(なんでそんな考えが自然なのよ! まさか精霊と関わると友達の記憶が消えることがあるの!?)


『ないですけど? 精霊の宿主となることで、周囲の人間の記憶が消えていたらデメリットだらけじゃないですか。

 そういうのって、精霊じゃなくて悪魔っていうんですよね。

 私、知ってます』


(……ベルゼブブってたしか悪魔の名前だよね)


 ベルゼブブは張りついた笑みでいった。


『ああ、そういえばそうですね。呼称など気にしていなかったもので忘れていました』


 マリは真剣な目でベルゼブブに念じた。


(名前は悪魔なのに、悪魔じゃないっていうの? あずさの記憶と精霊は関係ないってほんとなの?)


『悪魔じゃなくて精霊です。人間がわたしたちを悪魔の名で呼ぶのも理由があるのですが、いまは置いておきましょう。

 疑問にお答えしておくと……はい本当です。精霊が関わっても記憶に影響などありませんよ。そもそもあずささんは私と関わってもいないですし』


(……そう……)


 マリは再び、膝に顔をうずめた。

 

 むしろ、関係があって欲しかった。それならまだ、あずさの態度もうなづける。

 それに悔しいけどベルゼブブのいうことが当たっている気がする。

 あずさはわたしがパパと二人で暮らしていたことを知っている。

 あずさがパパのことであんな嘘をいうはずがない。

 

 ……何が起きてるの。

 わけわかんないよ……。

 

 ……やめよう。こうしていても仕方がない。

 よし。進もう。


(ベルゼブブさん……長いわね、ベルさん。いまから帰る。

 帰り際パパに電話する。帰ったら、パパに今日あったこととベルさんのことを話す。ベルさんて、姿現すこともできる?)


『……できますよ』


(そう、よかった。呼んだときはお願い)


 マリは手早くベルゼブブに説明すると、桐原に礼をいって保健室をあとにした。


 帰り道。


 マリは父——ユウキに電話した。しかし、電話中のようで、何度かけてもツーツーという音が流れるだけだった。


 おかしいな。いつもすぐに出てくれるのに。研究、忙しいのかな。


 マリは少し不思議に思ったが、こういうこともあるだろうと自分を納得させた。


 ベルゼブブは保健室をでたあとは何も話しかけてこない。

 途中でなんとなく不安になり「パパなんで電話でないのかな?」と話しかけてみたが、「さあ」と冷たく返されるだけだった。


 マンションの前に着いた。

 家の電気はついていない。

 ユウキは帰っていなかった。

 

 マリは家に入ると、鞄も置かずにユウキの部屋をガチャリとあけ電気をつけた。


 天井まで届く壁一面の本棚。様々な言語で書かれた分厚い本がところ狭しと敷き詰められている。

 巨大なデスクトップタイプのパソコンと複数のモニター群。

 いつもはジリジリと音を立てているそのパソコンは不気味なほどに静かだった。

 ただ、いつもと違うのはそれだけ。

 

 ほっとしたマリはつぶやいた。

 

「よかった~。あずさがあんな感じだったから、パパがいない世界に迷い込んじゃったのかもとか、変な妄想しちゃったよ」


 ベルゼブブは張りついた笑みでいった。


「……よかったですね」


 ふいにピンポーンと、チャイムが鳴る。

 マリは首を傾げた。


 誰だろう。パパならチャイムなんかならさない。


「もしもし、マリちゃん? 私だけど」


 マリは玄関まで行き、ドアを開けた。


叔母(おば)さん? どうしたの?」

「どうしたのって、今日も(・・・)ごはん持ってきたわよ。いつもより早いのは、あずさちゃんからの電話で心配になって……」


 マリは右手で香澄の言葉を遮り聞いた。

 

「ちょ、ちょっとまって。……今日も(・・・)?」

「う? うん」


 マリの中で、なにかが(きし)むような音がした。


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